聞いて! 我ら「ゆとり世代」の主張 [第4回] 教師という生き方について

トピック教育課題

2023.02.27

聞いて! 我ら「ゆとり世代」の主張
[第4回] 教師という生き方について

愛媛大学教育学部附属中学校教諭
薬師神吉啓

『教育実践ライブラリ』Vol.4 2022年11

我ら「ゆとり世代」?

 現在は、21世紀生まれの教師が誕生しようかという令和の時代ですが、私は、1988年(昭和63年)生まれ、教員生活12年目の34歳です。

 さて、誰が呼び始めたのか分かりませんが、私は所謂「ゆとり世代」にギリギリ含まれる世代のようです。今回、このような機会をいただきましたが、自分が「ゆとり世代」であるという自覚が薄かったので、まずは「ゆとり世代」について少し調べてみました。諸説あるようですが、「ゆとり世代」とは、学習指導要領が改訂された「2002年から2011年の間に義務教育を受けた世代」を指す言葉のようで、ちょうど生活科や総合的な学習の時間のスタート、完全学校週5日制が採用された時期でもあります。

 「聞いて! 我ら『ゆとり世代』の主張」ということですが、私自身、「ゆとり世代」というくくりに対して、特別に嫌な思いをしたことも、良かったと思ったこともありません。しかし、いろいろと調べていると、ゆとり世代には、「ストレスに対する耐性が低い」「競争意識が低く安定志向が強い」などの特徴がみられるらしいのですが、あまりピンときません。ただ一つ言えるのは、「あの人は、ゆとり世代だから」ということは、(多分)無いのではないかということです。それは、自分が理解できない他者に対して、何か理由を付けてひとくくりにしたい人が張り付けた単なるレッテルでしかないのではないでしょうか。少なくとも「我ら」の意志ではなく、いつの間にか「ゆとり世代」として一つにくくられ、判断されてしまうことそのものに違和感があります。

 中学校には様々な個性を持った生徒たちがいます。「最近の生徒は」とひとくくりにしたくなることもありますが、「多様性を尊重し合う現代の社会において、一人ひとり異なる環境で学び、成長してきた一個人である」ということを前提に接することが大切であると今回の執筆を通して改めて思いました。

エージェンシーを育む

 中学生の時に総合的な学習の時間で取り組んだ内容については、ほとんど覚えていません。地域の歴史について調べたり、発表したりした記憶はうっすら残っていますが、何について調べたか、どんな発見や学びがあったのかについては、全く覚えていません。覚えていない理由はたくさんあるのでしょうが、思い浮かぶ理由の一つに、受け身で授業を受けていたことがあります。調べた内容やまとめ方も、先生がやり方を教えてくれるのを待って、言われるがまま、素直に取り組んでいたのだと思います。

 現在勤務している中学校では、今年度から「エージェンシー(理想の実現に向けて現状をよりよくする力)を発揮して、変革を起こす力を持った生徒の育成」を研究主題として取り組んでいます。変化が激しく、先の見通しの持ちにくい時代、知識を詰め込むだけでは対応できないこれからの社会において、生徒たちが幸せな人生を送るための力を身に付けさせるために、どうすれば主題に迫れるのか。まだまだ手探りではありますが、新しいことに挑戦しようとすることに、日々刺激を受ける毎日です。

今後の抱負について

 私は、技術科を専門としています。以前の技術科といえば、木材や金属を加工したり、はんだ付けでラジオを作ったりするイメージがありましたが、技術の進歩や時代のニーズと共に、生物育成やプログラミングなど、内容が大きく変化している教科です。絶対的な正解ではなく、最適解を求め続ける教科として、これからの時代に必要な力を生徒に身に付けさせることができる教科です。また、教科書に載っている内容だけでなく、先人の知恵や創意工夫、新しく生み出され続ける物や事に対して、常にアンテナを張っていないと、あっという間に取り残されてしまう教科でもあります。

 愛媛県の多くの学校では、技術科の教師は各校に一人です。私自身、初任者の時から一人で学級担任、部活顧問、授業準備にと、目が回るような毎日で、本当に教職を選んでよかったのか、悩んだこともありました。未だに自分のことで手一杯で、余裕はありませんが、いつの間にか後輩も増え、様々な場面で責任ある立場に立たせてもらえるようになり、「自分のことだけ」では不十分な立場になりつつあると感じています。悩んでいる若い先生に声を掛けられるのは、同じような経験をしてきた私たちではないかと思うのです。先に生きてきた者として、これまで以上に先生たちと個々のつながりをつくり、後進の育成や、頼ったり頼られたりできるネットワークづくりにも力を入れていきたいです。

教師として「働く」ということ

 最後に、まだ10年そこそこしか教師を経験していない私ですが、教師として「働く」ことについて、考えていることを書きます。

 教師の「働き方」についての議論が活発に行われるようになって久しく、最近は、講師の先生のお話を聞いたり、同僚の先生方と話題にしたりする機会が増えてきました。「働き方改革」は何を目指しているのでしょう?「効率的に仕事をこなし、時間的な余裕を作ること」「心身共に健康的な生活を送ること」「自己実現に向けて、仕事以外の喜びを見つけること」などなどいろいろな目的があります。しかし、最終の目的は「幸せに生きる」ことではないでしょうか。作業効率を重視したり、無駄を省いたりすることは大切です。しかし、それを理由に一蹴できない部分が教師にはあると思うのです。

 「教師」を単なる労働であり、仕事であると割り切ることができれば、すっきりする部分があるのかも知れません。しかし、教師をしていて思うことは、学級や授業で生徒を目の前にすると、生徒のためになると信じることができれば、時間や労力はある程度度外視して頑張れてしまうということです。そして、だからこそ教師は面白いし、一度しかない貴重な人生をかける価値があるのだと思います。

 「あなたの職業は?」と聞かれたら、当然「教師です」と答えます。しかし、これは給与を得ることだけを目的として時間を切り売りしているのではなく「生き方として教師を選んでいるし、そのことに誇りを持っている」と胸を張って言えるような教師でありたいのです。

 思いつくままに偉そうなことを書きましたが、まだまだ理想とする教師になるための道のりは遠く険しいものです。それでも、いつか振り返ったときに「この道を進んできて良かった」と胸を張って言えるような人生を歩んでいきたいと思います。

 

 

Profile
薬師神吉啓 やくしじん・よしひろ
 1988年愛媛県宇和島市生まれ。家業の八百屋を継ぐか迷ったが、一度教師をやってみたいということで愛媛大学教育学部へ進学。2011年に技術科の教員として採用され、愛媛県松山市立鴨川中学校で教師生活をスタート。2018年度より、現職である愛媛大学教育学部附属中学校にて勤務。生徒たちに、技術の持つ価値と、考えることの面白さに気付いてもらうため、日々の授業改善に取り組んでいます。今年度は、学生指導部長として、主に教育実習生の指導を担当しており、これまで以上に「教師とは何なのか」を考える日々を送っています。
●モットー
人としてかっこよく生きていきたいじゃないか。

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