災害時の地域課題を共有する「逃げ地図」づくり(防災まちづくり_その2)/山本俊哉(明治大学教授)
地方自治
2021.03.10
目次
ぎょうせいオンライン防災書き下ろし記事
災害時の地域課題を共有する「逃げ地図」づくり(防災まちづくり_その2)/山本俊哉(明治大学教授)
1.3.11の経験と教訓を活かした「逃げ地図」づくり
ハザードマップを鵜呑みにしない。災害の種類によって避難所と避難場所は異なる。率先して避難する。避難に関する3.11の教訓は数多い。これから紹介する「逃げ地図」づくりは、それらを踏まえて開発された事前防災のツールである。
「逃げ地図」づくりは、一人でも可能であるが、ワークショップと呼ばれるグループワークを基本とする。震災の翌年に陸前高田市で初めて開催されてから全国に広がった。私たちが把握しているだけでも全国20都府県40市区町以上に及ぶ。地震に伴う津波だけでなく、地震火災や土砂災害からの逃げ地図づくりのワークショップも実施されている。
この基本的な手法を考案したのは、日建設計という大手設計事務所のボランティア部のメンバーである。大規模建築物を設計する際にいつも考える避難の時間や経路の習慣が活かされた。「逃げ地図」づくりの要点を述べると、ハザードマップを下敷きにして避難目標地点を設定し、そこからの避難経路を3分毎に緑、黄緑、黄、橙、赤といった順で色分けする。その距離と時間は後期高齢者の歩行速度を基準に3分間で129mとする。用意した白地図に色を塗り終えると避難方向に矢印を入れて、気がついたことを付箋に書き出しながら意見を交換する。
できあがった「逃げ地図」を見ると、どこにいると一番近い避難場所まで何分かかるかが一目瞭然だが、それを見た意見の交換が最も重要である。事前に考えておかなければならない課題が次々と出され、参加者の間で共有される。指定されている避難場所は安全か? いつ、どのように避難すべきか? 災害弱者は誰が避難を助けるのか?
2.青年会議所がハブになった「逃げ地図」づくり
2019年12月、明治大学のグローバルホールの壇上に、日本青年会議所(JC)国土強靭化委員会の正副委員長の3名が並んだ。私たち「逃げ地図」づくりプロジェクトチームの編著書「災害から命を守る『逃げ地図』づくり」の出版記念シンポジウムで、その1年間全国各地で取り組んできた「逃げ地図」づくりの成果が報告された。
JCは、各地の次代を担う40歳までの若手メンバーで構成され、様々な地域活動のハブとなっている。それらを束ねる日本JCは2018年9月、内閣府と「未来へつなぐ防災プロジェクト」に関するタイアップ宣言に調印した。同国土強靭化委員会はその主要プロジェクトとして全国各地で開催された「逃げ地図」づくりワークショップを支援してきた。
その年に発生した西日本豪雨の影響もあって、洪水からの「逃げ地図」づくりが多かった。それを通して浮かび上がってきた課題は、その地域固有の脆弱性である。例えば、鉄道や他の道路との立体交差部でアンダーパスになっている道路が浸水し、避難時に大渋滞を起こしかねない状況が逃げ地図づくりを通して鮮明にイメージされ、ハードとソフトの両面で共有すべき課題がクローズアップされた。
「逃げ地図」づくりワークショップは、世代間、地域間の交流と連携を深める契機になる。例えば、金沢市ではイクメンのJCメンバーがそれぞれ子どもを連れて参加し、高齢化が進む地域住民との三世代交流が進んだ。埼玉県坂戸市では新潟の雪国JCと地元の西入間JCの災害時協力を深める絶好の機会となった。
3.津波の被災地で洪水からの「逃げ地図」づくり
2019年の台風19号は、東日本の各地で大きな傷痕を残した。東日本大震災で被災した気仙沼市でも洪水被害が生じ、約千名が避難した。震災で被災した南気仙沼小学校跡地に建てられた災害公営住宅の周辺も浸水した。気仙沼市で最初に完成した災害公営住宅だったため、早く仮設住宅を退居したい高齢者が市内各地から入居したため、コミュニティの形成が課題であった。
