感染症リスクと労務対応

弁護士法人淀屋橋・山上合同

【労務】感染症リスクと労務対応 第30回 「ウイルスに感染するのが怖いので、出社したくない」という従業員の申し出について

キャリア

2020.07.07

新型コロナウイルスに関連して、給料、休業補償、在宅勤務、自宅待機など、これまであまり例のなかった労務課題に戸惑う声が多く聞かれます。これら官民問わず起こりうる疑問に対して、労務問題に精通する弁護士(弁護士法人淀屋橋・山上合同所属)が根拠となる法令や公的な指針を示しながら、判断の基準にできる基本的な考え方をわかりやすく解説します。(編集部)

「ウイルスに感染するのが怖いので、出社したくない」という従業員の申し出について

(弁護士 大川恒星)

【Q30】

 弊社には、緊急事態宣言を受けて、「ウイルスに感染するのが怖いので、出社したくない」と言っている法務部員がいます。どのように対応すればよいのでしょうか。

【A】

 特措法の緊急事態宣言が行われて、未知のウイルスの感染拡大の可能性は高まっています。よって、労働契約時に予定されていた生命・身体に対する内在的な危険の程度を超えているという評価もあり得るところです。したがって、原則的には、業務命令ではなく、会社内外のできる限りの感染防止策を講じたうえで、従業員の同意の下、出社をお願いすべきでしょう。やむを得ず、業務命令で行う場合にも、このような感染防止策を講じたうえで、初めて強制が可能になると考えられます。出社を拒否する従業員への対応について、周辺的な事柄を整理しつつ、以下解説していきます。(*本記事は2020年4月下旬時点の状況に基づいて執筆しています)

「緊急事態宣言」とは

(1)  新型インフルエンザ等対策特別措置法
 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、令和2年4月7日、東京都、大阪府等の7都道府県を対象区域として緊急事態宣言が行われて、同月16日、対象区域は全国に拡大しました。
緊急事態宣言の法令上の根拠は、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」(以下、「特措法」といいます)です。特措法は、風邪や季節性インフルエンザ等ではなく、一般に国民がその免疫を獲得していない「新型インフルエンザ」という未知のウイルス対策として、平成24年に制定されました。「えっ、新型インフルエンザ? 新型コロナ対策のために法律をつくったのではないの?」と疑問をもたれた方もいらっしゃるのではないかと思います。新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、従前から存在する特措法の附則を改正し、特措法2条1号に定義される「新型インフルエンザ等」を「新型コロナウイルス感染症」とみなして、新型インフルエンザ対策に制定した特措法を、そのまま新型コロナウイルス対策にも適用できるようにしました。「手抜きの法律だ」「新型コロナウイルス対策の実態に即していない」との批判があるのは、このような理由からです。この改正法は令和2年3月13日成立、翌14日に施行されました。

(2) 緊急事態宣言
 緊急事態宣言については、特措法32条に規定されています。政府対策本部長(特措法16条1項に基づき、内閣総理大臣となります)は、「その全国的かつ急速なまん延により国民生活及び国民経済に甚大な影響を及ぼし、又はそのおそれがあるものとして政令で定める要件に該当する事態」が発生したと認めるときは、緊急事態が発生した旨と緊急事態措置を実施すべき期間・区域、緊急事態の概要を公示する、つまり緊急事態宣言を行うものとされています。
 緊急事態宣言の下、特定都道府県知事(緊急事態措置の対象区域の都道府県知事を指します)は、臨時の医療施設を開設のために所有者や占有者の同意がなくても土地等を使用することができる(特措法49条2項)等の強制力を伴う措置を行うことができるとされています。もっとも、特措法は基本的には「お願い」ベースの法律となっており、住民への外出禁止や、施設使用やイベント開催の制限または停止についても、「要請」となっています(同法45条1項)。この点で、諸外国で行われている「ロックダウン」とよばれる罰則付きの外出禁止令とは根本的に異なる内容となっています。
 今後も、新型インフルエンザ、新型コロナウイルスのみならず、未知のウイルス対策として、特措法が用いられる可能性はあります。

