theme 1 子供が自ら学ぶ姿をどうイメージし、授業をデザインしていくべきか
トピック教育課題
2022.09.05
theme 1 子供が自ら学ぶ姿をどうイメージし、授業をデザインしていくべきか
國學院大學教授
田村 学
「個別最適な学びと協働的な学び」とは
令和3年1月26日、中央教育審議会は、「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して〜全ての子供たちの可能性を引き出す、個別最適な学びと、協働的な学びの実現〜(答申)」を出した。ここに示された「個別最適な学びと協働的な学び」とこれまで語られてきた「主体的・対話的で深い学び」とはどのように違うのだろうか。私は、本来期待していた豊かな学びは変わるものではなく、若干異なる文脈からの説明であると考えている。つまり、「主体的・対話的で深い学び」は、能動的な学習、いわゆるアクティブ・ラーニングの文脈から示された期待する学びの姿である。一方、「個別最適な学びと協働的な学び」は、一人一人の個に応じた学び、いわゆるアダプティブ・ラーニングの文脈から示された期待する学びの姿である。期待する豊かな学びをいくらか角度を変えて示していることであり、決して違うものを目指すようなことではない。これまでと同じ資質・能力の育成に向けて、粛々と授業改善を進めていくことと理解することができる。
このように考えるならば、教育を取り巻く状況が大きく変わる中、令和の日本型学校教育の構築として「個別最適な学びと協働的な学び」が示されたことの意味を理解することができる。子供が自ら学びに向かうことを大切にするとともに、一人一人の子供に応じた学びの充実に、今まで以上に気を配らなければならない。
答申で着目すべきは、「3. 2020年代を通じて実現すべき『令和の日本型学校教育』の姿」にある。ここでは、「一人一人の児童生徒が、自分のよさや可能性を認識するとともに、あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、多様な人々と協働しながら様々な社会的変化を乗り越え、豊かな人生を切り拓き、持続可能な社会の創り手となることができるよう、その資質・能力を育成することが求められている」としている。この表現は、今回の学習指導要領において位置付けられた前文と同じであり、方向性が変わるわけではないとしてきた先の記述と重なる。
自ら学ぶ姿をイメージすることがなぜ必要なのか
全ての教師が授業のイメージをもち、その授業を目指して実践の準備を整える。単元を構想し、授業展開を考えながら、学習指導案を作成していく。このときに、それぞれの教師のもっているイメージが、クリアーであればあるほど、その実践に迫りやすいことは言うまでもない。霧に包まれたような、ぼんやりとした授業を目指そうとしても、それは難しい。自分のクラスの子供一人一人が、本気になって学習活動に没頭する姿を具体的に思い浮かべることができる授業イメージであれば、その実現可能性は飛躍的に高まる。
このイメージする力は、それぞれが生まれながらに備わっているものではなく、日々の精進と努力によって確実に高めることができる教師の力であり、具体的には、授業を「行う、見る、語る」ことを意識的に行うことが欠かせない。それを繰り返す中で、一人一人の教師のイメージする力は確実に向上していく。
「子供が生き生きする授業を実現したい」「子供の成長が実感できる授業をしたい」と考えるのは、教師であれば誰もが同じであろう。教師の喜びは子供の成長やその姿にあり、それは日々の授業の積み重ねによって実現される。そうした授業を実現できる力を身に付けることが、多くの教師の願いであることは間違いない。そのためにも、質の高いクリアーなイメージを描くことができるようになることが欠かせない。
では、子供が自ら学ぶ姿とは、どのような姿なのか。それは、学習者としての子供が自らの学びをコントロールすることと考えると理解しやすい。学習する対象に興味や関心を高め、自ら前のめりになって学びに向かう姿は、多くの人が想像する自ら学ぶ姿であろう。加えて、大変だと思うことや少々面倒だと感じることであっても、必要であれば粘り強く取り組み続けることや、諦めずにやり抜くことも自ら学ぶ子供の姿と考えるべきであろう。そうした姿が安定して表れるようになるには、自分ごとの課題を、自分の力で解決し、その過程を自覚することが大切になる。さらには、成果を手応えとして実感することも大切になる。このことを繰り返すことで、子供は自分自身の力で学びをコントロールすることができる意志をもった子供として成長していく。
