介護事故裁判と社会の「風向き」――法律のひろば2024年6月号:特集 介護事故訴訟からみる「介護水準」
地方自治
2024.06.17
目次
ネット上の反応の分類
言うまでもなくインターネット上の掲示板は、誹謗中傷も跋扈する場で、およそ社会全体の声として分析する対象としては適当でないかもしれない。実際、本件についても感情的な、また一方的な、さらには書きなぐりのようなコメントも少なくない。
さらにネットへの投稿の発信者については、もちろんその偏りが想定される。まずもってネットを見て、自分でもそれに書き込むような時間と意欲、欲求があり、世代的にはそれほど高くない年齢層が中心かもしれない。
しかもこの記事への投稿は、実際の判決文や事案を踏まえたものではなく、あくまで上記の報道内容をもとにした投稿であり、明らかな事実誤認もある(たとえば「これで有罪というのはひどい」というように、刑事事件的にコメントしているものも少なくない。)。
ただこの判決に対しては「自分は介護に携わっている人間ですが」という趣旨の前置きとともに、具体的・実際的なコメントも多く寄せられていた。またそれらの内容は区々で、いいかえれば集団的・組織的な投稿は見受けられなかった。
そこで改めて共同通信の記事に対するコメント投稿※2にすべて目を通して、分類を試みた。といっても事案と判決自体に関わるコメントと、一般論として語るコメントとが入り混じりつつ、内容的にもきわめて多岐にわたるのだが、あえて整理すれば概ね以下の7つに分類できるように思われる。
① 事故の不可避性、誤嚥回避の困難性
② 常食(パンという食材)提供の擁護
③ 判決の社会的影響への懸念
④ 高齢者に対する高額賠償への批判
⑤ 裁判を提起した家族への批判
⑥ 判決を下した裁判官への批判
⑦ 中立的な意見表明や論評
投稿はほとんどが判決に批判的なものだったが、中立的な意見表明や論評(たとえば「こういう判決になってしまうのか」「食事形態を変更していたらよかったのだろうが」というような)も散見されたので、内容は区々だがまとめて⑦としている。
以下では上記のそれぞれ(⑦は除き)について、判決の論理との関係、さらにその背景にある社会の「風向き」という角度からみていきたい。
※2 共同通信の配信記事がYahoo!サイトに載せられており、それに対するコメント(いわゆるヤフコメ)。2024年3月1日時点では、前掲注(1)のサイトに132件のコメントがある旨表示されている。
なお文中の投稿内容の紹介は適宜パラフレーズしたものである。
投稿されたコメントの分析
1 「つねに高齢者を見ているのは無理だ」(1) 事故の不可避性、誤嚥防止の困難性
まず判決自体に対しては、とくに介護に携わっている人からの投稿を中心として、「誤嚥をすべて防ぐのは不可能だ」「高齢者は誤嚥するものだ」「高齢者をつねに見ていろというのは無理だ」「人手が足りないのでマントゥーマン体制までは取れない」「近くで見ていたって誤嚥は防げない」「それぞれリスクを抱える高齢者の事故をすべて防げるものではない」「虐待とは区別すべきだ」というような指摘が多くみられた。
(2) 判決の論理との関係
もっともこれらの指摘は、判決文の論理とは若干「すれ違い」がある。すなわち本件の判決は、1か月半前にあった「むせ込み」をもとに、これまでと同じ態様で食事を提供するのであれば常時介助等が必要だったとの趣旨を判示しているからである。
判決では「被告には、少なくとも本件むせ込みの後は、常時介助などの方法により、そうした事故が発生しても職員が速やかに対応できるような態様でA(入居者)の食事を提供すべき注意義務が生じていた」「被告は、ロールパンの大きさが4等分であれ6等分であれ、これまでと同じ態様で食事を提供すれば再びAの嚥下機能の低下によるむせ込み等の事故が発生し、より重篤な結果が生じるという具体的な危険を認識し得た」と述べている。
だからここでは介護職員の多忙さ、また誤嚥の不可避性、事故防止の困難性などを裁判所が分かっていない、無視しているという話とはやや次元が違う。判決は、つねにすべての高齢者を見ていなければダメだということを言っているわけではなく、それなりに注意義務の内容を絞り込んでいるものといえる。
それでもこのような絞り込み方で適切なのかという疑問は残る。たとえば1か月半前に一度「むせ込み」があった入居者(利用者)については、以後の食事の際に常時介助が必要だとすると、毎回の食事に相当の人員配置を要することになるからである。
なお判決では「むせ込み」についての情報共有不足や、誤嚥発生後の対応の遅さも問題とされている。ただこれは常時介助をしていて、早く誤嚥に気付くことができれば死亡には至らなかったという趣旨であり、そのこと自体は常時介助すべきだったとの判示と表裏のものでもあろう(実際には誤嚥にはただちに気付いたものの、それへの施設側の対応が遅れた、適切ではなかったというケースはあり得る。)。
このように損害が生じた被害者への救済を重視した法的判断が出されるのは、介護事故裁判の一般的な傾向に沿うものでもある。その背景は多様だが、とくにいわゆる不作為にかかる責任でもあり、利用者のすぐ傍で付き添っていることは「できなくはなかった」という点が裁判では利用者側に有利に働くものと考えられる3。
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