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職員室の人間関係づくり

有村久春

職員室の人間関係づくり[第2回] 先生の居場所

NEWトピック教育課題

2020.10.02

職員室の人間関係づくり[第2回]
先生の居場所

東京聖栄大学教授
有村久春

『新教育ライブラリ Premier』Vol.2 2020年8月

身の処し方

 以下は、ご存じ漱石の『草枕』※1の冒頭部分です。その読み解きには、処世術を学ぶヒントがあります。

 山路を登りながら、かう考えた。

 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。

 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。矢張り向う三軒両隣にちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行く許りだ。人でなしの国は人の世よりも猶住みにくかろう

 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故ゆえに尊とい。(下線:有村)

 人が人と〈かかわること〉の厄介さや愉しさには、漱石が生きた時代を超えて今の社会にも変わらぬ思索の価値があるように思います。ここに漱石自身が描く人間模様を私たちの教員生活の職務風景に映し替えると、ほぼ重なり合う感情が漂うことに気付きます。この味わいが人の世の常でしょうか?

 いうならば、人間性のバランス(智の角&情の流)、異動による自己変革(住みにくさと引っ越し)、役割分担による職務遂行(三軒両隣にちらちらする唯の人)、人の相互存在の安らぎ(人でなしは猶住みにくい)、寛恕の心持ちと職責(住みよくせねばならぬ)、専門性の再発見(天職が出来る・使命が降る)、先生力への尊厳(芸術の士は人の心を豊かにする)など、人間のすべを想起することができます。

 漱石は、いまの自分のいる場所・置かれた場所でどのような自分であろうとするのか、どのようにわが身を処したらいいのか思索を廻らしていたのでしょう。そこでは漱石ゆえに考え過ぎて、自らの処し方を見失うこともあったようです。彼の妻鏡子の語りを読み進めると※2、たびたび彼自身が神経を病み、家族を悩ませた事実を知ることもできます。

 また、当時の松山の中学や熊本の高校での教師体験が漱石の多様な魅力を引き出しています。それは喜怒哀楽のある自他理解の機微です。彼の人間観察眼と感性豊かな表現力に学ぶところが大です。

 今日でも教師は異動などによる環境の変化に自らの身の処し方を実体験し、〈よりよい先生・芸術の士〉に成長するものです。漱石にもこのような実際があったであろうことが彼の作品のいくつかにみられます※3。そこでのただならぬ自己への向き合いと他者との深い分析を多々学ぶことができます。

校長の教員面談

 「教員の異動は最良の研修」と語るスクールリーダーが少なくありません。知り合いのA校長先生から得た一つのケースを例示しましょう。

 A校長、この4月に異動してきたG教諭の存在に謙虚に学んでいるという。市教委からの内示の際、「前任校での同僚とのトラブルから職務に自信がないようです。ひとつA校長先生、よろしくご指導方を……」と添え言葉をもらう。この2か月、気になってG先生の動きをみているが、何やら心配なさそうだ……と。

(先週の放課後、校長室でG教諭と面談したときの概要:会話風にストーリー化。以下その一部)

A1:ご苦労様。どうでしょう、もう慣れましたか?

G1:はじめての異動(前任校・4年経験)で、しかもこのコロナの事態で戸惑いばかりです。

A2:なるほど……この事態では戸惑いますよね。

G2:そんな中、学年主任が「いま子供たちに会えないけど、気持ちを切り替えて少しずつやろう……」と話してくれたのでホッとしました。

A3:そうだったんですね。それはホッとしますね。

G3:はい。休み中の学習プリント案を学年会で提案したら、S先生や他の先生も「私も欲しい」と言ってくれました。増刷りしてお渡ししたら喜んでくれました。前の学校で使っていたアイディアですが……。そして導入部分の動画(理科教材)も紹介しました。

A4:そうですか。学年の先生もうれしいですね。とくにS先生は初任だから、G先生をなにかと頼りにしているようですよ。動画も参考になりますね。先生はIT関係の研究も得意と聞いています。確か教員になる前に3年間IT企業にいたのですね。

G4:はい、そうですが……まだまだ勉強中です。そのことがいまの仕事に活かせれば……。そのときは企画の下っ端でやっていただけですから。子供との授業でしっかり使えるようにしたいです。先日パソコン室で少し作業させてもらいました。一応の機材がそろっていますからとても助かります。子供たちに役立つ教材を考えたいです。

A5:それはよかった。もし何か注文でもあったら主幹のW先生と話し合ってほしいですね。

G5:はい。プログラミングの部会でW先生と一緒ですから。W先生に勧められて市教委のICT夏研修に申し込みをする予定です。また、休業中の授業の遅れも気になっています。いまは目の前の課題を子供たちと一緒に取り組みたいです。やっと子供の名前も覚えたところです。

