次代の学びを創る知恵とワザ 第1章 1 子供の育ちと学力

授業づくりと評価

2024.02.19

第1章 コンピテンシー・ベイスという思想
1 子供の育ちと学力

上智大学教授
奈須正裕

次代の学びを創る知恵とワザ

「にらめっこがいい」

 知り合いの幼稚園の園長先生から、面白い話を聞いた。

 あるクラスで劇をやることになったんだけど、多くの子が主役をやりたがるから、配役がなかなか決まらない。困った先生が「どうやって決めたらいいと思う」って尋ねたら、子どもたちから「じゃんけんで決める」「くじびきで決める」といろんな案が出た。

 そんな中、ある男の子が「僕はにらめっこがいいと思う」って言ったんだ。

 これを聞いて、あなたはどう思うかなあ。

 「みんな配役決めのことで一所懸命頭をひねっているのに、何をふざけてるんだ」って怒ったりしちゃいけないよ。子どもが言うことやすることにはね、必ずやそれなりの意味があるものなんだ。

 子どもはこうあるべき、そうでなければ直ちに指導するのが教師の仕事だなんて思っていると、どうしたってイライラすることが多くなる。一方、子どもが言うことやすることには必ずやそれなりの意味がある、だから、まずはその子のことを理解しよう、そしてそこを出発点に、一緒にいられるこのかけがえのない時間を少しでも充実したものにしようという心持ちでいれば、およそ腹が立つなんてことにはならない。

 だから、「ふざけてる」なんて頭から決めつけるのはやめにして、どうして「にらめっこがいい」って言うのか、それを知りたいなあって思った方がいい。より実践的にいえば、まずは子どものことを面白がるのが得策なんだ。実際、こんな場面で「にらめっこ」を持ち出すなんて、なかなかに面白いじゃないか。

 そして、面白いと思えば、さらに踏み込んで詳しく聞きたくなる。これは子どもとの間に対等で率直なコミュニケーションを生み出すから、それだけでもいいことずくめだ。先生が自分に関心をもってお尋ねしてくれるんだから、子どもだって嬉しいに違いない。

 実際、担任の先生も「面白いことを言い出すなあ」とは思ったものの、なぜ「にらめっこがいい」と言っているのか、そのココロがイマイチ読めなかったから、その子に尋ねた。

 「どうして、にらめっこがいいんだって思うの」

 すると、その子が大きな黒目を真っ直ぐに先生へと向けて、こう言ったんだ。

 「だってさあ、にらめっこだったら、負けた子が笑っているでしょ」

「にらめっこ」にたどり着くまでの思考の軌跡

 ほうら、やっぱり本人に詳しく話を聞いてみないとわからない。いやあ、まいった。『笑点』なら「座布団三枚!」と言いたいところだけど、今日のところはそんな風に流すんじゃなくて、しっかり立ち止まって考えてみよう。

 きっとこの子の中では、「にらめっこ」の前に「じゃんけん」や「くじびき」だって頭の片隅をよぎっていたに違いない。でも、それじゃあイマイチ弱い。なにかほかにいい方法はないか。そう考えたんだろう。そこがまず、「じゃんけん」や「くじびき」にたどり着いたところでよしとした多くの子たちとは一味違う、この子ならではのありようなんだなあ。

 では、なぜさらに一歩先まで思案を進めたのか。推測するに、この子には多くの友達が真剣に主役をやりたがっている気持ち、そして「なれなかったら悲しいな。でも、主役は一人だしな」などと考えてはドキドキしている様子が切実なものとして迫ってきてたんじゃないかなあ。「じゃんけん」や「くじびき」という意見が出る中で、じゃんけんに負けたり、はずれくじを引き当てた時のことを考え、そうなっても耐えようと健気に心づもりをしている気配なんかも、敏感に察知していたかもしれない。そんなみんなの気持ちを何とかうまい具合にまるく収める手はないかって、思案したんじゃないかって思うんだ。