この災害公営住宅に居れば、洪水の被害には遭わないが、いつも住宅にいるわけではない。小学校の教諭として津波からの「逃げ地図」づくりを進めてきた阿部正人先生は、その災害公営住宅の自治会長と話し合い、周辺の地域住民も交えた「逃げ地図」づくりワークショップを開催した。同じ地域でも地震と台風では、被災状況も避難行動も異なる。それを地図上に可視化してそれぞれの場合の課題を共有する好機となった。
阿部正人先生は、東日本大震災を受けて始まった宮城県教育委員会の防災主任研修会でも、気仙沼地区の地区研修会の講師になり、小中学校の「逃げ地図」づくりを指導した。その時も、それぞれの校区の立地条件に応じて津波と洪水の「逃げ地図」を作成した。こうした地域に根差した防災教育と阿部正人先生のような人材育成が真に求められている。
4.毎年続けている伊豆下田の「逃げ地図」づくり
伊豆半島の南部に位置する下田市立朝日小は、南海トラフ巨大地震が発生すると、校舎が津波に呑み込まれてしまう。そうした危機感から、防災教育に力を入れてきた。その一つが抜き打ち避難訓練であり、もうひとつが「逃げ地図」づくりの連続ワークショップである。
朝日小の背後には、多景山と呼ばれる高さ25mの裏山がある。地元住民が協力して古来の農道にコンクリートを打ち、高齢者も登りやすいように手すりをつけた。朝日小では、その裏山に駆け上がる避難訓練を抜き打ちで行ってきた。最初はもたもたして避難に30分以上かかっていた1年生も4分以内で登れるようになった。
「逃げ地図」づくりは、Uタウンで戻った建築家の進士弘幸さんがPTA会長だった6年前に提案して以来、毎年5〜6年生がつくっている。1回切りのイベントではない。つくった「逃げ地図」を使って現地で点検し、それらの成果をまとめて地域住民に発表している。「逃げ地図」は新しい避難場所が増えると色が変わる。色が変わると、成果が見えてさらにやる気が出る。地域の関係者はその変化が可視化された逃げ地図を子どもたちが作成することを楽しみにしている。こうした世代間の連携プレイが当たり前のように行われている。
5.命が助かる可能性を見出す「逃げ地図」づくり
「逃げ地図」は、コンピューターを使って描くことも可能である。和歌山大学の吉野孝研究室が開発した逃げ地図制作Webシステム「逃げシルベ」がそれである。日本建築家協会和歌山地域会で「逃げ地図」づくりを進めていた森岡茂夫さんの要請に応えた。その吉野先生も森岡さんも「逃げ地図」づくりはグループワークで色塗りする方法が一番だと断言する。みんなと一緒に塗りながら、いろいろな気づきが得られるからである。
紀伊半島の沿岸部は、南海トラフ巨大地震が発生すると、すぐに津波が押し寄せる。地域住民の中には、その時は「お迎えが来た」といって端から諦めている高齢者が多いが、森岡さんが暮らす太地町で「逃げ地図」をつくったら、参加者は口々に「意外と助かることがわかった」と言って喜んだという。新たな避難場所を増やせば、「逃げ地図」づくりの避難速度の基準を速めれば、さらに助かる人が増える。
こうした経緯から「逃げシルベ」は、文部科学省「防災対策に資する南海トラフ地震調査研究」の一環でバージョンアップされた。避難速度を速めるなどの様々な条件設定が可能になり、「逃げ地図」づくりのベースマップも用意できるようになり、グループワークをサポートするツールとしての機能をさらに高めた。このシステムは今のところ和歌山県内に限られているが、他の地域にも広がることが期待されている。
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