自治体の防災マネジメント
自治体の防災マネジメント[104]921台湾大地震25年と菩提長青村
NEW地方自治
2025.06.11
※写真はイメージであり、実際の土地とは関係ありません。
本記事は、月刊『ガバナンス』2024年11月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
能登豪雨災害お見舞い
9月20日からの奥能登地方を襲った豪雨により10月16日現在、14人の方が亡くなられています。そして、多くの浸水被害が発生し、再び避難所に戻られた方も多くいらっしゃいます。1月1日の地震災害から立ち直ろうかという矢先にこのような被害が生じたことに、お見舞いの言葉もありません。
高齢化と過疎化の状況で、さらに2度の大きな災害に見舞われた能登地方の復興のあり方はどうすべきでしょうか。コミュニティを重視して、高齢者が生きがいをもって暮らせる地域社会の在り方の事例として、台湾の高齢者仮設住宅を紹介します。
菩提長青村の感謝の集い
奥能登地方に大雨が降り始めた9月20日、私は室﨑益輝先生にお声がけをいただき、一緒に台湾を訪問していました。1999年に台湾中部の南投県で発生した「921大地震」25年のシンポジウムに出席するのが目的でした。加えて、かねてから噂に聞いていた奇跡の復興村「菩提長青村」を訪問できました。
午後6時半に訪問すると、大勢の人が村の真ん中の通路に集まって、にぎやかに食事をしています。たくさんの料理がテーブルに並び、バーベキューやできたてのうどんなども提供されます。それが、すべて無料なのです。9月20日は、村の支援者に感謝する集いだからだそうです。
多くの住民、研究者など支援者、ボランティアが年に1度の再会を楽しんでいます。私自身は何も支援していない身なので申し訳ない気持ちになりました。お酒は出ていないのですが、ある研究者が60度の白酒を持ってこられたので、一緒にいただいてしまいました。
多くの方が順番にマイクを握って熱心に話され、そのたびに大きな拍手が巻き起こります。その熱気に、すっかり圧倒されました。

お祝いの言葉を述べる支援者
921大地震と菩提長青村
921大地震は、台湾時間の1999年9月21日1時47分に、台湾中部の南投県集集鎮付近を震源として発生したモーメントマグニチュード7.6の地震です。台湾では20世紀で一番大きな地震であり、死者2455人、行方不明者50人。建物被害は遠く離れた台北市にまで及び全壊3万8935戸、半壊4万5320戸と巨大な被害を受けています。
このとき、多くの身寄りのない高齢者が住むところもなく、テント暮らしをしていました。医療、福祉サービスを提供する人がいない状況で、詳しい経緯はよくわかりませんが、仮設住宅街「菩提長青村」が設置されました。
震災後、当初は入居者の経済的事情などを問わず、家屋全半壊及び介護が必要な高齢者を全員入居させました。その後、入居対象者を家屋全半壊で支援が必要な65歳以上の高齢者にしました。
食事や住宅の賃料など生活に必要なものはすべて無料です。最大入居者数は120人ですが、一番多かったときで90人が入所していました。残りの部屋は、希望する学生などがボランティアとして住み込んでいるそうです。
25年も続く仮設住宅コミュニティ
どうして、この村が25年も続いてきたのでしょうか。その理由を何人かの研究者に聞いたところ、異口同音に、「民間人の女性村長の陳さんと、夫の王さん(総幹事長)の情熱」とのことでした。25年もの間、倦まず弛まずに一所懸命にこの村を運営してこられたのです。
ご夫妻は、以前はレストランを経営していましたが、そのレストランは921大地震で壊れてしまいました。その後、高齢者支援を行いながら、この仮設住宅街の設置、運営に奔走し、現在まで続けています。調理や清掃などのスタッフには村から給料が支払われ、当初は全員が921震災の失業者でした。
仮設住宅での生活は当初数年の予定でしたが、その後の再開発により、仮設住宅の一部が継続して利用されることになりました。いろいろと複雑な事情があるようです。伺った話では、この地域にある国立曁南(きなん)国際大学の研究者が多数、村の存続のために運動され、支えたそうです。また、学生もボランティアとして、場合によっては住み込んで支援活動をしました。
村人の自助と支えるボランティア
私たちは王さんの案内で村の中を見せていただきました。現在では仮設住宅としての役割を超え、高齢者を中心に健康、生きがいづくりやコミュニティ再建を目指した新しい暮らしを提供しているとのことです。
高齢者のニーズに応えるための工夫が随所に見られます。とても評判がいいのは豆腐づくりです。入居者は専門家から5年間学んで、しっかりした技術を身につけています。
その他に、共同工作所や仏間などもあります。これにより、住民間の交流や共同生活が自然に促進されます。また、ママさんや学生ボランティアが食事づくりや清掃などで活動するとともに、地域のさまざまなイベントが定期的に開催されています。

入居者の心の支えとなる仏間

共同工作室の作品

25年を祝ってろうそくの灯を置くボランティアのお母さんたち
これからの復興村
菩提長青村は、災害からの復興とともに、高齢者が安心して暮らせる地域社会とは何か、を示すモデルケースでした。
台湾は急速な高齢化社会に突入しており、農村部の菩提長青村の成功は、暫定としての仮設住宅が高齢者のためのコミュニティとして再生し、持続可能な地域社会を形成する優れた事例といえます。
この村は、災害からの復興の記念であると同時に、高齢者福祉の新しい形を示す場でもあり、今後の取組みを注目し続けたいと思います。
台湾復興に学ぶ
そして、能登のみなさまには首長はじめ多くの関係者に台湾復興の現場を見て、話を聞いていただきたいと思いました。中越地震の復興時には、当時の森民夫・新潟県長岡市長が視察されて、大きな示唆を受けたと聞いています。
一方、台湾の研究者から伺うと、阪神・淡路大震災から復興手法を学んで参考にされたそうです。日本と台湾にはこのような復興のつながりがありました。もちろん、風習や文化が違うので、そのまま取り入れることはできませんが、住民が主体的に復興に取り組むために住民が多くの事例を学びしっかりと議論することが欠かせません。
【参考文献】
・陳麗如、小出治、加藤孝明「台湾の社区営造(まちづくり)における高齢者の震災時の生活再建対策に関する研究-「菩提長青村」と「龍眼林福利協会」を事例に-」地域安全学会論文集、2007年
・照本清峰「台湾921地震発生後の地域コミュニティの再建とソーシャル・キャピタルの関係」日本災害復興学会論文集、2020年
Profile
跡見学園女子大学教授
鍵屋 一(かぎや・はじめ)
1956年秋田県男鹿市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、東京・板橋区役所入区。法政大学大学院政治学専攻修士課程修了、京都大学博士(情報学)。防災課長、板橋福祉事務所長、福祉部長、危機管理担当部長、議会事務局長などを歴任し、2015年4月から現職。災害時要援護者の避難支援に関する検討会委員、(一社)福祉防災コミュニティ協会代表理事、(一社)防災教育普及協会理事なども務める。著書に『図解よくわかる自治体の地域防災・危機管理のしくみ』(学陽書房、19年6月改訂)など。