検証 ふるさと納税 ― 不指定取消請求事件最高裁判決から考える制度のあり方 Ⅱ 専門分野の視点から考える 実現主義と寄附と政府間税源配分を考える
地方税・財政
2020.11.13
検証 ふるさと納税 ― 不指定取消請求事件最高裁判決から考える制度のあり方
Ⅱ 専門分野の視点から考える 実現主義と寄附と政府間税源配分を考える
立教大学法学部教授 浅妻 章如
担税力と政府間課税権配分との接合の難しさは、ふるさと納税によって始まった問題ではないものの、この機に改めてアイデアノート的に記したい。ふるさと納税制度自体は金持ち優遇にすぎるので擁護できないが、寄附の扱いについて、興味深い問題を意識させてくれそうである。
1 個人の担税力の指標:時際と人際
伝統的には、担税力の指標の有力三候補は、所得、財産、消費であった(金子宏『租税法23版』89頁弘文堂、2019年)。時際※1の観点からは、財産は将来の消費可能性の割引現在価値であるから、贈与等を無視すれば(つまり人際の観点を無視すれば)、財産への課税は利子(金銭の時間的価値)への課税と数理的に同視される。担税力の指標の候補は、所得(金銭の時間的価値に課税する)、消費(金銭の時間的価値に課税しない)という二候補に絞られる。消費を担税力の指標とする場合、貯蓄を課税標準から控除する(利子に課税しないという方法は本稿で無視する)。
人際の観点からは、贈与等の自発的財産移転を、移転者の課税標準から控除するか否か、が担税力の指標をめぐる根本問題である(神山弘行『所得課税における時間軸とリスク──課税のタイミングの理論と法的構造』169頁、有斐閣、2019年)。遺産・贈与等をめぐる二重課税の是非の問題が念頭に浮かびやすい(相続税・贈与税廃止は、被相続人・贈与者の課税標準からの控除と親和的である)が、所得分割の是非も人際の観点からの担税力の指標をめぐる争いである。日本型の個人単位課税は、大黒柱の課税標準からの控除を認めない。独仏型の二分二乗やN分N乗は、大黒柱の課税標準からの控除を認める。寄附控除は、N分N乗を家族外にも認めるものと位置付けられる。
包括的所得概念は原則として寄附控除を認めない。包括的所得概念の定義式(所得=消費+純資産増加)に照らし、寄附は消費に含められる(寄附の分だけ消費が減るとは考えない)。寄附は財産支配力の行使であり、ひいては政治権力に繋がる。富豪の権力を削るという政治課題を意識した結果として提唱されたのが包括的所得概念である。所得に課税する(金銭の時間的価値に課税する)ことを志向することも富豪の権力を削ることを目指している。所得税法78条の寄附金控除等は、消費だけれども例外的に控除を認めるという政策的な措置と位置付けられる(藤谷武史「非営利公益団体課税の機能的分析:政策税制の租税法学的考察」国家学会雑誌117巻11・12号~118巻5・6号、2004~2005年)。
担税力の指標について時際と人際の二つの軸があり、それぞれ、貯蓄の控除を認めるか否か、寄附等の控除を認めるか否か、と整理される。
2 担税力の指標の理想:才能
1の現実論と異なり、理想論(執行の限界を度外視した議論)のレベルでは、担税力の指標の理想は才能である。人は時間を賃労働か余暇(家事労働を含む)に配分する。賃金は課税され、余暇の便益(家事労働の帰属所得も含む)は課税されないという歪みがある。時間配分に中立的な税を志向するには、課税対象を才能とすべきである。ここでいう才能は、生涯にわたり最も努力したと仮定した上での所得額又は消費額である。執行の限界を度外視すれば、出生時に租税負担が決まれば、その後の賃労働と余暇との時間配分は歪まないので効率的である。公平の観点からも才能の高い人に重い租税負担を課すことは支持されよう。
しかしこの理想論は、1の人際の軸をどう処理するかについて、示唆を与えてくれない。扶養や寄附は課税標準から控除されるべきか否か、つまり、扶養や寄附は才能から控除されるべきか否か(逆に、被扶養や受寄附は才能に算入されるべきか否か)、という問題は、1の時際の軸と比べ、未だ議論の蓄積が浅く、難問である。
3 実現主義:人への課税から取引への課税へ
担税力と政府間課税権配分は接合させにくい。R国居住者個人たるA氏がS国で営業するB社に投資している場合に、1、2の議論だけを考えると、S国に一切税源が割り当てられないこととなる。それなのに何故私達は政府間課税権配分という問題が存在すると考えるのであろうか。
包括的所得概念を前提にすると、時価主義課税が包括的所得概念に適合的である。A氏保有のB株の値動きだけを見て、配当等を待つまでもなくA氏に課税することが包括的所得概念の理想に適う。消費型所得概念を前提にすると、A氏がB社から配当等を受領してもなお課税適状とはいえず、A氏が消費に充てるまで課税を繰り延べることが理想に適う。どちらであっても、S国への課税権配分の話は出てこない。
