感染症リスクと労務対応

弁護士法人淀屋橋・山上合同

【労務】感染症リスクと労務対応 第15回 ウイルス等感染症による売上げ減少を理由に、昇給の見送りや賞与の支払いの停止は可能?

キャリア

2020.05.06

新型コロナウイルスに関連して、給料、休業補償、在宅勤務、自宅待機など、これまであまり例のなかった労務課題に戸惑う声が多く聞かれます。これら官民問わず起こりうる疑問に対して、労務問題に精通する弁護士(弁護士法人淀屋橋・山上合同所属)が根拠となる法令や公的な指針を示しながら、判断の基準にできる基本的な考え方をわかりやすく解説します。(編集部)

ウイルス等感染症による売上げ減少を理由に、昇給の見送りや賞与の支払いの停止は可能?

(弁護士 大川恒星)

【Q15】

 ウイルス等感染症による売上げの激減を理由に、昇給や賞与の支払いを停止することは可能でしょうか。雇用契約書や就業規則に昇給や賞与がどのように明記されているかによって結論は変わるでしょうか。

【A】

 昇給や賞与が労働契約にどのように定められているかによって、結論が異なります。さまざまなケースがありますので、昇給と賞与についてそれぞれ解説していきます。

1 昇 給

(1) 昇給制度
 昇給制度の有無は、労働契約によって定められますので、昇給は一切なしいうことで昇給制度を設けないことも、労働契約上可能であり、違法ではありません。もっとも、従業員の勤務意欲を高めるなどの目的で昇給制度を設け、それを雇用契約書や就業規則に明記している場合が一般的でしょう。なお、昇給に関する事項、つまり昇給制度の有無やその内容は、採用時の労働条件明示義務の対象(労基15条1項、労基則5条1項)や、就業規則の絶対的必要記載事項(労基89条)になります。ただし、昇給の有無について書面の交付等による明示が義務付けられているのは、有期雇用労働者と短時間労働者に限ります(労規則5条3項、パート有期雇用労働法6条1項、短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律施行規則2条1号)。

(2) 労働契約に昇給制度が設けられている場合
(A) 例外規定がある場合
 では、労働契約上、昇給制度が設けられている場合、ウイルス等感染症を理由とする売上げの激減を理由に、昇給の支払いを停止することはできるでしょうか。
 これは、昇給制度のしくみ、すなわち雇用契約書や就業規則においてどのように規定しているかによって結論が左右されます。厚生労働省のモデル就業規則にも記載されているように、「ただし、会社の業績の著しい低下その他やむを得ない事由がある場合は、行わないことがある」等の例外規定が設けられている場合には、ウイルス等感染症を理由とする売上げの激減を理由に、昇給の支払いを停止することは可能です。
(B) 例外規定がない場合
 一方で、このような例外規定がない場合には、ウイルス等感染症を理由とする売上げの激減を理由に、原則として昇給の支払いを停止することはできません。すなわち、雇用契約書や就業規則に、昇給時期や昇給基準が具体的に定められており、それらの基準を満たすと自動的に昇給すると一義的に解釈可能な内容の規定(「昇給は、毎年〇月〇日、基本給の〇円アップをもって行うものとする」という規定等が考えられます)であれば、これらの基準を満たすことで(上記の例では、毎年〇月〇日の到来をもって)、労働者側に昇給請求権が具体的に発生しますので、ウイルス等感染症を理由とする売上げの激減を理由に、昇給の支払いを停止した場合には、賃金の不払いを理由に、賃金の全額払いの原則(労基24条1項)に反して違法となり、労働者側からの差額賃金請求の対象となります(停止する場合には、労働者の個別同意が必要になります)。
(C) 使用者の人事考課を経るものとしている場合
 他方で、このような規定ではなく、「昇給額は、労働者の勤務成績等を考慮して各人ごとに決定する」等の使用者の人事考課を経て、昇給額が決まるときには、上記の例とは異なり、労働者側に具体的な昇給請求権は発生しません。この場合は昇給停止の規定がない場合においても使用者の裁量によって昇給を停止することが許容される場合も少なくないと解されます。
 もっとも、昇給停止が人事権の濫用に該当すると認められる場合は違法となります(労契3条5項)。したがって、たとえば、上記の例外規定がないうえ、過去の昇給が業績に関係なく実施されていたり、従業員との協議等の手続的規制に反していたりする等の事情がある場合には、ウイルス等感染症を理由とする売上げの激減を理由に昇給の支払いの停止をすることが人事権の濫用にあたるとして、不法行為(民709条)が成立する可能性があります(この場合、昇給相当額が損害になると考えられます)。

