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地域疫学研究における自治体と市民|政策トレンドをよむ 第29回

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2025.09.05

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    【書影】月刊 地方財務 2025年8月号

    月刊 地方財務 2025年8月号
    特別企画:「骨太の方針2025」と地方創生・地方行財政
    編著者名:ぎょうせい/編
    販売価格:3,960 円(税込み)
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    【政策トレンドをよむ 第29回】
    地域疫学研究における自治体と市民

    EY新日本有限責任監査法人 FAAS事業部
    吉澤 剛

    ※2025年7月時点の内容です。

     疫学研究とは、地域社会や特定の人間集団を対象に、病気の発生頻度や分布を調査し、その要因を明らかにする医学的な研究である。地域疫学研究は、単に地域住民の健康課題を可視化するだけでなく、他地域との健康格差やその社会的要因を把握し、疫学的知見に基づく地域保健政策を推進することで、疾患の予防や早期発見、生活習慣病対策の実現が期待されている。疫学的知見は1980年代半ばから始まったエビデンスに基づく医療(EBM)における質の高いエビデンスの1つであるが、こうしたエビデンス重視の方針はそのまま保健政策に適用され、現在は他分野の政策にも展開されているEBPMの潮流を生み出した。

     1961年、九州大学では、当時日本で死亡率が最も高かった脳卒中の正確な診断を行うため、集団健診が実施できる地域を探していた。そこで選ばれたのが、住民の年齢や職業構成が全国平均に近く、福岡市に隣接する人口約9000人の久山町である。40歳以上の全住民を対象に、脳卒中や心血管疾患などの疫学調査が開始されたが、1969年には米国国立衛生研究所からの研究資金が打ち切られ、久山町研究は存続の危機に直面した。町はこの健診事業の重要性を強く認識し、議会で存続を決議、予算確保に尽力した。その後、町では保健師を増員し、他の自治体に先駆けて栄養士も採用。さらに1977年には全国に先駆けて「健康課」を新設し、大学との連携のもと、現在に至るまで健診・研究成果を生かした健康づくりを推進している。久山町では、九州大学との官学連携を基盤として2013年に久山健康づくり委員会を設立し、大学関係者、町議会議員、副区長に加え、町内の開業医もメンバーとして参加している。

     2011年の東日本大震災は、医療過疎に悩む東北地方の医療に深刻な打撃を与えた。翌年、被災地の医療再生と地域医療復興を目指し、東北大学に東北メディカル・メガバンク機構が設置された。同機構は、生体試料やデータを格納するバイオバンクを構築し、地域人材の育成、産学連携の促進、地域の雇用創出などを進めてきた。特に宮城県・岩手県を中心に、自治体は研究の協力主体かつ実践基盤として重要な役割を担い、研究の円滑な遂行、住民参加の促進、地域への成果還元に寄与している。また、15万人規模の住民から得た個別のゲノム情報に関しては、同意取得・匿名化・結果返却などの倫理的課題について、大学内外の専門家が継続的に議論を重ねている。同機構が宮城県内7か所に設置した地域支援センターでは、住民への詳細調査を行うとともに、地域保健・医療支援の拠点としても機能している。久山健康づくり委員会や地域支援センターなどの大学と自治体、地域住民をつなぐ中間組織に対し、より市民主体で大学や自治体を支援する事例もみられる。

     京都大学は、ゲノム医学研究を推進する中、2005年、滋賀県長浜市に事業計画を説明し、生体試料やデータの長期収集に向けた研究協力を要請した。学術研究を目的とする京都大学に対し、長浜市は市民の健康増進に寄与する取り組みとして受入れを決定したが、個人情報保護や倫理的課題をめぐり、大学と市の間で議論が重ねられた。この議論には専門家だけでなく、公募で選ばれた市民代表も参加した。2007年に長浜市健康推進課が国の研究助成を獲得し、地域に開かれたゲノム疫学研究のルールづくりが進められた。

     しかし、住民からの研究協力者の募集は思うように進まなかった。これを受けて、市民有志がボランティアとして協力を申し出、市職員とともに地域活動に熱心な市民や各地域の公民館を訪ね、協力を呼びかけた。その後、市民有志はNPO法人「健康づくり0次クラブ」を結成し、疫学研究を支援する市民団体として、大学・自治体・関係者をつなぐ重要な役割を担うようになった。長浜市としては、同クラブが全市民を代表するわけではないことから、共同研究におけるその立ち位置に戸惑いもあった。これに対し、同クラブは「同じ市民に協力を呼びかける以上、自分たちが納得しなければ協力できない」との立場を明確にし、大学や自治体とは異なる市民の視点を大切にしつつ、対等な関係性の構築を目指し活動を展開してきた。一般の市民であっても、良き社会の形成に向けて、自らの社会経験や生活実感に基づく「常識」をもって公の対話に参加し、社会的課題の解決に寄与することができる。それこそが、健康づくり0次クラブが15年以上にわたる活動を通じて培ってきた誇りであり、自信でもある。

     地域疫学研究は、単なる科学的営みにとどまらない。試料やデータを託す地域住民の思いや願いに応えるためには、大学や自治体が、長期にわたって丁寧な対話と協働を継続する姿勢が不可欠である。

    #1:責任ある研究活動支援 ~大学・研究機関のガバナンスの強化に向けて
    https://www.ey.com/ja_jp//industries/government-public-sector/responsible-conduct-of-research

    #2:研究データマネジメント支援 ~大学・研究機関における研究成果の幅広い活用のために
    https://www.ey.com/ja_jp/industries/government-public-sector/research-data-management

     

    〔参考文献〕
    (1)久山町「久山町生活習慣病予防検診60周年記念―手から手へつないできた60年」
    https://www.town.hisayama.fukuoka.jp/1/2443.html
    (2)東北メディカル・メガバンク機構ホームページ(最終閲覧日2025年7月1日)
    https://www.megabank.tohoku.ac.jp/
    (3)科学技術振興機構『JST News(2012年11月号)』2012年11月
    https://www.jstage.jst.go.jp/article/jstnews/2012/11/2012_5/_pdf/-char/ja

     

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