現実の税制は実現主義を採用している。実現主義課税は、時価主義課税と消費時課税との間に位置する(李昌煕「租税政策の分析枠組み」ジュリスト1220号~1221号、2002年)。実現主義は、人への課税から、取引への課税へと、税制を変化させる。取引への課税は、理想的な税制からの距離をもたらしてしまうが、執行の観点を加味すると、実現主義は仕方のないものである。そして、仕方なく実現主義で課税するという構造と、個人段階だけではなく仕方なく法人等のentity段階でも課税するという構造は、一致している(増井良啓「組織形態の多様化と所得課税」租税法研究30号1頁以下、12頁、2002年)。entity段階の税が存在するので、私達は政府間課税権配分の問題を意識するようになる。もしも法人税がなく所得税が個人のみに課せられるものであったならば、私達はR国とS国との間の課税権配分の問題をあまり議論しなかったであろう。
国際課税はarm's length principle※2中心、地方税はformulary apportionment※3中心という違いはあれど、何れにおいても、取引への課税(個人所得課税と法人所得課税との関係を中心に説明してきたが付加価値税も取引への課税の一類型として含めてよい)という税制の実態があって、政府間課税権配分を論ずることができるようになる。
4 政府間課税権配分に与える実現主義の弊害と、寄附
地方税に関し、過疎地域の税源が人口当たりで乏しい傾向にある。過疎地域における経済活動が人口当たりで少ないとは考えにくいので、過疎地域における経済活動は非課税(余暇)の割合が高いのであろう。取引への課税ではなく人への課税であったならば、地方間の税源の疎密は今よりは改善したであろう。
しかし、大学進学等を機に人が移動するという問題が別途ある(国際課税の文脈では、南米のサッカー少年が欧州のクラブと契約したり、中韓印の学生がアメリカに進学したりということもある)。もしも才能に課税することができたならば、そして才能への課税権を出生地の自治体が有していたならば(生まれた瞬間だけに着目することがおかしいとしたら、生涯にわたる才能を生涯にわたる居住自治体間で居住時間に応じて課税権配分することができるならば)、地方間の税源の疎密は今よりは改善したであろう。
もっとも、税制の実現主義に伴う弊害を緩和することで地方間の税源の疎密を今より改善させる税制設計を考えることができたとしても、過疎地域の人口当たりの財政需要(道路整備等)が高いとしたら、前二段落の仮想的改善を成したとしても過疎地域は経済的に貧しいかもしれない。こうなると、寄附の出番なのかもしれない。
国外の天災のニュースを見た時より国内の天災のニュースを見た時の方が赤十字等へ多く寄付するようになる、といった経験はないであろうか。一種の愛国心である(国外の事象より国内の事象に関し利他的な意欲が高まるという差別的な心情を私達は有していることが多い。愛は差別と表裏一体である。もし国内外の事象に対し寄附等の意欲が等しく湧くならば、人類愛と呼べるかもしれない)。配偶者や子を養うことに喜びを感じるなら家族愛かもしれない。扶養や寄附は何らかの愛(仲間意識)に基づくことが多いであろう。地方間の格差是正に関し、実現主義の弊害を緩和するという技術的な問題の他に、愛という情緒的な何かを税制がどう扱うかという問題もありそうである。換言すると、地方間の格差是正を目指すかどうかは、私達の愛国心と人類愛との違いが合理的かどうか、と関わっているであろう。
(注)
(1) 時際(intertemporal。国際(international)が国境を跨いだ取引等を扱うように、時際は、現在と将来等、時点を跨いだ所得又は消費を扱う。中里実「法人課税の時空間(クロノトポス)法人間取引における課税の中立性」杉原泰雄先生退官記念論文集『主権と自由の現代的課題』361 頁、勁草書房、1994年、拙稿「再分配租税法の観点から」民商法雑誌156巻1号72頁2020年参照)
(2) arm's length principle(独立企業間原則。関連企業間取引における恣意的な所得移転に対抗するため、関連企業同士の間の取引価格を租税法上否認し、独立の企業であったならば付けられていたであろう価格に引き直して、所得を計算すること)
(3) formulary apportionment(定式配賦又は定式配分と訳される。関連企業グループ全体の所得を、資産、従業員、売上等の指標に基づいた式(formula)でもって、関連企業の各法人に割り付けること)