A6:なるほど。今後の計画も立っているのですね。そうです。子供たちも自分の名前を先生に呼んでもらうと意慾的になるものですね。(略)

 A校長からの話で、G教諭は前任校でパソコン室に閉じこもりがちで、職員室に寄り付かなかったようです。また、校内研究の際にある教員のICTの授業方法に必要以上に介入しすぎて同僚たちから嫌悪感をもたれたとのことです。これらがトラブル要因になり、職員室で浮いた存在になったようです。

 この会話記録にあるように、A校長はG教諭と構えなく自然な語り合いをしています。Aの1・2・3などはG教諭の語りにそのままに向き合い、その言葉を繰り返すように応答しています。そして、A4でG教諭の得意分野の理解度をそのままの感じ方で開示しています。この反応がG4の安心感のある語りに繋がっています(二人の関係性の強化)。

 さらに、A5で校長として経営的視点から具体的に助言し(主幹との話し合い)、G5の反応にみられるG教諭の先生力を引き出しています(研修会への申込や遅れている授業への取組み策など)。A6もG教諭の今後の行動を評価し、具体的な教育実践力や子供論を高めていると思われます。

 A校長のG教諭とのかかわり合いをどのように理解するでしょうか。本誌の前号でも述べましたが、不安や緊張感のあるクライエントにはカウンセリング感覚のある応対が効果的です。そこでの共感体験が生きるエネルギーになります(第1回;図4参照)。Hearという聞き方よりも、Listenという聴き方をすることでしょう。ゆっくりと傾聴することです。

〈疎〉に生きる

 いま、コロナ事態にあって、ソーシャル・ディスタンス(social-distance:社会的距離)のあり様が問われています。感染症対策として「密」を避け、「疎」であることです。人と人との関係にあるベクトルを多様な方向に拡大・拡散することを求めています。職員室での空間はいかがでしょうか?

 〈新常態:newnormal〉として、私たち個々に受け入れられ社会生活にも溶け込みつつあります。いままで慣れ親しんでいたコロナ前の〈常態〉が、ここ数か月で一気に別世界のものに造り替えられるのでしょうか。私たちがありのままに認識している思考と感情が全く別物になっている感覚があります。

 カミュが『ペスト』※4でいう不条理への闘い、そして新たな共感と愛情の漂いなのでしょう。このウイルスはこれからも私たちの生き方に、〈未体験の密と疎の在り方〉を強いて来るのでしょう。かつての「黒死病」や「スペイン風邪」の危機のときも、その後の生活様式の変化や文化創造の起爆剤になってきた面があることも理解できるところです※5

 40年も前のこと、コンピュータが私たちの世界にも現れました。そのときの専門家の一人が、「これを使いこなすにはあなたの言語と思想をゼロにする必要がある」と語っていたことを思い出します。発想のチェンジの必要性を指摘したのでしょう。この出現以来、私たちはこれに依存し、それがもたらす多様なパフォーマンスの果実を共有しています。

 ここ20年にあっては、さらに巨大なネットワークをつくりあげ、地球の各所にある3M(Man、Material、Money)が瞬時に離合集散することが可能になっています。その結果、私たちは愉しく豊かな生活を手にしています(また飽くなき欲望も)。

 しかし、なんと理不尽なことでしょう。いまの世にはびこるゼロの主は、私たちの生活の基盤を圧倒的な不安感に陥れています。人間にある無抵抗な意識世界に自由自在に侵入しているのです。3Mを押しのけ、私たちの言動とこころを変貌させる〈彼独特の自尊の塊〉を容赦なく発揮しています。彼の有能な潜在力であり、生きる力なのでしょうか?

 ゼロの主よ、いつまでそうするのですか。私たち人間は落ち着ける居場所を欲しています。いますぐにでも……。その時期が知りたいのです。知ってどうする?という反応でしょうか。それとも〈私たち人間と共存したい〉と言うのでしょうか。

 彼は言うでしょう。「いまの事態はもっとも必然なのです。みなさん人間が私自身を創出し、私を自在な行動者に仕立て上げたのですから……。いまの私は居心地がいいのです」と。(それは困ります)いや困らなくてもよいでしょう。彼が飄然として傍に居ても……。居ることが当たり前でありそれがノーマルであると、私たちがありのままに受け容れることでしょう。あえて構えなくていいのでしょうね。

 stopcoronaや打倒コロナではない、withcoronaの発想に立つことなのでしょう。この考えにマインドシフトするに当たり、私たち人間の〈こころ〉の本質を改めてチェックしてみようと思います。

