3.11の避難の経験と教訓を活かす事前防災(防災まちづくり_その1)/山本俊哉(明治大学教授)

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2021.03.10

ぎょうせいオンライン防災書き下ろし記事
3.11の避難の経験と教訓を活かす事前防災(防災まちづくり_その1)/山本俊哉(明治大学教授)

1.津波の予測を鵜呑みにした「失敗」

 3.11の震災前、宮城県沖を震源とする大きな地震は、今後30年以内の発生確率は99%とされていた。
「私たちの一番の失敗は、それを鵜呑みにしたことです。」と、岩手県陸前高田市の戸羽太市長は反省する。鵜呑みにしたそれとは、99%の確率と50cm〜1mの津波浸水深のことであった。あの日に襲来した津波の高さは10mを軽く超えた。一次避難所(緊急避難場所の意味)に指定されていた市民会館や市民体育館は、天井近くまで津波に呑みこまれた。
 M9.0の巨大地震は「想定外」と言われたが、2003年の国の発表では、「M7.5の宮城県沖の99%」の他に、「M8.2の三陸沖〜房総沖の20%」もあった。東日本大震災は、南海トラフ巨大地震として恐れられている連動型だった。
 リスクは、災害に限らず、発生確率とダメージの大きさを掛け合わせて測られる。発生確率の低いものでもダメージの大きなものは注意を要するが、どうしても過去の経験に基づき、自分にとって都合の悪い情報を過小評価する「正常性バイアス」に陥りやすい。
 陸前高田市では、安全とされた一次避難所で303〜411人(推計)が犠牲になった。同市の東日本大震災検証報告書では、それを「痛恨の極み」とし、県の予測以上の津波は襲来しないと絶対視して避難所を見直さなかったことは真摯に反省すべきと記された。

2.大川小学校事故訴訟の確定判決を受けて

 児童74人と教職員10人が犠牲になった石巻市立大川小学校も、宮城県沖を震源とする大きな地震の津波浸水域から外れていたことから、地震時の避難場所になっていた。そのため、地震直後、周辺地域の地域住民も大川小の校庭に避難してきていた。
 津波の到達まで50分間あったが、教職員たちは点呼を取った後、迎えにきた保護者への児童の引き渡しの傍ら、裏山に逃げるか否か逡巡していた。裏山に登った経験のある教職員や児童は何人もいたが、教職員集団が下した意思決定はあまりに遅かった。何故か河川堤防に近い三角地帯を目指して避難する途中に津波に呑まれた。
 大川小学校事故訴訟において、市と県は「事前に津波は予測できなかった」と主張したが、二審の仙台高裁は「ハザードマップの予測には誤差がある」として一審に続き、賠償を命じた。その判決では、学校は実際の立地条件に照らして独自の立場でハザードマップの信頼性を検討すべきであり、危機管理マニュアルに児童を安全に避難するに適した避難場所を定め、避難経路及び避難方法を記載すべきと言及した。市と県は「学校現場に過大な義務を課している」と上告したが、最高裁はそれを退け、判決は確定した。  
 この確定判決を受け、宮城県教育委員会は2020年12月、①教職員の災害対応力の強化、②児童生徒が自らの力で命を守る意識の育成、③地域の特性を踏まえた防災体制の整備、④地域ぐるみの防災体制の構築を基本方針とする最終報告書をまとめた。この方針をいかに実行に移すか、その具体策が問われている。

3.釜石の「奇跡」ではなく「実績」

 釜石の「奇跡」と呼ばれた釜石東中と鵜住居小も、震災前は津波浸水区域外に想定されていた。釜石東中の校舎は、屋上であれば津波から逃れられると消防当局からお墨付きをもらっていた。しかし、当時副校長だった村上洋子さんは、迷うことなく、生徒たちに「走れ!」「点呼をとらなくていいから」と叫んだ。生徒たちは先を争うように、以前避難訓練をした福祉施設まで走った。それを見て隣の鵜住居小の児童たちも中学生たちを追った。
 釜石東中では、「想定にとられるな」「その状況下において最善を尽くせ」「率先して避難せよ」という釜石市の津波防災教育の避難三原則を教えてきた。「助けられる人から助ける人へ」を標語に、率先避難とともに助け合いも教えてきた。その効果もあり、中学生らは小学生らの手をとり、福祉施設に避難して来た保育園児たちの乗った台車を押し、さらに高台へ避難した。だから、村上洋子さんは、「奇跡」でなく、「実績」だと強調する。
 陸前高田市出身の村上洋子さんは、釜石東中に赴任するとすぐに、地元の料理宿「蓬莱館」女将の岩崎昭子さんらから地域の災害と防災の歴史を学んだ。地域との関係づくりは、いざと言うときに役に立ったと振り返る。

