徴収の智慧
徴収の智慧 第11話 差押えは最後の手段?
地方自治
2019.07.04
徴収の智慧
第11話 差押えは最後の手段?
滞納整理と「事なかれ主義」
地方税の滞納整理では、こんにちにおいてさえ少なからぬ地方団体で、滞納者と折衝をして分納に持ち込むといった旧態依然の手法が、今なお罷り通っているのではないか。そして、そのようなところでは、差押えは滞納整理の最後の手段であるとの意識を持った徴税吏員が幅を利かせているのではないかと思われる。こうした意識の深層には、「滞納者にも何らかの事情があるからこそ納期限までに納税できないのだろうから、まずは折衝によってその辺の事情を確認することから始めて、その上でそれぞれの事案に相応しい整理の方法で臨むべきである」といった一見正論らしきものから、「滞納者との間でトラブルを起こしたくない。できればそうした事態は避けたい」といった本音に近いものまで、その理由とするところは恐らくさまざまなのであろう。実は、滞納整理の進捗を阻んでいる真因は、この「滞納者との間でトラブルを起こしたくない。できればそうした事態は避けたい」という「事なかれ主義」にこそあるのではないか。
折衝と分納中心の滞納整理の背景にあるもの
地方税の滞納整理におけるこうした憂慮すべき実態の背景には、このような徴税吏員自身の意識のほか、昭和30年代から平成の初期に至るまでのいわゆる高度経済成長期の税を取り巻く社会経済環境という大きなバックグラウンドも大いに影響を及ぼしているのではないかと思う。すなわち、法の厳格な適用による確実な徴収に依らずとも、当時は、好調な経済環境に加えて納税者の高い遵法精神にも支えられ、「それなりに」税収が確保されていたため、行政需要に伴う歳出が税収を中心とした歳入を上回るというような緊急事態は生じなかったし、そのような危惧すらほとんど感じられなかった時代状況だったのである。
時代が生んだ歳入確保の要請
ところがその後、土地神話の崩壊や急激な円高による輸出産業の疲弊、世界同時不況による株価の大幅下落、デフレの長期化、リーマンショック等々の激震がわが国の経済を波状的に襲い、それに伴って国のみならず地方財政の状況も急激に悪化の一途を辿った。そのため増え続ける行政需要を賄うに足るだけの税収を確保することが困難となるに及び、それを起債によって補うという状況が半ば常態化してしまっているのが現状である。このような状況が続く中で当然のごとく「歳入確保の要請」が強まり、とりわけ歳入の中心である税収の確保が、取組みを強化すべき喫緊の課題となってきたわけである。このような必然ともいうべき時代の要請が行政の背中を押して滞納整理の取組み強化へと向かわせているのである。昨今、多くの地方団体で従来にも増して滞納整理の研修に力が注がれているのは、税を取り巻くこうした状況の変化があるからだろう。そのこと自体は今の時代状況からすれば当然の流れであるし、的確な税務行政の推進という観点からも望ましいことである。
悪質な滞納者だから差し押さえるのではない
しかし、注意すべきは、こうした研修の場で、「差押えは(滞納整理の)最後の手段であるから、その前に折衝による説得を尽くすべきである」とか「差押えという方法は、いわば“劇薬”なので、できれば使わない方がよい。意図的に税を逃れようとするなど悪質な滞納者にのみ限定して差押えを執行すべきである」などといった誤った指導をしてはならないということである。
税法を見れば明らかであるが、差押えは、滞納者が悪質だから執行するのではない。税法が規定しているのは、滞納処分にしろ、納税緩和措置にしろ「要件」であって、滞納者の状況が、この「要件」を満たしているか否かということが重要なのである。悪質な滞納者であるか、そうでないかなどという主観的な要素は、滞納処分とは無関係である。例えば、差押えについていえば、ある滞納者について「督促状を発して10日経っても完納しない場合」という要件を満たしていて、財産があるのであれば、徴税吏員は、このような滞納者については、その財産を差し押さえなければならないのである。この場合、徴税吏員には、差し押さえないという選択肢は許されていないのである。