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教育実践史のクロスロード

金馬国晴

教育実践史のクロスロード[リレー連載・第2回] 梅根 悟 生き方も理論もまさに総合的な教育史学者―総合的・横断的、カリ・マネの源流

NEWトピック教育課題

2020.10.30

教育実践史のクロスロード[リレー連載・第2回]
梅根 悟
生き方も理論もまさに総合的な教育史学者―総合的・横断的、カリ・マネの源流

横浜国立大学教育学部教授
金馬国晴

『新教育ライブラリ Premier』Vol.2 2020年8月

 学校の授業を1時間ごとだけでなく、いわば縦に、数週間や数か月の長さで見通したり、または横に教科や領域どうしの関連づけを考えてみたりするとき、カリキュラムという発想が重要となってくる。カリキュラムとは教師や行政関係者が書き上げる計画を意味するが、他方で子どもの学習経験、学びの履歴といった意味がある。計画の方は「紙キュラム」とも揶揄されるものだが、本来、子どもの側から出発し、子どもの生活・経験や人格が総合的であることを重視したときに、計画の側も総合的なものに変える必要性が感じられてくるものなのである。

 ここに、すでにある総合的な学習の時間、新学習指導要領もいう横断的カリキュラム、さらにカリキュラム・マネジメントの必要性が見えてくる。その根拠は何か?なぜ必要なのか?21世紀の先行き不透明さなどから説明されることはある。だが、それらの根拠を、歴史の上の源流からつかむことも要らないか。

梅根悟という教育史的偉人と関連する文献

 それらの源流を戦後初期に求める場合、必ず挙げられるのが、梅根悟(1903~80)である。戦時下から戦後にかけて、世界教育史を教師も実感できるように描き、実践に活きる理論を創ってもきた梅根は、国際的な新教育の日本版といえる生活教育の理論を、大正自由教育をも引き継ぎ、戦後と葛藤する過程で編み出してきた。

 戦後新教育期にはコア・カリキュラム連盟(コア連。1948~53)と、その改組である日本生活教育連盟(日生連。1953~現在に至る)をリードした。のちに和光大学の初代学長を、また日教組が1970年代に組織した諸委員会(第一次教育制度検討委員会、中央教育課程検討委員会)の会長を務めた。とくに、戦後初期の川口プラン他、そして「総合学習」(『教育課程改革試案』1976ほか)の産婆役となったことでも知られてきた。学者としても、指導生らと共に『世界教育史大系』全50巻という各国・各学校段階・各分野別の講座物を、また東大の勝田守一とともに『世界教育学選集』全93巻、『世界教育学名著選』全22巻といった翻訳シリーズを監修・編纂したことで知られている。

 そうした梅根の評伝を、最近、代表的な指導生の中野光(元金沢大・和光大・立教大・中央大)がまとめ上げた。『梅根悟―その生涯としごと』(新評論、2019年)というものだが(写真)、東京教育大学、和光大学の研究室に居る学者かつ大学教師の一面に加え、現場教師と共に在って運動を担った面もたどられる。和光大学や日生連、日教組ほかで身近にいた中野こそ知りえた事実や実感も加味されているので、お奨めしたい。

 加えてぜひ読むべきは、梅根自身の文章である。流れるような文体で、難しいことを柔らかく表現している。戦後初期当時の主要な本は、『梅根悟教育著作選集』全8巻(明治図書、1977年)に収録されている。

 本稿は本物や中野著に及ばないため、梅根の理論のうちでも21世紀に活かせるその発想に絞ってまとめたい。

梅根個人の想いはどこから来るものだったのか

  梅根は教育史では世界的な学者であるが、なぜ生活教育という理論を現場に向けて練ったのか。彼は福岡の農村出身で、父は大工職人、母は商店を営む者だった。親の仕事や自然の中でもあらゆる手伝いをして育った梅根は、東京の子に家庭教師や実習生として接すると、「くだらないおしゃべりと、わるふざけと、労働参加あるいは労働模倣的でない無意味なひまつぶし的な遊びにふけっている」などと見えたという。そうした対比からルソーの『エミール』に魅せられ、教育学を志した梅根は、研究者となって、頭は世界各国の思想や制度を研究しつつ、身体は農山村のような地域に根ざしていたといえよう。例えば、ごっこなどの遊びの意味を信じて、遊びから大人の労働・職業などの生活へと連続的に発展していく、そんな生活活動の広がりと深まりを最大限理論化した。

