“普通にいい授業”を創る [第5回]授業づくりのパラダイムシフト
トピック教育課題
2023.03.30
“普通にいい授業”を創る
[第5回]授業づくりのパラダイムシフト
上智大学教授
奈須正裕
学制150周年に生じた劇的な変化
“普通にいい”授業について考えてきましたが、学制発布150周年を迎えた今日、授業づくりの基盤的条件に劇的な変化が生じつつあります。GIGAスクール構想に伴い、みなさんの学校にもすでに届いている一人一台端末と高速大容量のネットワーク環境です。
もちろん、これらはただのモノなので、それ自体がみなさんの授業をただちに変えることはありません。みなさん自身がこれらのモノを、授業づくりという自立的で創造的な営みにどのように組み込んでいくかによって、何がもたらされるかはすっかり違ってきます。
結論から言えば、従来の枠組みや発想の下で使おうとする限り、効果はほとんど得られず、かえって授業や学びの質が低下することの方が多いかもしれません。新たなテクノロジーは常に、その特性をしっかりと踏まえたパラダイムの下で運用される必要があるのです。
学校教育の過去・現在・未来のモデル
ここで参考になるのが、1990年にブランソンが来るべき情報化社会を見据えて提起した図のモデルです。教師があらかじめの正解を一方的に教え込む「口頭継承パラダイム」という過去のモデルから、1990年時点では教師と生徒、生徒と生徒の間で双方向のやり取りがなされる「現在のパラダイム」への移行が完成していました。なお、ブランソンはアメリカの学校の現状に基づき、生徒間の相互作用は二次的なものであるとして、わざわざその箇所の矢印を点線にしていますが、日本の授業ならば、堂々と太い実線で表していいでしょう。
とは言え、そんな日本の授業も含め「現在のパラダイム」では、生徒は常に教師を介してのみ、学習の対象である「経験」や「知識」に出合うよう制約されてきました。これに対し、未来のモデルである「情報技術パラダイム」では、生徒が教師を介することなく、一人ひとりの都合とタイミングで「知識データベース」や「エキスパートシステム」にアクセスし、各自が必要とする「経験」や「知識」と出合い、自立的・個性的に学びを進めていきます。
もちろん、そこでの学びは個別的ではあっても「孤立」的ではなく、子どもが自発的に生み出す豊かで自然な対話や協働を伴いながら展開されます。子どもは面白いことを発見すれば友達に話そうとしますし、友達も楽しみながら聞き、いい発見ができてよかったと自分ごとのように喜んでくれます。また、困っている仲間がいれば放っておけません。その際、上から目線で「教えてあげる」などということはあまりなく、自身の存在や行為が仲間の学びを少しでも支えることができる可能性を、何よりの幸いと感じるものです。
「現在のパラダイム」では伝達者、ゲートキーパーの役割を担い、情報のコントローラーを全面的に掌握していた教師は、その役割を学びのコーディネーター、ファシリテーターへと大きく変貌させていきます。そうなると、もはや過剰な権威も不要となるでしょう。「生徒になめられないことが肝心」などといった非教育的な言説は、学校からすっかり放逐されるに違いありません。
教室にやってきた未来
ただ、このようなパラダイムシフトを実現し、自立的・個性的な学びを日常化するには、子どもたち一人ひとりが自在に活用できる情報端末と、ストレスなくクラウドにアクセスできる高速大容量のネットワーク環境が不可欠です。ブランソンがモデルを提起した1990年時点では夢のような話だったでしょうし、だからこそ「未来のモデル」なのですが、これが2022年の日本の学校では、すでにほぼ完璧に実現されています。
これこそがGIGAスクール構想の真価であり、個別最適な学びに際し、2021年1月の中教審答申が「子供がICTも活用しながら自ら学習を調整しながら学んでいく」(17頁)ことを強調する真意です。一人一台端末がほぼすべての授業で自立的・個性的に使われている学校と、週に何回かのみ、しかも一斉画一的にしか使われない学校の違いは、このようなパラダイムシフトの実現状況に全面的に依存しているのです。
学制発布から150年。ついに授業づくりの基盤が大きく変わるときが来ました。
Profile
奈須正裕 なす・まさひろ
1961年徳島県生まれ。徳島大学教育学部卒、東京学芸大学大学院、東京大学大学院修了。神奈川大学助教授、国立教育研究所室長、立教大学教授などを経て現職。中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会会長。主著書に『子どもと創る授業』『教科の本質から迫るコンピテンシー・ベイスの授業づくり』など。編著に『新しい学びの潮流』など。