2 賞 与

 賞与についても、昇給で述べた考え方が基本的にあてはまります。

(1) 賞与制度
 賞与制度の有無は、労働契約によって定められますので、賞与は一切なしということで賞与制度を設けないことも、労働契約上可能であり、違法ではありません。もっとも、従業員の勤務意欲を高めるなどの目的で賞与制度を設け、それを雇用契約書や就業規則に明記している場合が一般的でしょう。なお、賞与(臨時の賃金)に関する事項は就業規則の相対的必要記載事項(労基89条。相対的記載事項とは、当該事業場で定めをする場合に記載しなければならない事項です。)になります(賞与を定める場合には、採用時の労働条件明示義務の対象になり、有期雇用労働者と短時間労働者に対しては、賞与の有無について書面の交付等による明示が義務づけられています。)。

(2)  労働契約に賞与制度が設けられている場合
(A) 例外規定がある場合
 労働契約上、賞与制度が設けられている場合、ウイルス等感染症を理由とする売上げの激減を理由に、賞与の支払いを停止することができるか否かは、賞与制度のしくみ、すなわち雇用契約書や就業規則においてどのように規定しているかによって結論が左右されます。厚生労働省のモデル就業規則にも記載されているように、「ただし、会社の業績の著しい低下その他やむを得ない事由がある場合は、支給しないことがある」等の例外規定が設けられている場合には、ウイルス等感染症を理由とする売上げの激減を理由に、賞与の支払いを停止することは可能です。
(B) 例外規定がない場合
 また、このような例外規定がなくても、厚生労働省のモデル就業規則にも記載されているように、「賞与の額は、会社の業績及び労働者の勤務成績等を考慮して各人ごとに決定する」等の規定を就業規則に設けている会社も多いと考えられます。この場合、会社の業績を踏まえて、使用者の人事考課を経て、賞与の額が決まることになります。本問では、ウイルス等感染症を理由として売上げが激減していることから、このような会社の業績を考慮して、賞与の額をゼロと決定することも可能です。しかし、賞与の額について、支給対象従業員を一律ゼロと決定することは、その当時の会社の業績、売上げの激減の程度によっては、勤務成績優秀な従業員との関係では、人事権の濫用として違法となり、不法行為が成立する可能性があります(この場合、支給されたはずの賞与の額が損害になると考えられます)。このように、上記のような例外規定がない場合には、使用者には、従業員ごとの慎重な判断・対応が求められます。
(C) 賞与の具体的請求権があると認められる場合
 一方で、上記のような例外規定がない場合や、会社の業績を考慮して賞与の額を決定する旨の規定がない場合で、賞与の具体的請求権があると認められる場合には、ウイルス等感染症を理由とする売上げの激減を理由に、賞与の支払いを停止することはできません。すなわち、雇用契約書や就業規則に、支給日・支給条件・支給額が具体的に定められており、それらの基準を満たすと自動的に賞与を支給すると一義的に解釈可能な内容の規定(「賞与は、毎年〇月〇日、基本給の2か月分を支給する」という規定等が考えられます)であれば、これらの基準を満たすことで(上記の例では、毎年〇月〇日の到来をもって)、労働者側に賞与請求権が具体的に発生しますので、ウイルス等感染症を理由とする売上げの激減を理由に、賞与の支払いを停止した場合には、賃金の全額払いの原則に反して賃金の不払いを理由に違法となり、労働者側からの差額賃金請求の対象となります(停止する場合には、労働者の個別同意が必要になります)。
(D) 使用者の人事考課を経るものとしている場合
 このような規定ではなく、「賞与の額は、労働者の勤務成績等を考慮して各人ごとに決定する」等の使用者の人事考課を経て、賞与の額が決まる場合には、上記の例とは異なり、労働者側に具体的な昇給請求権は発生しません。もっとも、ウイルス等感染症を理由とする売上げの激減を理由に、賞与の支払いの停止をすることは人事権の濫用にあたるとして、不法行為(民709条)が成立する可能性があります(この場合、支給されたはずの賞与の額が損害になると考えられます)。

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弁護士法人淀屋橋・山上合同は、あらゆる分野の法律問題について、迅速・良質・親切な法的サービスを提供している法律事務所。2020年3月現在64名の弁護士が所属。連載を担当したメンバーは、主に企業側に立って、雇用や労働紛争に係る相談対応、法的助言から裁判手続、労働委員会における各種手続の代理人活動等を行っている。

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