introduction 個別最適な学びと協働的な学びの一体的充実のための次世代対応の授業とは

トピック教育課題

2022.09.09

introduction 個別最適な学びと協働的な学びの一体的充実のための次世代対応の授業とは

内閣府科学技術・イノベーション推進事務局審議官 
合田哲雄

『教育実践ライブラリ』Vol.1 2022年5

 北杜夫の長編小説『楡家の人びと』(新潮文庫)に「時間の流れを、いつともない変化を、人々は感じることができない。刻一刻、個人をも、一つの家をも、そして一つの国家をも、おしながしていく抗いがたい流れがある。だが人々はそれを理解できることができない。一体なにがあったのか? なんにも。(…)実際なんの変化もありはしない。一年くらいで人間はそう歳をとりはしない。本当に何事も起こらなかったと同じなのだ」という件(くだり)がある。猖獗(しょうけつ)を極めたスペイン風邪や第一次世界大戦の戦勝といった激動の大正期を舞台にしたこの小説においては、後になって考えると大きな時代の転換点だと分かるが当事者にはそのことが看取しがたいことが表現されている。

 今、100年ぶりの感染症の世界的流行やヨーロッパにおける戦争など大きな時代の転換期を迎えていることは漠然と感じつつも、官庁も企業も学校も毎年度のルーティンが繰り返すなかで、「一年くらいで人間はそう歳をとりはしない。本当に何事も起こらなかったと同じ」なのではないだろうか。

 しかし、教育は次代を担う子どもたちと向き合う営為である以上、学校も教育行政も常に現在の時代の立ち位置を踏まえながら、子どもたちが時代に振り回されるのではなく、次代を創造するために必要な力を内発的にはぐくむためにいかなる外発を仕込むかに知恵を絞らなくてはならない。

 2017年の学習指導要領の改訂や2021年の中央教育審議会答申、2022年の総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)の政策パッケージ、同年の教育未来創造会議の議論などはこの問題意識で貫かれている。本稿では、個別最適な学びと協働的な学びの一体的充実のための授業改善という観点から現在の政策的な動向を整理してみたい。

新学習指導要領が目指すもの

 小・中学校と順次実施されてきた新学習指導要領だが、本年4月からいよいよ高校において実施された。この改訂は、アイディアや知識など目に見えないものの価値が産業社会を牽引するなかで、時代の歯車を回しているのは官僚でも大企業でもなく、同調圧力や正解主義を乗り越えて新しい価値を創出している社会起業家など自分のアイディアで勝負する一人ひとりの国民であるとの認識を踏まえて行われた。他方で、インターネットの使い方がSNSでのチャットとゲームに偏り、学校カーストの息苦しさのなかチャットで即答しないと仲間外れにされるといった子どもたちを取り巻く強い同調圧力についての危機感も強かった。

 異なる考えを持つ他者と対話を重ねることは面倒で、人工知能(AI)や他者が決めたことに従った方が楽だし、フェイクニュースが広がるデジタル社会においては、事実に当たったり論理的に検証したりして情報の真偽を確かめることも求められているが、これも面倒なことに違いない。しかし、自分たちで社会の方向性を決めることを放棄し、すべてAIや特定のリーダーに丸投げする社会はディストピアそのもの。複雑な課題を丁寧に解きほぐして関係者の「納得解」を形成するために、自分の頭で考え、他者と対話する力をはぐくむ上で、高校の新科目「公共」や「歴史総合」は新教育課程の目玉だが、「数学I」でトレードオフの曲線のなかで社会課題解決の最適解を見出すという発想を働かせるために二次関数を学んだり、「物理基礎」において物質によって電気抵抗の抵抗率が異なっていることを理解したり、「生物基礎」で遺伝子や免疫について知ったりすることは、素朴概念に訴えるフェイクニュースのウソを見極める上で重要な学びである。

なぜ教育DXは不可欠なのか

 しかし、このような教育の質的転換に当たっては、これまでの紙ベースの一斉授業では限界がある。試験問題の文字情報を読んで理解して、迅速に正解を書く能力が偏重されるからだ。計画的な勤勉性と文書主義が必須だった工業化社会には適合的な学びだったが、みんなと同じことができること以上に他者との違いに意味や価値のある社会のなかでは変容が求められている。