こころの居場所

 約100年前、フロイトは私たち人間の深層にある〈無意識の存在〉を教示しています※6。こころのあり様をどのように覚えるのか?彼なりの臨床的手法(精神分析)で深く探究したものと思います。いまの理不尽さを思考するのに役立ちそうです。

 フロイトの理論を紹介している土居健郎の『精神分析』※7に学ぶと、私なりの理解として図1(筆者作成)のように表現できると考えています。

 フロイトの作業仮説によれば、人間の精神構造は〈イド(エス)〉〈自我〉〈超自我〉の三つから成るといいます。イドは精神の最も原始的な基層であり本能的な欲求です。identity形成の基盤になります。自我は日々の生活適応(例:衣食住)そのものです。超自我は人間社会の道徳性や社会性が私たちの精神に反映され顕在化しているものです。

 特にイドは性本能(libido:性欲のエネルギー)に支配され、日常的には無意識(わからない・気づかない・意識してはいけない)の状態にあるものです。ときには恥ずべきものとして存在しています。このイドをいまの自分(自我)がコントロールしようとします。これがうまく作用すると安心感がうまれ、勉強や仕事に集中できます。知覚や思考そして運動の機能なども活性化します。ときとして、うまく作用しなくなると不安や悩みが生じるでしょう。するとこころの痛みや強いストレスを味わいます。

 この自我がよりよく(良&善)意識的に自覚できると、外界とのかかわりも適切に教化された自己像を認識することになります(超自我の形成)。そこには自らの言動にしっかりと向き合い、構えなく自己評価できている自分があります。自己肯定感や自己信頼感(自信)も共有できます。この営みにはとりわけ両親の〈教え・しつけ〉が、その子の自我形成のプロセスによりよく摂取されて内在化していくことになります。その所産として、現実の自分を受け止める力量や社会性の獲得などいわゆる〈大人の常識〉の蓄積がみられるようになります。

 やや飛躍した言い方かもしれません。この3層をバランスよく身に付け、適時適切に出し入れできる「先生」は自らの居場所を獲得している人といえます。〈教育者としての所作〉を有している人といえるでしょう。子供一人一人にこころ豊かにかかわる専門職として、先生自らの身の処し方を心得ている人でしょう。フロイトはあるとき、「正常な人間にできなくてはならないことは何であろうか」と問われて、そっけない口調で「liebenuntarbeiten」(愛すること、働くこと)と端的に答えたといいます※8

 このように、自分なりのこころの居場所(愛)を見つけていくプロセスにはいくつかの節目があるように思います。フロイトの論から考えると、私たち人間は両親の性の営みによる命の受胎から、社会人になるまでにおよそ〈4つの愛〉を獲得していくものと思われます(図2:筆者作成)。読者の方々には特段の説明は不要であろうと思います。各人が多様に読み解いていただけるとうれしいです。

 

[注]

1 夏目漱石著『草枕・二百十日・野分』(『定本 漱石全集』第3巻)岩波書店、2017年、p.3

2 夏目鏡子述・松岡譲筆録『漱石の思い出』文春文庫、1994年(例えば、「19別居」や「22小康」など)

3 『坊ちゃん』に描かれる同僚や生徒たちとのかかわりや『野分』の白井道也の飄然とした職の去り方など

4 カミュ著、宮崎嶺雄訳『ペスト』新潮文庫、2020年

5 山本太郎著『感染症と文明』(岩波新書、2011年)、詫摩佳代著『人類と病』(中公新書、2020年)などを参照。

6 竹田青嗣編、中山元訳『自我とエス』(『自我論集』ちくま学芸文庫)1996年、pp.201-272

7 土居健郎著『精神分析』講談社学術文庫、1988年8 E.H.エリクソン著、仁科弥生訳『幼児期と社会1』みすず書房、1977年、p.340

8 E.H.エリクソン著、仁科弥生訳『幼児期と社会1』みすず書房、1977年、p.340

 

Profile
有村久春(ありむら・ひさはる)
 東京都公立学校教員、東京都教育委員会勤務を経て、平成10年昭和女子大学教授。その後岐阜大学教授、帝京科学大学教授を経て平成26年より現職。専門は教育学、カウンセリング研究、生徒指導論。日本特別活動学会常任理事。著書に『改訂三版キーワードで学ぶ特別活動生徒指導・教育相談』『カウンセリング感覚のある学級経営ハンドブック』など。

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有村久春

東京聖栄大学教授

東京都公立学校教員、東京都教育委員会勤務を経て、平成10年昭和女子大学教授。その後岐阜大学教授、帝京科学大学教授を経て平成26年より現職。専門は教育学、カウンセリング研究、生徒指導論。日本特別活動学会常任理事。著書に『改訂三版キーワードで学ぶ特別活動生徒指導・教育相談』『カウンセリング感覚のある学級経営ハンドブック』など。

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