投稿されたコメントの分析

1  「つねに高齢者を見ているのは無理だ」(1) 事故の不可避性、誤嚥防止の困難性
 まず判決自体に対しては、とくに介護に携わっている人からの投稿を中心として、「誤嚥をすべて防ぐのは不可能だ」「高齢者は誤嚥するものだ」「高齢者をつねに見ていろというのは無理だ」「人手が足りないのでマントゥーマン体制までは取れない」「近くで見ていたって誤嚥は防げない」「それぞれリスクを抱える高齢者の事故をすべて防げるものではない」「虐待とは区別すべきだ」というような指摘が多くみられた。

(2) 判決の論理との関係
 もっともこれらの指摘は、判決文の論理とは若干「すれ違い」がある。すなわち本件の判決は、1か月半前にあった「むせ込み」をもとに、これまでと同じ態様で食事を提供するのであれば常時介助等が必要だったとの趣旨を判示しているからである。
 判決では「被告には、少なくとも本件むせ込みの後は、常時介助などの方法により、そうした事故が発生しても職員が速やかに対応できるような態様でA(入居者)の食事を提供すべき注意義務が生じていた」「被告は、ロールパンの大きさが4等分であれ6等分であれ、これまでと同じ態様で食事を提供すれば再びAの嚥下機能の低下によるむせ込み等の事故が発生し、より重篤な結果が生じるという具体的な危険を認識し得た」と述べている。
 だからここでは介護職員の多忙さ、また誤嚥の不可避性、事故防止の困難性などを裁判所が分かっていない、無視しているという話とはやや次元が違う。判決は、つねにすべての高齢者を見ていなければダメだということを言っているわけではなく、それなりに注意義務の内容を絞り込んでいるものといえる。
 それでもこのような絞り込み方で適切なのかという疑問は残る。たとえば1か月半前に一度「むせ込み」があった入居者(利用者)については、以後の食事の際に常時介助が必要だとすると、毎回の食事に相当の人員配置を要することになるからである。
 なお判決では「むせ込み」についての情報共有不足や、誤嚥発生後の対応の遅さも問題とされている。ただこれは常時介助をしていて、早く誤嚥に気付くことができれば死亡には至らなかったという趣旨であり、そのこと自体は常時介助すべきだったとの判示と表裏のものでもあろう(実際には誤嚥にはただちに気付いたものの、それへの施設側の対応が遅れた、適切ではなかったというケースはあり得る。)。
 このように損害が生じた被害者への救済を重視した法的判断が出されるのは、介護事故裁判の一般的な傾向に沿うものでもある。その背景は多様だが、とくにいわゆる不作為にかかる責任でもあり、利用者のすぐ傍で付き添っていることは「できなくはなかった」という点が裁判では利用者側に有利に働くものと考えられる3