ホンキの『カリマネ』実現戦略
ホンキの『カリマネ』実現戦略[最終回]カリマネの要「PDCAサイクルのD」授業研究のポイント
トピック教育課題
2021.06.17
ホンキの『カリマネ』実現戦略[最終回]
カリマネの要「PDCAサイクルのD」授業研究のポイント
村川雅弘
甲南女子大学教授
(『新教育ライブラリ Premier』Vol.6 2021年3月)
『新教育課程ライブラリ』(2016年)から足掛け5年、連載を担当した。特集を含めると64本の原稿を書いてきた。学習指導要領改訂、新型コロナウイルス感染症、GIGAスクール構想等、激動の中、学校現場や教育委員会、教育センター、大学の関係者と共に工夫し、取り組んできた成果発信の場であった。このような場を得たことで、ともすれば埋もれてしまう実践を意味付け、価値付けることができた。改めて株式会社ぎょうせいと萩原和夫氏にお礼を申し上げたい。
連載最後をどう締め括るかを考えあぐねた。その結果、「原点回帰」に至った。連載期間中だけでも、総合的な学習の時間やICT教育、主体的・対話的で深い学び、教員研修、カリキュラム・マネジメント、コロナ禍対応など、様々な課題に取り組んできたが、中核は授業づくりである。カリキュラム・マネジメントに関しても、PDCAサイクルのDの中に小さなpdcaサイクル、つまり、教師による不断の授業づくり・授業改善がある。それを意図的・計画的・組織的に行うのが授業研究である。ワークショップ型校内研修でも核となるのは授業研究である。
特に、新学習指導要領(GIGAスクール構想を含む)が目指す授業づくりにかかわる授業研究において、どのようなポイントで参観・検討していけばよいのかを整理してみたい。「学力向上に繋げる授業研究の見方12の処方」1と合わせて読んでいただければ、より有効と考える。
[注]
1 村川雅弘編著『学力向上・授業改善・学校改善カリマネ100の処方』教育開発研究所、2018年
育成を目指す資質・能力の意識化を図る
今次改訂では、育成を目指す資質・能力の三つの柱が示され、各教科等の目標もそれに基づいて設定されている。授業の中でもどの程度、どのように意識させているかを見ていきたい。
筆者がかかわっている学校では、授業の冒頭で「どんな力を意識して使うか」を確認する場合が多い。連載の中でも何度も取り上げた兵庫県淡路市立志筑小もその一つである。授業の冒頭で「学習の流れ」を確認した後、「ルーブリック」を児童と共に考える。教師がめあてを示すと、「もっとこういうことをできたらいい」と児童から出てくる。子どもからの方がより具体的で高度な場合が多い。子ども自身が考えためあては黒板に示されているので、常時意識して取り組むこととなる。授業の振り返りにおいても、めあてがどの程度達成できたかを確認することができる。
横断的・縦断的に学びを繋げる
カリキュラム・マネジメントの3側面の一つ目が教科横断的な教育課程編成であるが、1単位時間の授業においても意識することが求められる。
まず、研究授業においては、指導案に単元全体や本時における他教科等との関連が記述されていることが多い。授業者がどう具体的に計画しているのかを見て取ることができる。
もう一つ確認すべきは、主にその教科や総合的な学習の時間におけるタテの繋がりである。特に、系統性が強い算数・数学あるいは理科などでは必須である。筆者は、総合的な学習の時間においても、その日の授業にかかわる体験や学びを明示することが重要であると考える。例えば、『学校教育・実践ライブラリ』(Vol.9、2019年12月)でも紹介したが、志筑小の防災に取り組む5年生は、校区に暮らす高齢者一人一人の状況(一人暮らしなのか、家はどのような場所にあるのか、家のどこで寝ているのか、家から避難所までの避難経路の様子はどうなのか、など)を具体的に名前を挙げて発表していた。4年の時の高齢者福祉の学習が生きている。
教科等間のヨコの繋がり、学年間のタテの繋がりを教師が意識し授業計画を立てること以上に着目するのは、これまでの体験や学びの繋がりにかかわる子どもの意識である。子どもの発言から見て取ることができる。その時は、授業者は確認「どうしてそう考えたの」や価値付け「前に学習したことを使ったのね」、賞賛「すごいね」を行いたい。子どもたちの繋がりへの意識を高めることとなる。教師が教育課程全体、単元全体、そして本時においてタテとヨコの関連を事前に計画することは必要だが、子どもの発言から捉え生かしていくことはそれ以上に重要である。子どもが気付いているのにそれを教師が見過ごしてしまうという残念なことだけは避けたい。
主体的・対話的で深い学びの手立てと姿がある
「主体的・対話的で深い学び」は今次改訂の新規のキーワードの一つであるが、「いい授業だったね」と誰もが言いたくなるような授業の大半は「主体的・対話的で深い学び」である。事実、筆者が大学2年の時に視聴した小学校6年の理科授業もまさに「主体的・対話的で深い学び」であった。その後も数限りない素晴らしい授業に出合ってきたが、そのいずれもが「主体的・対話的で深い学び」であった。言葉は新しいが既に存在していたものである。
子ども一人一人が、自信がなくとも曖昧でも自己の考えを持ち、その考えを他者に伝え、対話を通して、より豊かで確かなものへと更新していく。それが深い学びである。無から有は生まれない。わずかでも不確かでも「考えのタネ」があるから、それが豊かで確かなものとなる。
その際に、安心して表現・伝達できるためには受容的な関係づくりが重要となる。資料1はある中学校のものであるが、「これもカリマネのP」と紹介することが多い。学校が目指す授業づくりの基盤が、教師と子どもとで共有化されている。
研究授業の中から「主体的・対話的で深い学び」の子どもの姿や手立てを見つけ出し、授業研究の中で対話を通して確認し合い、より豊かで確かなものにしていきたい。