 こんな風に目の前の状況を捉え、仲間の気持ちを思いやる中で、ふと「にらめっこ」が浮かんできた。ここまでたどり着くのに、随分と深く、またあれこれと考えを巡らせたに違いない。いずれにせよ、見事な問題解決だ。幼児教育的には素晴らしい「育ち」であり、うちの園の子どもたちもこんな風に育つといいなって、誰しも思うだろう。

この子の「育ち」は「学力」の現れか

 さて、この子が成し遂げた思慮深く粘り強い問題解決、そこにおける知性と社会性と情意が絶妙にブレンドされた発揮の姿について、こんな問いを発してみたい。

 これは、果たして「学力」の現れだろうか。

 「えっ。『学力』。いい『育ち』だけど、『学力』ってのは、ちょっと違う感じがする」

 多くの人が、少なからず違和感を抱くんじゃないかなあ。

 つまり、伝統的にはこの子の「育ち」、この問題解決について、「学力」という表現はあまり似つかわしくはない、と考えられてきたように思うんだ。また、だからこそ幼児教育では「学力」という言葉はあまり使われてこなかった。遊びや園の暮らしの中で、例示したような「育ち」はしばしば生じているし、それを望み、また積極的に生み出すべく先生たちは環境を整え、懸命に支援してきた。でも、そこで実現された姿について「学力」という言葉で表現することは、あまりしてこなかったように思う。

 でもね、この子の姿こそ、幼稚園教育要領も含めた二〇一七年版の学習指導要領、つまり幼稚園、小学校、中学校、高等学校、特別支援学校というすべての学校段階において実現を目指そうとしている「学力」が端的に現れた姿なんだって、僕は思う。

 この子は未知の状況に対し、持てる知識や経験を総動員して、極めて個性的で創造的な問題解決策を編み出した。この子は五歳だから、知識といっても生活経験から得たものが足場になっての問題解決なんだけど、もちろん、年齢が上がり、いろんな教科の勉強なんかも進んでくれば、それらを巧みに用いての問題解決になっていくだろうし、それが望まれてもいる。加えて、この子はただ合理的な問題解決を目指すんじゃなくて、その場に居合わせた人たちの感情や対人関係のことも勘定に入れながら、その解決によってすべての人がこの先、よりよくやっていけるような解決を目指している。

 これは、大人になって社会の中で生きていく上でもとっても大事なものだし、こういった問題解決が日常生活のさまざまな部面で常に行えたとしたら、なんてステキだろう。実際、仕事だってうまくいくし、地域生活や家庭生活だって円満に進み、誰からも人望を得られるに違いない。このことは、まずもって個人としての充実した人生をもたらす。そして、周囲の人たちを幸せにし、さらに社会をよりよいものにしていくことにもつながっていくだろう。

 こう考えると、この姿、この問題解決が「学力」じゃないなら、何が「学力」なんだろうって思ってしまう。なのに、「学力」という言葉はどうも似つかわしくないって、多くの人が感じる。この不可思議なことは、どこから、なぜ生じているんだろう。

 つまり、どうも伝統的な「学力」ってやつは、現実に人として生きていく上で大切になってくることとの間に、少なからず乖離があったんじゃないかってことなんだ。そして、だからこそ二〇一七年版学習指導要領では、そんな「学力」の意味合い、いわゆる学力論を大きく質的に拡張しようって話になってきたんだよ。

 というわけで、まずはあらためて「学力」ってなんだろうってあたりから、話を始めていくことにしよう。

 

 

奈須正裕(なす・まさひろ)
上智大学総合人間科学部教育学科教授。博士(教育学)。1961年徳島県生まれ。徳島大学教育学部卒、東京学芸大学大学院、東京大学大学院修了。神奈川大学助教授、国立教育研究所室長、立教大学教授などを経て現職。中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会会長。主な著書に『子どもと創る授業』(ぎょうせい)、『「資質・能力」と学びのメカニズム』(東洋館出版社)、など。編著に『新しい学びの潮流(全5巻)』(ぎょうせい)、『教科の本質から迫るコンピテンシー・ベイスの授業づくり』(図書文化社)、『教科の本質を見据えたコンピテンシー・ベイスの授業づくりガイドブック』(明治図書)など。

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