自治・地域のミライ
自治・地域のミライ|描きたいまちの未来から逆算して、共に今を創る 埼玉県入間市長 杉島理一郎
NEW地方自治
2025.06.27

出典書籍:月刊『ガバナンス』2025年7月号
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月刊 ガバナンス 2025年7月号
特集1:地域を明るくする兼業・副業
特集2:世にも面白いナッジの世界
編著者名:ぎょうせい/編
販売価格:1,320 円(税込み)
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埼玉県入間市長
杉島理一郎
2020年、故郷・埼玉県入間市長となった杉島理一郎氏。コロナ禍でまちの舵取りを担うことになった若きリーダーは、全国初となるヤングケアラー支援条例制定や将来に向けた行政改革を実行してきた。パーパスを策定し、メッセージを発信しながら、未来の原風景を創るためのまちづくりを進めている。
吹き抜けが特徴的な1974年竣工の入間市庁舎(A・B棟)1階の市民ホールにて。2025年3月より新庁舎等整備事業の工事
が始まった。このA・B棟は今後解体され、新庁舎が建てられる予定だ。
市制施行は、1966年11月1日。埼玉県南西部に位置し、面積は44.69㎢。市の東南に狭山丘陵、西北に加治丘陵がある。また、茶(狭山茶)の主産地であり、茶畑は市域の約10分の1を占める。市の西北部には荒川の主支流の入間川が流れる。市の東北部には狭山市の市域とまたがって航空自衛隊入間基地がある。埼玉県所沢市、狭山市、飯能市および東京都青梅市、瑞穂町にそれぞれ接している。2025年6月1日現在、人口14万2819人、6万8752世帯。2025年度の当初予算一般会計は553億1000万円。
小さな作業の一つひとつが、未来の原風景につながっている。
政治の力を信じて
――金融機関勤務を経て、埼玉県議会議員を2期務め、37歳で入間市長に。政治を志したきっかけは。
私は入間市で生まれ育ち、実家は商売をしていた。大学に入り、将来は実家を継ごうという思いでいたが、大学2年の時に実家が倒産し、入間を離れなければならなくなった。私と同じような思いをしてほしくないと思い、卒業後は日本政策金融公庫に就職をした。
ある意味で故郷を失っていた私は、「全国どこにでも飛ばしてください」と希望をすると、仙台支店に配属となった。私の融資担当エリアは宮城県の北部だった。3年目の2008年6月に岩手・宮城内陸地震が起きた。
まさに自分の担当エリアが被災地となり、災害融資担当として特別行政相談窓口を開いた。様々な機関がいる中で被災者の方々がたらい回しにされる状況を目にした。その時に、村井嘉浩・宮城県知事が「激甚災害に指定して、一人残らず救う」というメッセージを出した。そうすると、現場の状況が一変した。この時、政治のメッセージや動きは、自分がどうにもできない矛盾を抱えた現実を変える力がある、人を助ける力があるのだ、と実感した。政治への志が芽生えた瞬間だった。
これを機に村井知事とご縁ができ、松下政経塾で勉強することを勧められ、2010年に入塾した。勉強し始めて1年後の2011年に東日本大震災が起きた。私は、先の岩手・宮城内陸地震という災害をきっかけに志を得てきたこともあり、発災後すぐに被災地に行った。入塾してから縁のあった松下政経塾の先輩でもある小野寺五典・衆議院議員の地元、気仙沼市も融資担当エリアだった。当初は仙台で活動を始めたが、小野寺さんから「来てくれ」と言われ、気仙沼へ行き、被災により電気、ガス、水道のない生活をしながら復旧復興に携わった。
活動している中で、まさに“まちがなくなった”地域がどうやって復興していくのかを考えた時に、一番大切なのは基礎自治体であると痛感した。一方で、一人ひとりの生活、土地の問題、防潮堤のあり方――被災者の方々の思いもそれぞれの状況のステージによってどんどん変わっていくようすを目の当たりにした。本来は一人ひとりの住民に向き合わなければならないが、万人のための決断をしていかなければならない。住民の気持ちをまとめて舵取りをしなければならないことは非常に難しいと、被災地で身をもって知った。
2012年の衆議院選挙では、小野寺さんの選挙を手伝った。仮設住宅を回りながらの選挙戦だった。選挙戦を走り切り、当選万歳をしたその日が私の30歳の誕生日だった。その時に、「一生を懸けて政治をするのだったら二度と戻ることがないと思っていた故郷に戻ってしよう」と思い立った。