出社を拒否する従業員への対応

(1) 出社を命じる業務命令の限界
 従業員は労働契約に基づき賃金を対価に労働提供義務を負っています(労契6条)。したがって、原則、使用者は、正当な理由なく出社を拒否する者に対し、「業務命令」をもって出社(就労)を強制することはできます。また、その命令に従わない場合、当該従業員は懲戒処分の対象となります。
 しかし、この業務命令も無制限ではありません。この本問では、従業員は、緊急事態宣言を受けて、ウイルス感染の懸念、つまり生命・身体に対する安全を踏まえて出社を拒否しています。そこで、従業員の生命・身体に対する安全の観点から、業務命令の限界を考えてみたいと思います。
 基本的な考え方を述べますと、上記のとおり、従業員の労働提供義務は労働契約に基づくものですので、生命・身体に対する危険が、労働契約時に予定されていた程度を超えた場合には、その状況下で労働を提供することは契約上予定されておらず、つまり労働提供義務はなく、業務命令によって出社を強制することはできないと考えられます。
 職種や業務内容に応じて労働契約時に予定されていた生命・身体に対する内在的な危険の程度はそれぞれ異なります。たとえば、高所で働くとび職の大工さんが、単に「高いところが怖い」というだけでは就労を拒否することはできないでしょうし、要人警護をするガードマンが、単に「不審者に襲われるのが怖い」というだけで就労を拒否することはできないでしょう。本問に即して、ウイルス感染について例をあげると、医師や看護師が、単に「病院で感染するのが怖い」というだけで病院勤務を拒否することはできないでしょう。というのも、彼らは、このような業務に伴う生命・身体に対する内在的な危険を引き受けて、労働契約を締結したといえるからです(ただし、使用者は従業員に対して安全配慮義務を負っていますので(労契5条)、別途、従業員の生命・身体に対する危険を防止する措置を講じる必要があります。)。

(2) 本問における対応
 では、本問の法務部員の場合はどうでしょうか。
 病院で働く医師や看護師とは異なり、その職種や業務内容に照らして、ウイルス感染の内在的な危険を引き受けているとは直ちにいえないように思います。とはいえ、風邪が流行っている時期に、「風邪に罹りたくないから」といって出社を拒否することはできないでしょう。風邪の流行は例年の出来事ですし、風邪はそれ自体で死に至る病ではなく、予防法・治療法も確立しており、出社によってウイルスへの感染の確率が高まるとはいっても、そのようなリスクは社会的に受容されていると考えられます。したがって、当該従業員が持病を抱えており、風邪に罹ると身体に危険が生じるなどの特別な事情がない限り、業務命令をもって出社を強制することはできます。このようにウイルス感染といっても、ケースバイケースで判断する必要があります。
 本問では、特措法の緊急事態宣言が行われて、未知のウイルスの感染拡大の可能性は高まっています。新型コロナウイルスを例に考えれば、世界中で感染が拡大し、多くの死者を出し、諸外国ではロックダウンが行われるなどの異常な事態に発展しています。日本でも、感染が拡大し、とうとう緊急事態宣言が行われて、外出禁止等が要請される中、最近では医療崩壊についても報道されるようになりました。また、いまだ解明されていないものの、新型コロナウイルスについて、感染力の強さ、若年層でも重症化するリスク、致死性の高さ等が報道されています。以上に鑑みれば、出社時に、また社内で人と接触するなどにより、感染、重症化し、それが生命・身体に対する危険を及ぼす可能性については否定できません。よって、労働契約時に予定されていた生命・身体に対する内在的な危険の程度を超えているという評価もあり得るところです。したがって、原則的には、業務命令ではなく、時差出勤で通勤時の人混みを避ける、ローテーション勤務で社内勤務する従業員の数を減らし人の密集を避けるなどの会社内外のできる限りの感染防止策を講じたうえで、従業員の同意の下、出社をお願いすべきでしょう(従業員の同意の下、出社が行われても、使用者がこのような感染防止策を講じなかったため、それが原因で出社により新型コロナウイルスに罹ったといえる場合には、使用者が安全配慮義務違反を理由に損害賠償責任を負うことも考えられます)。やむを得ず、業務命令で行う場合にも、このような感染防止策を講じたうえで、初めて強制が可能になると考えられます。

(*本記事は2020年4月下旬時点の状況に基づいて執筆しています)

 

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弁護士法人淀屋橋・山上合同、『Q&A 感染症リスクと企業労務対応
(ぎょうせい、2020年7月刊。A5・200ページ・定価2,000+税)

企業側の労働事件を扱う弁護士が35のQ&Aで分かりやすくまとめています。本連載の内容を一部増補・加筆し、新型コロナ、インフルエンザ、SARS、麻疹、結核など従業員が感染症に罹患したときのリスクを「見える化」し、あるべき対応を解説しています。新型コロナの感染拡大によって生じた労務対応を経て、今後感染症が拡大した際、企業としてどのような対応が求められるのかが分かる1冊となっています!

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弁護士法人淀屋橋・山上合同は、あらゆる分野の法律問題について、迅速・良質・親切な法的サービスを提供している法律事務所。2020年3月現在64名の弁護士が所属。連載を担当したメンバーは、主に企業側に立って、雇用や労働紛争に係る相談対応、法的助言から裁判手続、労働委員会における各種手続の代理人活動等を行っている。

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