連載 vol.50「つながる」力 小豆島と母校をつないだ歌手 【近藤隼一(香川県職員)】

地方自治

2022.11.18

本記事は、月刊『ガバナンス』2018年5月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
所属等は執筆(掲載)時点のものです。
※本コラムは主に自治体職員によるネットワークのメンバーがリレー形式で執筆します。

シンガーソングライター・森圭一郎さんとの出会い

 私は小学から高校までの12年間を香川県立高松養護学校(以下、「高養」)で学んだ。高養は1961年、香川県初の養護学校として開校。現在も同校は、香川県下唯一の肢体不自由教育特別支援学校である。2010年11月、新たに同窓会を設立。私は初代会長を2期6年間務めた。主な活動は、入会式、後輩たちの成人祝賀会、会報発行。しかし、私が個人的に行った活動もある。

 特筆すべきは、シンガーソングライター・森圭一郎さんとの出会いだ。森さんは16歳の時に事故で車椅子の生活に。自暴自棄になっていた心を音楽に救われ、プロの歌手になった。

 13年12月、小豆島を訪れた森さんと、初めてお会いした。森さんは鹿児島県の徳之島に特別支援学校がない現状を知り、設立に向けた活動を続けている。その姿に小豆島の人々が共感。特別支援学校がなく、遠路を通学しなければならない状況が徳之島と似ていたからだ。08年度に高養の小豆分室が設置されたが、十分な状況とはいえなかった。

 以来、森さんと高養、小豆島の人々との交流が続いた。私も森さんに胸を打たれ、「森さんのライブを高養で開催したい」と強く願うようになった。

 14年12月、私のオファーを快諾してくれた森さん。だが、プロ歌手を招いてのライブ開催など、人生初体験。開催提案、資金調達、協力者募集など何から何まで手探り状態だった。当初は思わぬ反発や批判を受けて落胆することもあったが、一人、また一人と応援してくれる方も増えていった。

 16年6月。私のオファーから1年半の歳月を経て、森さんの魂の歌声が、母校に響き渡った。多くの子どもたちや教職員、保護者などが集まり、笑顔とありがとうの声が溢れた。私の自分勝手な夢に、最後は多くの方々が喜んでくれた。そのライブが一助になったかどうかは分からないが、森さんと高養、小豆島の絆はその後も深まり続けた。

 昨年12月、小豆島への特別支援学校の設置が決まった。つながる力がもたらした悲願達成の瞬間だった。

 

(香川県職員/近藤隼一)

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