学び手を育てる対話力
学び手を育てる対話力[第11回]「対話力」が未来をつくる(1)
トピック教育課題
2020.05.07
学び手を育てる対話力
[第11回]「対話力」が未来をつくる(1)
東海国語教育を学ぶ会顧問
石井順治
(『学校教育・実践ライブラリ』Vol.11 2020年3月)
Society5.0時代教育への転換
今の中学生が社会人として生きる10年後、小学校低学年の子どもなら20年後、そのとき社会はどうなっているのか、その想像力なくして学校教育は推進できません。ただ、現状のシステムにどっぷり浸かり目の前の子どものことに追われる教師にとってそれは容易なことではありません。
最近、Society5.0という言葉が未来社会を語るキーワードのように言われるようになりました。この言葉は、2016年、第5期「科学技術基本計画」において内閣府が提唱した言葉で、狩猟社会(Society1.0)、農耕社会(Society2.0)、工業社会(Society3.0)、情報社会(Society4.0)に続く社会のことです。それは、現在進行中の第4次産業革命で行われている、ビッグデータ、IoT、AI、ロボットなどの技術革新によって生み出される社会のことです。それが進展する10年後、20年後の学校のありようが現在と同じであるはずがありません。
もちろん、学校教育がいきなり大転換するわけではありません。だからどうしても悠長に構えてしまうことになるのでしょうが、考えなければいけないのは、今、目の前にいる子どもたちは確実にSociety5.0の時代を生きることになるということです。学校の変化の歩みが緩やかだからといって、子どもたちへの責任を考えたとき、教師は、もっと積極的に時代に適合した教育に取り組んでいかなければならないのではないでしょうか。
本連載で述べてきた「学び手を育てる対話力」は、Society5.0時代において中心的に求められる資質です。探究・プロジェクト型学習による主体的・創造的学びにおいて、対話力が決定的に必要であり、その対話力を有する学び手こそ時代が求める子ども像だからです。
私はここまで、前述したようなこれからの時代を見据えながらも現状の学校でできることは何かという観点で述べてきました。それは主体的・対話的で深い学びの実現であり、そのために、当面、一斉指導型に偏った授業の見直しと、対話的に子どもが自ら学ぶ学びへの転換がなんとしても必要だと思ったからです。
けれども、なかには、目の前のことを大切に思うあまり何年も先の時代とつなげて考えることができなくて、授業改革に手をつけられない教師がいるのです。その人たちのためにも、もちろんすべての教師のためにも、Society5.0時代への転換をもっとはっきり見据えなければならないのではないか、そして、その実像が見え始めた今こそ、何が大切で何が問題なのか見極めなければならないのではないか、そう思うようになりました。
AIによる教育で懸念されること
次の時代の学び方のカギを握っているのはICTです。文部科学省が小学校5年以上1人1台タブレットという環境にするために予算化するというニュースが流れましたが、そのことからしてもそう断言してよいのではないでしょうか。
ICTの活用は、さまざまな場面でさまざまに想定されているし、これからさらに子どもの学びにとって意味ある活用法が検討されるでしょう。それはそれで必要なことです。
ただ、看過できない一つの情報を耳にしました。その前兆はテレビのコマーシャルで目にしたパソコンに向かって一人で学ぶ子どもの姿にあったのですが、そういう学び方が学校で行われるようになるかもしれないというのです。
Society5.0時代においてICTの活用が欠かせないことは理解できます。「超スマート社会」と言われるこの時代ではその便利さが人間の生活をある意味豊かにしてくれるでしょう。けれども、私たちが考えなければいけないのは、こうした変化によって大切なものが失われないように、その変化を人間の未来にとってよりよいものにしなければならないということです。
パソコンの前に座って個人個人で学習するという学び方は「主体的・対話的で深い学び」と相反する学び方です。ですから、どうしてそういう活用法が出てきたのか不思議でした。
そしてわかってきたのは、そのような学び方は知識の獲得と習熟においてのみ行うよう検討されているということでした。だとしても、そこにはいくつか懸念されることがあります。それらを列挙してみることにします。
知識を獲得し理解を深めようとするとき、必ず「わからなさ」にぶつかります。その「わからなさ」に向かって思考する過程が学びを深めるのですが、AIはその過程に寄り添ってくれるのでしょうか。効率を優先し、先へ先へと誘導される学び方になったとき、そこで得た知識・理解は生きたものにはなりません。苦労せずに得たものほど危ういものはないのです。
知識獲得にも子ども独特の発想があり子どもによる発見もあります。わかる・できるに特化したAIによる学びでそれはどうなるのでしょうか。人間の発想を受け止め、ともに思考するAIは実現可能なのでしょうか。
他者の思考とつなげ、他者の考えと切磋琢磨したり、自分にはない考え方から学んだりすることで学びは深くなるのですが、AI相手の学びがそういう他者関係を必要としないのだとしたら、学びが痩せたものになるのではないでしょうか。本質的な学び、人間的な学びが、他者と協働しない個人的なものになることで消えてしまうのではないでしょうか。
知識獲得はAIで人間的なものは探究的な対話的学びでという割り切り方はありえないことです。獲得した知識と探究的学びは往還するからです。その二つは分断できないのです。
AIによる学習を学校教育に導入するとき、こういう懸念をどのように払しょくするかはとても重要なことです。その際、学びとは何か、AIと人間性との関係について、深く専門的な研究を必要とします。それを怠ってはならないでしょう。
もちろん、ICTの活用は探究的・対話的学びにおいても考えなければなりません。その学びこそ、Society5.0時代が求める人間力を育むものであるだけに重視すべきです。それは本連載最終のVol.12に譲ることにします。
Profile
東海国語教育を学ぶ会顧問
石井順治
いしい・じゅんじ
1943年生まれ。三重県内の小学校で主に国語教育の実践に取り組み、「国語教育を学ぶ会」の事務局長、会長を歴任。四日市市内の小中学校の校長を務め2003年退職。その後は各地の学校を訪問し授業の共同研究を行うとともに、「東海国語教育を学ぶ会」顧問を務め、「授業づくり・学校づくりセミナー」の開催に尽力。著書に、『学びの素顔』(世織書房)、『教師の話し方・聴き方』(ぎょうせい)など。新刊『「対話的学び」をつくる 聴き合い学び合う授業』が刊行(2019年7月)。