防災まちづくり大賞の事例に見るご近所の底力(防災まちづくり_その3)/山本俊哉(明治大学教授)
地方自治
2021.03.11
目次
ぎょうせいオンライン防災書き下ろし記事
防災まちづくり大賞の事例に見るご近所の底力(防災まちづくり_その3)/山本俊哉(明治大学教授)
1.阪神・淡路大震災を契機にした防災まちづくり大賞
阪神・淡路大震災のような災害は、起きてからでは手遅れであり、日々の地域における防災の取り組みが重要である。そうした再認識から設けられた防災まちづくり大賞が、今年度(2020年度)で第25回を迎えた。自治省(当時)消防庁が、全国各地の優れた防災まちづくりの取り組みを表彰し、広く全国に紹介することを通して、地域の防災力の向上を図ろうとして創設した賞である。
表彰する対象団体・組織は、自主防災組織、ボランティア団体、教育機関、企業、地方公共団体など様々で、表彰する取り組みも、ハード面の「防災ものづくり」、ソフト面の「防災ことづくり」、人材育成の「防災ひとづくり」など幅広い。これまでに360の団体・組織が表彰されたが、実に多様で、示唆に富むものばかりである。私は数年前から選定委員として審査に関わっているが、毎回舌を巻く。
十数年前に、「難問解決!ご近所の底力」というNHKのテレビ番組があった。「お困りご近所」という問題を抱えた地域住民に対し、「妙案の解決法」の事例を複数紹介する仕立てとなっていた。防災まちづくり大賞の受賞事例も、ご近所の底力を示す妙案ばかりである。
2.クリエイティブな防災まちづくりで活動を継続
東京スカイツリーの足元に広がる密集市街地の各所に「路地尊(ろじそん)」と呼ばれる雨水を利用した小さな防災施設が置かれている。昨年、建築家・隈研吾さんが「新・東京八景」のひとつに選んだことで再び光が当たり、話題になった。第1回防災まちづくり大賞・自治大臣賞を受賞した一寺言問を防災のまちにする会(通称:一言会)は、その生みの親である。一寺小と言問小の2つの小学校を防災活動拠点とするモデル地区として指定されたのが今から36年前のこと。東京都と墨田区の呼びかけに応じた住民有志の「わいわい会」と6つの町会が連合して一言会は設立された。
一言会は、大賞を受賞して以降も、防災まちづくり瓦版を発行するなど自主的な活動を四半世紀以上継続してきた。自ら空き家調査を行い、関係地権者の協力を得て老朽空き家を除却し、行き止まり路地の避難路を確保するなど、参考にすべき妙案も数多い。
一言会は、今から10年前に防災まちづくり大賞を受賞したNPO法人プラスアーツが開発した楽しく学べる防災訓練「イザ!カエルキャラバン」を10年以上前から毎年開催している。一言会ほど毎年新たなプログラムを組み入れている住民団体は他に例を見ない。第24回防災まちづくり大賞を受賞した自主防災団体ハンマーズも毎年、一言会が主催する「イザ!カエルキャラバンin寺島」に参加している。ハンマーズは、簡易な耐震補強を推進している建設労組有志の団体で、地域や学校に出かけてゲーム的要素を入れて楽しく防災力を高める取り組みを継続的に進めている。
一言会とプラスアーツとハンマーズに共通しているのは、防災の枠組みにとらわれないクリエーティブな活動であり、若い人たちを巻き込んでいる点であり、それが持続可能性をもたらしている。
3.「わらじ村長」の遺志を継承した鹿島台の防災まちづくり
地域の災害文化というか防災文化を次代に伝えていくことも重要である。ハンマーズと同じ第24回防災まちづくり大賞を受賞した宮城県大崎市の鹿島台まちづくり協議会は、その最たる例である。一昨年(2019年)の台風19号で吉田川の堤防が決壊して、数多くの家屋が水没したが、早めに避難していたため、人的被害は皆無だった。介護施設の入居者は前日に全員避難させ、車も全て高台に移動させた。それを可能にしたのは、「洪水に対する向き合い方がDNAとして根付いているから」だと、協議会のメンバーは口を揃える。
終戦直後の台風による水害や1986年の大水害もそのDNAで乗り越えてきた。粗末な身なりで村民から「わらじ村長」と呼ばれ親しまれた鎌田三之助翁の遺志でもある。旧鹿島台村は、江戸時代から大雨が降ると水害に見舞われ、村民は貧しい暮らしに耐えてきた。「わらじ村長」は、明治潜穴というトンネル状の水路やサイフォンで吉田川の下に水路を潜らせる土木工事を遂行し、水害を減らすとともに米の増産を導き、村の財政も立て直した。
「わらじ村長」の偉業を次代に伝えていくため、鹿島台では毎年わらじまつりを開催してきた。小学生たちが描いた防災マップひとつとっても、「わらじ村長」の遺志が垣間見える。
4.健康増進を兼ねた津波避難ビルへのウオーキング
「高齢者福祉施策をすすめていくと必ず防災という壁にぶつかる」と語ったのは、宮崎県高鍋町の健康福祉課・課長補佐(当時)の守部智博さん。その壁を乗り越えようとして始めた高齢者のノルディック・ウオーキング事業が第19回防災まちづくり大賞を受賞した。
高鍋町は、低地に人口の8割が集中していて高齢化も進んでいる。そのため、南海トラフ巨大地震に伴う津波から逃れるには、津波避難ビルをできるだけ多く確保しなければならない。問題は足の悪い高齢者の垂直避難をどう支えるのか?そこで、高齢者の健康増進を兼ねて、町内4地区にそれぞれ週1回、ライフセービングの資格を有したインストラクターを派遣して、スキーのポールを使って津波避難ビルを往復するウオーキング事業を始めた。私が同行した日は、80歳代を含む20人の高齢者らが参加して中学校の屋上を上り下りした。
効果てきめんで、「膝の痛みがなくなり、歩けるようになった」「車に乗ることが少なくなり、歩く時間が増えた」という人もいた。杖をついているよりも健康に見えるため、普段からスキーのポールを使って町内を歩く高齢者が増えたという。
5.震災サバイバルキャンプから被災地の復興支援へ
阪神・淡路大震災を追体験してみようと、国営昭和記念公園にプレハブの仮設住宅や仮設トイレ、各種テントを持ち込み、4日間に延べ1,300人を集めた震災サバイバルキャンプが1999年に開催され、その実行委員会が第4回防災まちづくり大賞を受賞した。そのプログラムもさることながら、その実行委員会のコアメンバーのその後の活動が素晴らしい。
このキャンプの3週間後にトルコでマルマラ地震が発生した。キャンプに参加していたトルコ人の大学院生が窓口になり、実行委員会のコアメンバーが仮設トイレを送るなどの支援に乗り出した。そして、仮設市街地研究会という団体を結成し、5年間にわたる文部科学省の特別プロジェクトを通して「提言!仮設市街地―大地震に備えて」という本を刊行した。その提言から生まれたのが、都内各地で開催された震災復興まちづくり模擬訓練である。その手法の開発や実践で、複数の団体が防災まちづくり大賞を受賞している。
仮設市街地研究会は、その後NPO法人復興まちづくり研究所に発展し、東日本大震災では、陸前高田市で「長洞元気村」という自律的な仮設住宅団地づくりを支援した。仮設住宅の解体後は、津波で被災した低地に「なでしこ工房&番屋」を地元住民らと一緒に建てて復興まちづくりの拠点としてきた。
震災と震災の間で、震災の経験と教訓をつなぎ、支援活動を重ねてきた先駆的な事例として語り継ぎたい。
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