 梅根は生活や活動を、日常実践であり、かつ地域に根ざすものとし、学校と現実社会を長幼一体としてとらえ直した。そもそも世界の新教育という理論、実践、運動は、一斉教授の近代学校に対する批判を含み、梅根は学校以前や学校以外で自然と行われてきた生活、経験、労働へと学校教育を総合するような理想の論を強調したのだ。

 梅根の新教育像は広くて深い。その歴史は、「対立の解決」をめざして展開してきた問題解決史だという。新しいものの流行ばかりを追わず、古いものに戻ればそれでよしともせず、教育史上に現われた様々な対立を解決していく道筋で、各国で時代時代の新しい教育論が生み出されてきた。
教師はその最前線にいるのだと、大河が流れるような、物語のような語り口調で励ましを続けた。

 とくに『新教育への道』(『著作選集』2)、『生活学校の理論』『単元』(同4)、『コア・カリキュラム』(同6)、『問題解決学習』(同7)は今も読む価値があり、かつ内容は難しいのにじんわり伝わってくる名著だと思う。

各教科内での視点 →横断的カリキュラム → 特設型

 梅根は、カリキュラムのポイントを、総合性をどこに導入するかに見出したといえる。梅根は「コア・カリキュラムへの切りかえ方」を論じているが(『著作選集』6のp.209~)、現代風にアレンジするなら、総合的な学習の時間に限らず、担当する各教科・科目に少しずつ入れてもよくて、だが一つの中や一人ではできないとなると、総合性が高いカリキュラムを創って共同する方がいいとの論である。そのプロセスを敷衍すると以下のようになる。

①視点型(視点として、機能として、原理として)
 梅根は、「まず在来の教科カリキュラムをそっくりそのまま残しておいて、新しいカリキュラムの精神を生かして行こうという方法もないわけではありません」という。それを一言で、「教科の生活化」といっている。

 これは一つの教科の中でも、ある瞬間や、ある時間、ある単元などに生活活動を入れて総合化するやり方で、溶かし込み型や織り込み型とも呼べる。後述する特設型に比べれば、視点として、機能として、原理としてでしかないが、中学・高校でも現実的に可能である。戦後初期当時の生活単元学習も、ここ30年間の新学力観、主体的・対話的で深い学びなどもまた、この形式といえる。

 だが、梅根は「熱心にやればやるほど困難な問題に」ぶつかるという。「子どもたちは、あれをやりこれをやり、目まぐるしい活動をしなければ」ならず、見学など「社会的な生活に関係のある活動」ばかりで「しばしば重複して」もくるというのだ。梅根は、苦い薬を糖衣で飲ませるようなあんころ教育、せっかくの大広間(活動)なのに細かく仕切ったようなもの、などと批判したものだ。

 そこで「整理して、もっとまとまった生活学習をさせたいという必要」が感じられてくるのだ、という。

②横断型(単元のもとに複数の教科が組み合わさる)
 次いで「教科を生活科して、生活経験中心の単元学習でやって行く」単進法に進んでいけるという。そうすると、「子どもの生活にまとまりができて、それが子どもの学校生活のコアになって行く」というのだ。

 様々な教科や領域をもまたいだ単元、実質的には総合的な生活活動を組み出すやり方といえる。近年の学習指導要領でいう横断的カリキュラムに似ており、合科学習(大正以降の奈良女子高等師範学校附属小学校がもと)、あるいはイギリス由来のクロス・カリキュラムに近い。

③特設型(新たな教科・領域などへの拡充)
 さらには、独立した教科や領域を特別に作り、そこにまるごと総合的な生活活動を確保する型がある。戦後初期に新設された社会科もこの発想により、今の生活科や総合的な学習(探究)の時間がそうである。近年も研究開発学校などで、総合性ある新教科が試行されてきた。

 梅根がいうには、課外活動の強化、ホーム・ルームの拡大、あるいは社会科の充実といったタイプである。梅根は生活指導、今でいう特別活動を重視する者で、それを取り立てて拡充する発想は、特設型と名づけられる。

極めて総合的かつハイブリッドなコア・カリキュラム

 以上を全て集大成したようなものが、戦後初期のコア・カリキュラムというものだ。後に梅根らコア連・日生連が、三層四領域というカリキュラム構造論へと展開させていった。今でいう各領域へと分化していった前の「未分化」段階と位置づけられる。以上の3つの段階を包括した図として、金馬がまとめてみたのが下図である。

