徴収の智慧
徴収の智慧 第49話 滞納者との接触
地方税・財政
2019.12.16
徴収の智慧
第49話 滞納者との接触
元横浜市財政局主税部債権回収担当部長
鷲巣研二
「思い込み」
以前本欄で「『言葉』は真実性の証(あかし)でもなければ、担保にもならないから、処理の方向性を判断するのは、あくまでも調査によって収集した資料であるべきであり、その意味で滞納整理における主役は、調査と処分なのであって、折衝は脇役に過ぎないと認識する必要がある。」と述べたことがある。今でもこの基本的なスタンスに変わりはないが、地方税の滞納整理の実情を見てみると、処分の前には滞納者と接触を図るべきだとする信仰にも匹敵するほどの強い「思い込み」が徴税吏員にあるように思えてならない。これは大いなる誤解だと思うし、そもそも税の性格に照らしてもおかしなことだと思う。
税務事務の特徴
言うまでもなく、税は公共サービスの原資として最も基幹的な財源であり、それ故に税務事務の特徴的な性質として大量反復性が挙げられる。この特徴的な性質のゆえに、徴税吏員には例外的に自力執行権が付与されているのである。だからこそ、租税法律主義(憲法第84条)の下、税の賦課徴収については、法律に基づいて行われることが厳格に求められているのである(「租税の賦課徴収の手続きは、法律で明確に定めることが必要である」昭和60年3月27日最高裁大法廷判決ほか)。税法を見てみれば、課税にしろ、徴収にしろ、それぞれに厳格な要件が定められているのは、それを運用する徴税吏員の想いや感情などの主観が入らないように、ほとんどの場合、要件への当てはめが求められており、一部の不確定概念や、法律で細目を定めていない場合などを除けば、徴税吏員による裁量の範囲は極めて限られている。このことからすれば、法律が徴税吏員に求めているのは、滞納者と接触し「話し合うこと」ではなく、調査したところの事実に基づいて法定要件への当てはめをすることだということがわかる。
そもそも租税債権債務は、当事者である課税庁と納税義務者との契約(申込みと承諾)によって成立するのではなく、法定要件に該当する事実が納税義務者につき認められる場合に成立する(課税要件法定主義)のであって、民事債権とは、その成立につき根本的な構造が異なっている。滞納整理において、滞納者と一切話してはならないといった極論を言っているのではない。租税法律関係においては、その成立した債権債務に関しては、課税庁と納税義務者との話し合いによってこれを変更したり、条件をつけたりすることなどできないということである。そうすると、そもそも滞納整理において徴税吏員の側から積極的に滞納者との接触を試みる必要があるのだろうかという疑問が湧いてくる。滞納整理の手続については地方税法と国税徴収法で法定されているから、これと異なる手続を執ることは許されない。冒頭で述べたとおり、滞納者からの申出は主観的なものであったとしても一応耳を傾けるものの、それ自体客観性や真実性を具有するものではないから、それに基づいて処理の方向性を判断することはできない。
滞納者との接触は実務上の配慮?
処分の前には滞納者との接触を図るべきだとする考え方の背後には、一応滞納者の言い分にも耳を傾けたという「ガス抜き」をしたとか、滞納者の言い分も聞かずに問答無用で一方的に差押えをしたとの批判をかわすためにワンクッション設けたという実務上の配慮(?)だと言えなくもない。つまり、滞納処分を執行すれば、それに対する滞納者からの反発も予想されるから、それに対する予防策として、「だから、事前にあなたの話にも耳を傾けたし、(差押えの)警告もしたでしょ」という実績づくりをしておくという程度の意味だというのである。もしもこの通りだとするならば、「処分の前には滞納者との接触を図るべきだ」との考え方の主たる意図は、恐らく処分に反発するであろうと予測される滞納者への事前対策としての意味があるのだろう。
滞納整理においては、滞納者と接触する機会があったとしても、徴税吏員と滞納者との間で交わされる話の核心は、滞納原因、収入、支出、保有資産の内訳、納税の意思に絞るべきなのであり、滞納者の感想や想いなどを聞いたところで整理の方向性は判断できないのである。