 私たちには一人ひとりに認知の特性や関心の違いがある。話すこと・聞くこと、書くこと、読むことのそれぞれでも情報の受け取りと表現にわたって強み弱みがあるし、文字情報や音、映像など扱う情報の得意不得意もあるだろう。計画的に学ぶ人もいれば、興味や関心が拡散する人、特定の分野に尋常ではない集中力を示す人もいる。発達障がいの困難さに向き合っている子、特定の分野に特異な才能を持つ子、両親が外国人で日本語指導が必要な子、どうしても教室に行くことができない子…と多様な子どもたちの学びを支えるに当たっては、このような認知の特性や関心の違いを前提として、すべての子どもに共通している「知りたいという欲求」を刺激し、その子の学びの扉が開くように働きかけることが必要であり、だからこそ義務教育において一人一台の情報端末を整備するGIGAスクール構想が実現し、高校においても情報環境の整備が進められている。

 この学びの転換の必要性は深刻だ。例えば、情報処理力偏重のなかで学校教育が切り捨ててきた力が、情報セキュリティの確保にとって不可欠になっている。ゲームのデバッグ(バグの修正)を請け負う上場企業であるデジタルハーツ社の社員の半分以上が不登校あるいはひきこもりの経験者だ。ゲームのデバッグに求められる力は、点数にならない情報は切り捨てる情報処理力とは真逆の、多くの人が気付かないわずかな違いを見つけるアンテナの高さで、エシカルハッカーにも求められる能力である。しかし、このような力はこれまでの学校教育では「細かいことを気にし過ぎる」などと言われることが少なくなかった。同様に、発達障がいの困難さに向き合っている子どもたちや特定分野に特異な才能を持つ子どもたちは、現在の学校生活のなかで我々の想像を越えるストレスに直面している。社会的・文化的なバイアスも看過できない。OECDのPISA調査において、義務教育終了段階での我が国の女性の生徒の科学的リテラシーと数学的リテラシーは「レベル4以上」が4割程度とOECD諸国でもトップ水準であるにもかかわらず、高校で普通科理系を選択する女性は同世代の16%、大学で理学部、工学部、農学部といった理工系の分野を学ぶ女性はわずか5%にまで減少している。横山広美東大教授らの研究は、例えば機械工学を学ぶことを希望する娘に対して「女の子らしくないから」と反対する保護者(特に男性保護者)が多いことを示している。

 だからこそ、学習指導要領の各教科等の内容にコードが付され、情報端末が整備されることにより、子どもたちの学びが時間的にも空間的にも多様化するなかで、それまでの教育内容の習得が不十分だった子どもはAI教材などを活用してその習得に向かって自分の学びを調整することが可能になるし、どうしても教室になじめない子どもは校内フリースクールやNPOと協働する教育支援センターで学んだり、特異な才能を持つ子どもは大学や研究機関で専門的な学びを行ったりすることにより現在直面している困難さを取り除くことができる(図1)。教室の風景が大きく変わると、学校の構造も変容する。今までは「垂直分業」で、子どもに関することを全部学校の中で完結して担ってきた。しかし、学校がこれらの幅広い機能を全部自前で担うことは不可能で、社会全体のDX(デジタル・トランスフォーメーション)の中で、大学や研究機関、企業やNPO、福祉機関、発達支援の専門家などと協働する「水平分業」への転換が不可欠だ(図2)。


図1

図2

 

教育DXの先にある学びの姿

 ただ、他者と同じことができることが評価される時代の慣性に基づき、大人が採点しやすい知識再生型のテストが変わらないままで情報端末を活用した教育の個別化が進展すれば、子どもたちがアルゴリズムやAIが指示するとおり他律的にドリル学習を反復することになる。子どもたちが次代を切り拓く上で大事なのは、子どもたちが他者と対話や協働を重ねながら、自分の認知の特性や関心に応じて自分で自分の学びを調整できることで、その真逆だ。