授業をデザインするにはどうすればよいか
前述してきたように、育成を目指す子供の姿を、クリアーで質の高いイメージとして描くことができるかどうかが授業デザインの生命線となる。その上で、具体的な授業を実現可能なものとして描き上げていく。まずは授業をデザインしていく手順、その次に、それぞれの場面ごとのイメージを明らかにしていく。
(1)ゴールイメージから授業をデザインする
資質・能力の育成には、プロセスの充実が欠かせない。つまり、一連の問題解決が連続していく学習過程の充実が大切になる。このプロセスにおいて、資質・能力は繰り返し発揮され続ける。そのことが資質・能力を確かなものとしていく。したがって、最終的に子供がどのような姿になっているのかという到達点を子供の姿で鮮明に描くことが大切になる。その姿のイメージがぼんやりしていると、目指す到達点に辿り着くことができず、這い回ってしまう危険性がある。この到達点を明確にするだけではなく、通過点を具体的にすることも必要になる。このことについては、単位時間の授業においても、単元においても同様である。
到達点の明確化と通過点の具体化で優先されるべきは、到達点の明確化と言えよう。到達すべきゴールが描けていなければ、途中の通過点を考えることは難しい。具体的に授業や単元をデザインしていくには、まずゴールを明確に設定する。次に、そのゴールに向かって子供たちが自ら問題解決を行っていくには、どのように学習材・教材と出合うかという導入の工夫を検討し、具体的な展開の構成を考え、終末を思い描いていく手順が考えられる。
(2)自ら学ぶ姿をイメージし、授業をデザインする
①導入のイメージ:「期待する学び」に自ら向かう導入の設定
資質・能力の育成のためには、思いや願いを実現し、目の前の問題を解決していくプロセスの充実が欠かせない。実際の社会で活用できる資質・能力の育成は、まさにプロセスの中で知識が繰り返し活用・発揮され、どのような場面や状況においても自在に使いこなせる状態になることをイメージするとよい。
そのためには、単元の導入、授業の導入が重要になる。一人一人の子供にとって、何の目的もなく、全く意欲も高まらない、教師によって定められた課題では、おそらくプロセスは充実しない。仮に、定型化されたプロセスを踏んだとしても、それはただ単にレールの上を走らされているだけに過ぎず、自発的に挑み続け、立ち向かう生き生きとした学びになるとは想像しにくい。
プロセスの充実には、導入場面における課題設定が重要となる。子供が本気になって真剣に立ち向かう課題を設定するには、次の二つの感覚を利用することが考えられる。一つは、違和感である。目の前に起きている事実と理想の姿とのずれ、既習の事実と目の前の現象とのずれなどを利用するのである。こうした「ずれ」は一人一人の子供にとっては違和感となって全身を覆い、身体を駆け巡る。そこには、「あれ?」「おや?」「なんで?」といった問いが生まれ、顕在化することとなる。そもそも子供の内面には、問いが内在している。そうした問いを引き出し、共有することで、主体的な学びは実現されるのであろう。もう一つは、憧れである。「あんなふうになりたいな」「あんな作品を創ってみたいな」とする憧れの感情は、その方向に向かうエネルギーを大きく増幅してくれる。目指すゴールがクリアーになり、その方向への道筋が見えることが、学びへの重要な動機付けとなるのであろう。一人一人の子供の姿、表情を思い浮かべながら、導入のイメージを明らかにし授業をデザインしていきたい。
②展開のイメージ:「音声言語の内化と外化」を通して、知識を構造化する場面の整備
期待する方向に向かい始めた学びを一層充実したものにするためには、プロセスにインタラクション(相互作用)を位置付けることが考えられる。学びのプロセスにおいて、より多くの知識や情報、より異なる知識や情報が加わり、プロセスは質の高いものとなっていく。たくさんの事実に関する知識は構造化され概念となって形成されていく。手続きに関する知識は様々な場面や状況と結び付いて自在に使える能力となっていく。こうしたつながりは活用と発揮によってもたらされる。プロセスの充実とそこでのインタラクションは、知識の活用と発揮をもたらし、結果としてつながり構造化された知識を生成することとなる。