 一言で定義するなら、教科ごとに分かれたカリキュラム(分化、分科)への徹底した批判であり、学校カリキュラム全体を見通して、カリキュラムにコア(中心、中核)をもうけ、そこで活動(生活、経験)を広げ・深めることを目的とする中心課程(狭義にはここまで)に、その手段(用具、道具)として必要となった教科の知識、技能、態度を教えるための周辺課程、基礎課程他を、有機的に関連させた「総合」的・「統合」的なカリキュラム、ということになる(日本教育方法学会編『現代教育方法事典』図書文化、2004年の金馬担当項目、p.534)。

 今の用語で言い換えれば、総合的な学習、特別活動など(探究活動)をコアとみなし(狭義)、他の教科の知識・技能(要素の習得)などをできるかぎり関連付けること(活用の場面など)で、全体に統一性・総合性をもたせたカリキュラムのデザイン(広義)というものになろう。

 さらに三層四領域というものは、コアに関する異なる説(コア連の初代委員長・石山脩平のいう問題解決課程、副委員長・梅根のいう生活実践課程)が出されたところで、両方ともそれぞれ中心と基底に位置づけ、その上に周辺を全て基礎課程(または系統課程)として乗せて3つの層とし、4つの領域で串刺しにしたカリキュラム図である。

 梅根こそこうした図表を提案し深めた一人だが、とくに重視したのは生活指導にあたる基底であった。コアを生活指導ととらえ、三層論に至っては生活実践課程(または日常生活課程)をとりわけ強調したのである。奈良師範学校女子部・奈良教育大学附属小学校の「吉城プラン」が典型とされた。

 いずれにしても、「総合的なイメージ」を描き、自在にカリキュラムの要素どうしを絡めて、カリキュラムの全体をデザインしたのがコア・カリキュラムだった。様々な要素を全て、一つの図のうちに包括し、統合・総合・集大成しようとした試みで、理論的にもなるがそれだけに前に進める。「見える化」(図表化)されるので、同僚どうしで議論し合え、様々な図表が描き上げられてきたのだ(各学校のそれらのカリキュラム計画(プラン)から精選し、復刻した専門書が、金馬国晴・安井一郎(・溝邊和成)編『戦後初期コア・カリキュラム研究資料集』クロスカルチャー出版、である〔第1~3巻=東日本編・2018年、第4~6巻=西日本編・2019年、第7~9巻=附属校編・2020年最新刊、第10~12巻=中学校編・2021年予定〕)。

コア・カリキュラムはなぜ必要か

 以上のような構成論を、梅根は一見「形式的」に語った。だが、誰かが主張したものとして教育史上の学者と共に論じ、彼らの意図や想いを物語っていったのだ。

 コア・カリキュラムでいうならば、子ども(たち)の人格の全体性であり、彼らがやりたい興味から出発するという意図である。だが梅根は児童中心主義や経験主義を狭く見ず、そこから出発してこそ必要なことは学べるし、教えるべきだと考えた。しばしば教科を超えてカリキュラムが総合的になり、さらに子どもが今は自覚していなくとも、生活に影響しているような社会問題にも、連続的につなげていけると主張したかったのではないか。梅根が当初副委員長、後に委員長となる日生連が1950年代に掲げた「子どもにおいて目標をみる」がよく表している発想だ。つまり、子どもの興味や生活から出発するが、それは何でもいいのでなく、地域や社会の問題につながる芽を見出してこそ、燃え上がる活動になっていく。今のコロナ禍や災害の多発を、梅根はどう見るのだろう。

 現在も、コア・カリキュラムはあるか。上越カリキュラムは自覚して継承し、横浜の時間は形態としてはコア・カリキュラムに近いといえる。また、部分的に、教科と教科(領域)を、ある単元に括って結びつけるとき、またいずれかの教科(領域)をコアにしようと思ったときに、コア・カリキュラムへと切り換えていく道を、かつ新教育を継承していく道を、歩み始めたことになろう。

 梅根『世界教育史』のサブタイトルが「人間は人間を幸福にできる、その考え方の歴史」であり、平和と民主主義を追究していった梅根の歴史観を想起しつつ、本稿を閉じたい。

 

■参考文献(本文に載せた以外)

・梅根悟『世界教育史』新評論、初版1955年、新装版2003年
・広石英記編『学びを創る・学びを支える─新しい教育の理論と方法』一藝社、2020年

 

Profile
金馬国晴(きんま・くにはる)
 1973年生。一橋大学社会学部卒、東京大学大学院博士課程単位取得退学。横浜国立大学教授。カリキュラムの全体構成を見通す視点・発想を重視しつつ、戦後初期のコア・カリキュラム、現在の生活科・総合的な学習他を研究する。最近ではESD やSDGs、防災・安全教育、道徳性の教育、自学自習を中心に考えている。

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