2013年に松下政経塾を卒塾。当時防衛大臣を務めていた小野寺さんの秘書となった。そして2015年に埼玉県議会議員に当選し、2期務めた。
――埼玉県議時代は、故郷である入間市をどのように見ていたか。
人口減少が進み、これから厳しい社会が来るとわかっていながら、入間市は私が住んでいた頃と大して変わっていないと感じていた。今は何か不自由があるわけではないが、新しいチャレンジをしていかなければこのまちは終わってしまうのではないか、という危機感があった。
県会議員となり、国の動きや県の動きの中で制度の活用などを市に提案してきた。しかし、当時の市に掛け合ってもけんもほろろ。このままでは変わらないから、自分が先頭に立ってこのまちを変えなければならないという思いが強くなった。
現職の勇退に伴い市長選に立候補し当選。しかし、その時もどこか「入間市だけ」という空気感が強く、周りとのつながりも絶たれているような印象だった。とにかくこのまちをガラパゴスから脱却させて開放し、境界線など関係ないくらいのまちづくりをしなければと思った。
すぎしま・りいちろう
1982年、埼玉県入間市生まれ。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。2005年に日本政策金融公庫に入職。被災地の融資担当を経験したことで志を抱き、2010年に松下政経塾に入塾。2013年に卒塾後、第12代防衛大臣を務めていた小野寺五典衆議院議員の秘書となる。2015年に埼玉県議会議員に当選(2期)。2020年11月に入間市長に就任。現在2期目。防災士、自然体験活動指導士の資格をもつ。
コロナ禍で市長スタート
――「入間市RISE UP宣言」を打ち出して舵取りを始めた。
「来てよし、住んでよし、働いてよしのまち・入間」という三方よしのまちを目指して、「RISE UP宣言」という公約を掲げた。
私が市長に就任したのは2020年11月。コロナ禍の真っ只中で、これからワクチン接種をしていこうという時期だった。当然ながら、新型コロナ対策が第一。しかし一方で、収束した後のまちづくりへの危機感もあった。頭の中はほとんど目の前のコロナ対応だったが、もう半分は未来投資をしなければならないと思っていた。
閉じていた入間市を開いていくためには、国際的な社会課題とも向き合っていかなければならないと思い、様々なチャレンジをした。SDGs未来都市にも認定され、ゼロカーボンシティ宣言もした。ゼロカーボンの取り組みを進め、GXに発展させていく。またDXも推進してきた。さらに、シティプロモーションも推進し、外からの認知を高めるとともに、市民のシビックプライドを高めるよう、これらを柱にやってきた。
コロナ禍は大きな分断のショックがあった一方で、惰性で動いていた今を変えるいい機会にもなったように感じている。ある意味で行政改革が進み、地域資源が再定義され、発見があった。
――自治体では珍しくパーパスを掲げている。
まちを開いていく中で、どうしてもお金がない。他の力を借りるしかないと、徹底的に官民連携を進めた。 市長になる以前に外から提案をした時の市の対応では決して「一緒にやろう」とは言ってもらえないと思い、とにかく何でもウェルカム、トップセールスで何か一緒にやりませんか?と声かけをした。すると、様々な官民連携のプロジェクトが立ち上がっていった。脱炭素型ライフスタイル促進事業の「サスティナブルウォークいるまいる」などもその一例だ。
今でこそ様々な取り組みが行われているが、それまでは連携すればシナジーが生まれそうな事業も、自分のセクションで精一杯になっているように感じることがあった。それぞれが部目標や事務目標で終わってしまい、入間市としてどういう姿を目指しているのか、入間市職員としてどうあるべきか、ということが見えずに目の前の仕事を処理するだけになっていた職員の意識も変えたかった。また、私たちがこういう思いだということを明確にすることで仲間も集まってきてくれる、とも感じていた。
その旗印として「心豊かでいられる、『未来の原風景』を創造し伝承する。」というパーパスを打ち出した。 当初は表面的な理解しかしてもらえていないようだったが、パーパス発想で自分たちの腹に落とし込んで取り組むために5つのシンボリックアクション(ウェルビーイング・モビリティ・カルチャー・オープン・サステナブル)を作り、徹底的に考えてもらえるようにしてきた。
未来共創政策推進室という新たな部署が横串役となり様々な課をつないでいる。未来からバックキャストした発想でこれまでよりも視野が広がり、職員からの提案が変わってきたと感じている。担当部長らの所信表明でも、未来のあるべき姿に向けて中長期的にどういう段階を踏んでいくのか、そのために今すること、それがどこにつながっているのか、ということをしっかりとプレゼンしている。とても嬉しいことで、実態ベースでパーパスが浸透している感触がある。
