連載 vol.96「つながる」力 巡る縁~コロナ療養期間で振り返る人とのつながり~【上田康平(北海道・旭川市職員)】
地方自治
2024.02.19
目次
本記事は、月刊『ガバナンス』2022年3月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
所属等は執筆(掲載)時点のものです。
※本コラムは主に自治体職員によるネットワークのメンバーがリレー形式で執筆します。
新型コロナウイルスの感染拡大の勢いが止まらない。
かくいう私も本稿の執筆日現在、PCR検査で陽性となり、療養期間の真っ只中にいる。
それでもスマホ一つあれば、世の中の状況をニュースで確認できるし、職場への健康報告もチャットアプリを起動させれば容易にできる。便利だが不自由だ。自分が隔離されている状況に変わりはないのだから。
これまで、こんなにも人との接点が薄れる日々を過ごす経験をしたことはなかった。むしろ、「接点があることについて無意識であった」という表現の方が正確かもしれない。ふと、この「無意識」を意識したとき、これまでの人との出会いが思い起こされた。中でも、昨年の旧友(以下、「N」)との再会は印象的だった。
私とNとは小学生の時に出会った。家も近所にあり、頻繁に遊んだ仲である。ところが中学校への進学を機にそれぞれ別の進路を歩んでからというもの、互いに連絡を取る機会もなく、20年以上の年月が流れた。ある日、私は、ネット上での記事でNの近況を知ることになる。Nは高校を卒業後、国内外で活躍していたが、東日本大震災を契機に生まれ故郷に戻り、中心市街地の再生をはじめ、まちの賑わいづくりを手掛けているというのだ。この記事を目にしたとき、胸が熱くなったのは、私がまちづくりに携わる市職員だったからという理由だけだろうか。
さらに昨年、偶然Nとの再会の日が訪れる。私が担当している業務で、民間事業者との打ち合わせを行う際に彼が同席していたのだ。年齢を重ねているが面影は昔のまま。形式張った名刺交換の際には、若干の恥じらいと、懐かしさがあった。同時に、互いの活動の場は異なるが、共通のプロジェクトに関わることができたことに感慨深いものを感じた。
一度の出会いが巡って再びつながることもある。人との縁は自己を成長させてくれるきっかけであり、財産である。「怪我の功名」というべきか、私の療養期間は、日々の人との出会いと縁の大切さを改めて考える機会となった。
(北海道・旭川市職員/上田康平)