 だからこそ、情報端末を活かした個別最適な学びを充実して子どもたちが直面する様々な困難さを取り除くとともに、生身の教師が子どもたちの学ぼうとする心に火を灯し、「学び合い」や「教え合い」でクラス全体の知識の理解の質を高めたり、討論や対話、協働を引き出したりすることが求められている。実際に、情報端末を活用した個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実は、山形県の天童市立天童中部小学校、埼玉県戸田市の小・中学校、長野県坂城高校や明蓬館高校など全国の自治体や学校で取り組まれているが、CSTIの政策パッケージ案が提起しているのはこのような内発的な取組をすべての学校において引き出すための仕組みの確立だ。

教育・人材育成に関する政策パッケージが提起するもの

 CSTIは、教育DXの先にある学びについて、2022年4月に政策パッケージ案をとりまとめた。

 CSTIが、withコロナで多くの国民が実感したサイバー空間の拡大による社会構造の変化を「Society5.0」と表現したのは7年前で、このSociety5.0の目指すのは一人ひとりの多様な幸せ(Well-being)の実現である。科学技術やイノベーションは社会の分断や格差を解消してこそ意味があるという考え方のもと、教育DXを政府全体で支えることはCSTIにとっても重要な役割となっている。また、2021年1月の中教審答申は同調圧力と正解主義から脱し二項対立を乗り越える必要を訴えたが、同調圧力や正解主義はイノベーションの大敵。さらに、GIGAスクール構想でも明らかなとおり、社会の構造的変化のなかであらゆる分野について一つの省庁や局課だけで対応できることは限られ、府省を越えた協働が不可欠になっている。CSTIが政府全体を見渡して子どもたちの学びの転換について議論しているゆえんである。

 具体的には、5年後を目途に行われる学習指導要領改訂を視野に、教科の本質を踏まえた教育内容の重点化や教育課程編成の弾力化のための学習指導要領の構造の転換(文科省)、サイエンス分野の博士や発達支援の専門家、AIプログラミングの専門家といった方々が教壇に立てるような教員免許制度の抜本的見直し(文科省)、様々な困難さに直面している子どもたちの学びの時間的・空間的な多様化(文科省)、内閣府の大型研究プロジェクトSIPを活用した探究的な学びの成果であるレポートや小論文、討論や実演などに対する「パフォーマンス評価」に関する科学的知見の確立(内閣府)、教育データ利活用の促進(デジタル庁)、探究的な学びやSTEAM教育充実のためのプラットフォームの構築(文科省・経産省)、探究的な学びや特定の分野の特異な才能の重視、文理分断からの脱却のための大学入試の改善(文科省)、高校における探究的な学び充実のための高校標準法も視野に入れた指導体制の充実(文科省)、企業の次世代育成投資に対する市場評価の仕組み(経産省)、ジェンダーバイアス排除のための社会的ムーブメント(内閣府)、学部や修士・博士課程の再編・拡充(内閣官房・教育未来創造会議)、女性が理系を選択しない要因についての大規模調査(内閣府)といった施策を政府一体となって行うこととしている。

 CSTIでは2021年12月24日に政策パッケージに関する中間まとめを公表し、意見募集を行ったところ、寄せられた意見の25%が10代の若い方々から寄せられたものだった。その中の「『大学に入って自分が生活できるぐらいの収入を得ることができる安定した職につくべきだ』と親から言われれば、いくら学歴は関係ない、一人ひとりの個性が大切だと国が主張しても国民の考えは変わらない」という指摘に我々大人が真正面から向き合うことが子どもたちの学びの転換にとって不可欠だと痛感している。

 

 

Profile
合田哲雄 ごうだ・てつお
1970年生まれ。92年文部省入省。福岡県教育庁高校教育課長、国立大学法人化の担当、08年学習指導要領改訂の担当、NSF(全米科学財団)フェロー、高等教育局企画官、初等中等教育局教育課程課長、内閣官房内閣参事官、初中局財務課長等を経て2021年7月から現職。兵庫教育大学客員教授。単著に『学習指導要領の読み方・活かし方』(教育開発研究所)、共著に『学校の未来はここから始まる』(教育開発研究所)、『メディアリテラシー』(時事通信出版局)。

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