学び手を育てる対話力
学び手を育てる対話力[第7回]言葉を交わさない対話的学び
トピック教育課題
2020.02.17
学び手を育てる対話力
[第7回]言葉を交わさない対話的学び
東海国語教育を学ぶ会顧問 石井順治
(『学校教育・実践ライブラリ』Vol.7 2019年11月)
話し言葉のない対話的学びも
言葉を交わさない対話はあり得ない、だれもがそう思いがちです。しかし、対話的学びは話し言葉を介さなくても可能です。いえ、場合によっては、話し言葉によるものより深い学びが実現できることもあります。
私たちは、自らの意思を他者に伝え、他者の意思を受けとめ、互いの意思のかかわりからよりよいもの、さらに深いものを見つけ出そうとするとき対話を行います。そのときのツールはほとんどの場合、話し言葉ですが、書き言葉でも意思のつながりはつくれます。音声を発しない動作・身振りではどうでしょうか。そう考えてだれもが気づくのは手話です。手話が人と人をつないでいる場面を思い起こせば、それがいかに大切な対話のための手段であるか理解できるでしょう。
要するに、対話は、他者の存在を意識し、他者とともに生きようとする心持ちがあれば、さまざまな行い方によって可能になるのです。ですから、教室においてもさまざまな方法を講じるべきで、間違っても対話とは話し合いという固定的な考え方をしないようにしたいものです。
書き言葉を介した対話的学び
中学校3年生英語、Arnold Lobel作の『Frog and Toad Are Friends』という絵本に収録されている「The Letter」(翻訳本『ふたりはともだち』においては「おてがみ」という題名。小学校の教科書に掲載されている)をテキストにした授業でのことでした。教師が提示した課題は、「あなたがFrogならToadに向かってどんな手紙を出し、それをどんなふうに読んであげますか」でした。
その日の授業では、すべての子どもがすでにToadに対する英文の手紙を書き終えていました。そのうえでそれをバージョンアップし、Toadに向けて英語で読めるようにするという学びでした。そのバージョンアップのために、書き言葉を介した対話的学びが行われたのです。
教師は、自分の書いた手紙を机の上に広げ、各グループを一つひとつ巡って自由に読んで回り、気に入った英文の表現を学んでくるように指示しました。子どもたちは、クラスメイトの書いたものを次々と見ていきます。食い入るように見つめる子ども、急いでメモしている子ども、その手紙の書き手を探して何か質問している子ども、一つの手紙を二人で見て何か語り合っている子どもなどさまざまです。つまり子どもたちは書かれている文字を媒介として、その文を書いた仲間と心の中で対話し自分自身とも対話していたのです。
その結果、たとえば、たった一人の子どもしか書いていなかった「cheer up(元気出して)」がバージョンアップによって何人もの子どもに広がっていったり、英文ではどう書いてよいかわからず日本語でしか書けていなかった子どもが3行にも及ぶ英文を書くことができたりしたのでした。
一般に、英語科に限らず、子どもたちに何か書かせた場合、そのうち何人かの子どもに読んで発表させることが多いのですが、それではすべての子どもが自分の意思で対話的に学ぶことはできません。それに対して、このやり方だとすべての子どもが対話的学びを実行できます。話し言葉より書き言葉のほうが効果的なこともあるのです。
表情・仕草による対話的学び
四人グループで取り組んでいるときでした。四人の子どもはそれぞれに考えているようなのですが、そのうちの一人が何も話そうとしませんでした。プリントにも何も書いていません。そのことに他の子どもたちが気づき、こう声をかけました。
「◯くん。わからんことあるの? 困っていることある?」
この後、彼は自分のわからなさを出し、そこから考える道筋を見つけることができたのですが、そこには表情から何かを察した仲間のかかわりが存在していました。
もちろん、こういう子どもが自ら「これ、どう考えたらいいの?」と尋ねることができるようになるのが理想です。けれども、その前段として仲間の表情・仕草から何かを察知できる子ども同士の関係が必要なのです。
ある学級でのことでした。授業が半ばに達したとき、子どもたちの考えがある一つの傾向に収束していこうとしていました。そのとき突然、一人の子どもが手をあげました。全員が注目します。その子は立ち上がります。しかし言葉が出てきません。何をとう言ってよいのかわからないようです。けれども、今、収束しかけている考えに納得していないということはその表情から感じ取れます。そのとき、子どもたちがすぐグループを組んで、収束しかけていた考えでよいのかどうか再度考え始めたのです。当然、何かを言おうとした子どものグループでは、その子どもの考えを訊きだそうと額を寄せ合っていました。
これらの事例を目にすると、対話的学びは、話し言葉だけでは不十分だということがよくわかります。教科によっては話し言葉ではない方がむしろ大事だということもあります。美術の授業において、仲間の描いた作品や制作中の作品から学ぶ場面を設けるなどはそのよい例でしょう。授業に当たっては、話し言葉以外の手段ででも学び合う機会を積極的に設けるようにすべきです。
そのために大切なことがあります。それは、確かな課題意識に基づく聴き合うかかわりをつくることです。それがあれば、たとえ話し言葉にならないもの、話し言葉以外で表されたものであっても、仲間の心の内に生まれているもの、仲間が表そうとしていることに気づくことができるからです。それが自分の考えと異なるものであったとしても、想定外のものであったとしても。
聴き合うということは、互いの考えを双方向に伝え合うということです。ということは他者を尊重する聴き方がお互いにできているということです。対話的学びに不可欠なのはそういう他者関係なのです。
教師はそういう他者関係のある学級をつくらなければなりません。それには、子どもよりも先に教師こそが子どものさまざまなものを感じ取る感覚を身につけるよう心掛けたいものです。
Profile
東海国語教育を学ぶ会顧問
石井順治
いしい・じゅんじ
1943年生まれ。三重県内の小学校で主に国語教育の実践に取り組み、「国語教育を学ぶ会」の事務局長、会長を歴任。四日市市内の小中学校の校長を務め2003年退職。その後は各地の学校を訪問し授業の共同研究を行うとともに、「東海国語教育を学ぶ会」顧問を務め、「授業づくり・学校づくりセミナー」の開催に尽力。著書に、『学びの素顔』(世織書房)、『教師の話し方・聴き方』(ぎょうせい)など。新刊『「対話的学び」をつくる 聴き合い学び合う授業』が刊行(2019年7月)。