これまでは、どこか民間よりも行政が偉いという潜在意識があったように感じている。しかし、境界線のないシームレスな官と民の関係を円滑に進めるためには、行政側の態度が変わらないと、手を組んでくれる民間はいないと思う。そういう意味では、一緒にやろうというプラスオーラを感じてもらえているのではないかと思っている。
――2022年には全国で初めてとなる「入間市ヤングケアラー支援条例」を制定した。
もともと県会議員時代に全国で初めてとなる「埼玉県ケアラー支援条例」の制定に携わった。当時は、あまり知られていなかったケアラーについて認知してもらう、普及啓発に重きを置いた条例だった。その後、市長となり、より現場に目を向けようと実態調査をした。すると、市内に200人以上のヤングケアラーの疑いのある子どもたちがいることがわかった。現場のある市としては、一番潜在化しやすいヤングケアラーを救いにいかなければならないと感じた。対象が子どもだからこそ、親が拒否をすると支援の手が差し伸べることができなくなってしまうからだ。理念ではなく、本当に課題が解決できる条例を作らなければならないと思った。
現在は、学校や保健師などともネットワークを作り、マニュアルも作成し、支援環境を整えている。ヤングケアラーコーディネーターを2人任命し、家庭と学校、そして支援先とのつなぎ役として相談しやすい環境づくりにも力を入れている。
抱えているのは、市のマスコットキャラクター「いるティー」。入間市の「いる」と「ティー」は、同市が狭山茶の主産地であることから。入間市の鳥「ひばり」がモチーフ。目標は、わんぱく相撲で優勝すること。
未来共創をキーワードに
――これまでに様々な施策を展開し、“価値ある行政改革”を実行してきた。地域のミライをどう考えているか。
一人でも多くの市民のみなさんと一緒に同じ方向を見て、同じ未来を目指して地域の未来を創る「未来共創」をしていきたい。それが本当の自治だと思っている。
入間市は人口急増期には、45年で10万人増えた。その急増期に建てた公共施設の建て替え、更新時期が一気に来ている。計画をしっかり立てながら進めていきたい。
今後は決してバラ色でないだろう。風呂敷を畳む時代に入った以上、意義を丁寧に、そして時間軸を長くして説明することが重要だ。また、本当の当事者、サイレントマジョリティーの声を大切にすることをしないと将来ボタンの掛け違いになってしまうだろう。
私は37歳で市長になった。未来に生きて結果責任を負うことになるだろう。だからこそ、自分の時代でできることは限られているかもしれないが絶対に手を抜かないし、先送りするような意思決定の仕方はしないという覚悟を持ってやっている。
行政脳から経営脳へ
――これからの時代の自治体職員に求められることは。
なぜこの自治体の職員になったのか。私たちの存在意義はどこにあるのかを常に考えてほしい。
私たちは未来に残る何かを今、作っている。つまらないと思っているかもしれない小さな作業の一つが全て我々の未来の原風景につながっている、ということを感じてほしい。
私は、若手職員がキャリアアップとして民間に転職することはとても喜ばしいことだと感じている。むしろ大きくなってぜひ帰って来てほしいと思っているくらいだ。職員としてだけでずっと過ごす必要は全くないと思っている。
入間市職員でなければ、入間市を良くすることができないということはあり得ない。自分がどうやって社会に貢献できるかを考えて行動に移し、入間市に思いを寄せて、入間市のためになることを実行してくれたとしたら、それはとても嬉しいことだ。
――最後に自治体職員にメッセージを。
私は自治体を「経営する」という考え方だ。予算は消化するのではなく、資金を投資するという感覚だ。自治体をビジョンやパーパスに基づいて、どうやったらサステナブルで最も成果が挙がり、繁栄していく取り組みができるか。“行政脳”から“経営脳”への切り替えが必要だろう。縦割りから横串しへ、消化から投資へ、当たり前を変えていくことで行政が変わっていくと思う。
単年度、予算消化などという過去の延長ではなく、未来から逆算して今を創っていくというスタンスに立てば職員も、そして住民もウェルビーイングでいることができるようになるだろう。
(取材・構成/本誌 浦谷收、写真/五十嵐秀幸)
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