徴収の智慧
徴収の智慧 第50話 効率的な滞納整理(1)
地方税・財政
2019.12.23
徴収の智慧
第50話 効率的な滞納整理(1)
元横浜市財政局主税部債権回収担当部長
鷲巣研二
効率性を阻害する原因
滞納整理に携わる徴税吏員であれば、効率的な滞納整理を希求しない者はいないだろう。ところが現実はどうだろうか。不履行を繰り返す(守られない)納税誓約を山ほど抱えていたり、差し押さえた不動産が公売されずに塩漬け状態になっていたりして、思うように整理が進捗せずに悩んでいる地方団体は少なくないのではないだろうか。
何事にも必ず原因があるのだから、効率的でない現実があるとすれば、現に行っている実務をゼロベースで徹底して見直す必要があるだろう。そもそも徴税吏員の徴税吏員たるゆえんは、処分吏員だというところにあるのだから、その固有の権限である「調査権」と「処分権」を駆使して滞納整理を行うべきであるのに、これまでの地方税の滞納整理の手法といえば、知ってか知らずか定かではないが、こともあろうにその周辺の事務にばかり精を出していることが少なくなかったように思われる。すなわち、電話や文書による催告であるとか、納税交渉などと称して相手が納得するかどうか、またいつ納得するのか全く先の見えない説得に惜しみなく時間を費やしているところが少なくなかったのである。ひどい場合だと、いまだに訪問催告を行っているところもあるという。その場合、滞納者に居留守を使われることも少なくないであろうし、(滞納者が)不在につき差置状(催告書)をポストに投函して帰庁するような郵便配達人まがいのことまでしているという。
法治行政という大原則
このほかにも、せっかく財産調査をして差押え可能な財産を発見したのに速やかに差押えを執行せずに、その発見した財産をてこに、「このまま滞納を続けると差し押さえますよ」とばかりに滞納者に迫ることが実務の常態となっているところもあると仄聞するから呆れるばかりである。国税徴収法第141条は何と定めているのかもう一度よく読んで、法律に基づいた滞納整理にもっと忠実であるべきではないか。地方税の場合は、国税に比べて住民との距離が近いから、なかなか法律通りというわけにはいかないのだといった「言い訳」は通らない。法律に従った事務処理が、杓子定規で融通が利かないとして否定されるのだとしたら、法治行政という大原則が吹き飛んでしまう。それではまさに「俺が法律だ」と言わんばかりの無法状態を、法の執行者であるべき公務員が自ら体現するようなものである。それでは公務員として採用されたときに「憲法及び法令を遵守し、住民の福祉増進のために職務に精励する」旨宣誓したことが空々しいし、その内容を無に帰するようなものである。本来あるべき姿に一歩でも二歩でも近づけるように努力を尽くすのが公務員であり、徴税吏員なのではないか。その努力を放棄してはならないと思う。
効率的な滞納整理の内容
では具体的にどうするか。徴税吏員固有の権限である「調査権」と「処分権」に係る事務に特化することである。先に述べた催告は、オペレーターや印刷業者にアウトソーシングし、いつ滞納者が納得するか見通しがつかないような先の見えない説得などやめるべきなのである。そもそも、租税債権債務関係は、法律の定める要件に合致する事実が納税義務者につき認められる場合に初めて生じるのであって、契約によって生じるのではないから、「徴税側も滞納者側も双方が譲るとか譲られる」という関係にはないのである(租税法律主義)。だから滞納者を説得するなどと言っている人は、租税法律主義に対する理解を欠いていると言わざるを得ないのである。つまり、法的には租税というものは、納税義務者が納得しているか納得していないかにかかわらず、「納税しなければならないもの」なのである。そのことは税法の条文を見てみれば明らかである。税法には「納税者の納得」とか「納税者の理解」とか「納税者の協力」などといった表現は一切見当たらない。それは、法律が国権の最高機関である国会で承認され、成立した規範であるからにほかならないのである。
徴税吏員が、徴税吏員にしか許されていない「調査権」と「処分権」に特化した事務に専念できるような執行体制を作り上げることこそ、効率的な滞納整理のための秘訣なのであり、目指すべき「あるべき滞納整理の姿」なのである。