したがって、豊かなインタラクションを充実させるためには、異なる多様な他者との音声言語を使った対話をすることが有効である。授業において、対話を積極的に行っている学校の中学生が話してくれた。
「先生の話を聞いているときは、理解しようとしているけれど、友達と話し合っているときは、新しい考えを創り出そうとしています。自分の考えを創り出すときには、自分の知識と友達の知識と外部資料を使っています」
また、別の学校の子供はディスカッションの後、「私は、話し合う方が好きです。楽しいです。ずっと先生の話を聞いていると自分の考えが詰まっていくような気がします。自分の考えを言えるとすっきりします。思っていたこと、たまっていたことが言えると「すーっ」とするんです。「すーっ」として、違う考えが出てくるんです。自分の知っていることや気になることが次々に出てくる感じです。そして、だんだん詳しくなっていくように思います。それが、わかるってことかな。さらに詳しくなっていく感じです」
多くの子供に好評な対話の場面では、いかに状況を整えるかが重要である。話し合いのしやすい雰囲気やメンバーの構成、用意する話題や情報の可視化、そうした一つ一つが子供が本来持っていた学びに向かう力を発揮させ、質の高い対話を実現するのであろう。ここに示した他者は、文献やネットワーク上の情報も含めて考えることが大切になる。その意味では、一人一人の子供が友達や地域の人だけではなく、時間や空間を超えて様々な情報にアクセスする姿をイメージし授業をデザインしていきたい。
③終末のイメージ:「文字言語による自覚化」のための振り返り場面の構成
プロセスとインタラクションに加えて、もう一つ重要な要素がリフレクション(省察)になろう。自らの学びを振り返り意味付け、価値付ける。そのことを丁寧に行うことこそが、知識の構造化を確実にする。構造化された知識は、活用だけではなく定着にも向かう。単元や授業の終末に振り返りをしっかり行うことには大きな価値がある。
ここでは文字言語を使うことが欠かせない。音声言語は緩やかに広がるという特性があり、異なる多様な情報を交流したい場面では最適といえよう。一方、文字言語は明示され自覚しやすい。加えて、記録として残すこともできることから共有することにも向いている。この音声言語と文字言語を巧みに使い分けることがプロセスの質を高めていく。
毎時間の授業の振り返りについて、子供はこう話していた。
「書くことは、別に大変ではないです。だってたくさん話し合ったから、書くこともたくさんあります。書いていると考えがまとまっていくので、いいことが多いです。書いているときには、何を書くのかを探したり、選んだりしています。自分の考えの変化を見付けたり、理由を考えたり、つなげて整理したりしていきます。だから記憶にも残るような気がします」
単元や授業では、多くの知識や情報を獲得する。そうした知識や情報は単体のままではなかなか機能しにくい。つながり構造化して、精緻化していくことによって、異なる様々な場面で使いこなせるものとなり駆動する状態に向かう。また、安定し定着にも向かう。そこでは、一人一人が熟考する丁寧な内省が大切になる。また、アナログデータだけではなくデジタルデータにすることで個別に蓄積したり、共有したりして活用できることもイメージに加え授業をデザインしていきたい。そのためにも、学習活動で心がけることは一つ一つの言葉の粒を、どのように組み立て、どのような塊を創るか考えることである。この組み立てる局面が対話であり、学びの成果物としての塊を創る局面が振り返りと考えると理解しやすい。そして、そうした学びのプロセスを推進していく源泉となるのが導入における課題や問いということになろう。
Profile
田村 学 たむら・まなぶ
1962年新潟県生まれ。新潟大学卒業。上越市立大手町小学校、上越教育大学附属小学校で生活科・総合的な学習の時間を実践、カリキュラム研究に取り組む。2005年4月より文部科学省へ転じ生活科・総合的な学習の時間担当の教科調査官、15年より視学官、17年より現職。主著書に『思考ツールの授業』(小学館)、『深い学び』(東洋館出版社)、『平成29年改訂小学校教育課程実践講座総合的な学習の時間』(ぎょうせい)、『「深い学び」を実現するカリキュラム・マネジメント』(文溪堂)など。