4.気仙小学校の避難を支えた遊び場の存在

 陸前高田市でも、津波で校舎が水没した気仙小や気仙中をはじめ、地震直後に学校にとどまっていた小中学生は全員助かった。震災の翌年、私の研究室で卒論を書いていたHey!Say!JUMPの伊野尾慧君が児童生徒や地域住民らから直接、聞き取り調査を実施した。それによると、事前防災の重要性が浮かび上がってくる。
 気仙中は、学校から徒歩3分の高台駐車場を独自に避難場所としていた。震災3日前の地震でも生徒たちは全員そこに避難した。当日も全員直接駆け足で向かったが、教員が危険を察知してさらに高台の農地へ移動し、地域住民の誘導で山を越えて公民館に避難した。
 気仙小は、津波浸水区域に想定されていなかったので、津波避難場所に指定されていた。気仙小の児童たちは地震直後、校庭に集まっていたが、地域住民の指示で「わんぱく山」に登った。そして裏山を約1km歩き、公民館を経て長円寺に避難した。
 「わんぱく山」は、映画「先祖になる」で有名な木こりの佐藤直志さんが気仙小のPTA会長だった50年ほど前に、地域住民と学校が協力してつくった冒険遊び場である。そこに至る避難階段も自前でつくったが、老朽化したため、再整備した。地元住民らが代々楽しんできた遊び場がいざと言うときに役立った。

5.震災の経験を活かした相馬市の事前防災

 2021年2月15日の夜、福島県沖でM7.3の大地震が発生し、相馬市等で東日本大震災以来の震度6強を記録した。各地で建物の損壊や停電が発生した中、地震からわずか1時間足らずで避難所を開設した相馬市の早期対応とコロナ禍対応が注目を集めた。コロナ禍対応としては、避難所をまず2箇所開設し、プライバシーも守れるテントを体育館に2m間隔で並べた。検温で体温の高い人・家族は、片方の体育館に誘導し、救急車に医師を待機させて抗原検査キットも準備していた。これらは、コロナ禍対応を盛り込んで見直した避難所運営マニュアルに沿って行われた。換気のためストーブによる暖房には限界があったが、毛布を大量に用意していた。10年前の地震当日も寒かった。その経験を活かした対応であった。
 立谷秀清市長は地震直後、自らマイクをとって防災無線で災害状況を市民に伝えたが、避難所開設の準備は特に指示しなかった。職員が自ら出勤して開設した。ここにも震災の経験と日頃の気持ちの持ちようが生かされたという。
 相馬市の沿岸にある保育所では、園児と保育士全員が参加する避難訓練を月に2回欠かさず行っている。園児たちは「津波の時には高いところに避難します」といった独自の「防災の誓い」を暗唱できるほど覚えているという。いつも保育所で使っている防災頭巾の代わりにクッションを持って高台の親戚宅に避難した園児がいたことがNHKで報じられていた。事前防災が定着している証拠でもある。

山村武彦氏近景
山本俊哉(やまもと・としや)
明治大学理工学部建築学科教授 1959年、千葉県出身。千葉大学大学院修了、博士(学術)。専門は、建築・都市計画、安全学。墨田区一寺言問地区の防災まちづくりなどのコンサルタントを経て、2005年から現職。研究成果を社会に還元する一般社団法人子ども安全まちづくりパートナーズの代表理事、一般財団法人都市防災研究所理事、NPO法人向島学会副理事長などを務める。著書は、『災害から命を守る「逃げ地図」づくり』『防犯まちづくり〜子ども・住まい・地域を守る』(以上、ぎょうせい)、『仮設住宅 その10年:陸前高田における被災者の暮らし』(御茶の水書房)など多数。

【関連情報】
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