introduction 生徒指導提要改訂を踏まえたこれからの教育相談の在り方

トピック教育課題

2023.02.13

introduction 生徒指導提要改訂を踏まえたこれからの教育相談の在り方

東京聖栄大学教授
有村久春

『教育実践ライブラリ』Vol.4 2022年11

改訂版に学ぶ

 このたびの『生徒指導提要』の改訂は、社会の進展に伴う子供の生態と課題に応じながらも、これまでの提要を大枠で受け継いでいる。すなわち生徒指導の位置を<教育目標を達成する重要な機能>と<学習指導と並ぶ学校教育の重要な意義>として意味付けている1。子供の<豊かな学びと成長>を保障する生徒指導にあって至極当然の理解であろう。一読して、ある種の安定と安心を覚える。

[注]
1 文部科学省『生徒指導提要』令和4年、p12の記述

(1)生徒指導の価値
 また、今日にある課題性を重視して「発達支持」「未然防止」「早期発見」「チーム支援」などの言葉を用いた生徒指導の構造を示している。そこには問題解決重視あるいは対応型のニオイも漂う。

 いまの学校の状況と子供の生態そしてそれに関与する社会の環境には、何か事が起こる前に何とかしたい、問題があってはならないなど、ねばならない(must)思考が強い。危機管理の面から致し方ないのか。やや閉塞感が漂う。生徒指導の実際場面では、むしろこれでよい(good enough)の感覚を大切にする方向でありたい。ただ、そこには相応の深い思索と高い倫理観が求められよう。

 教育の普遍的な課題ともいえる陶冶と訓育を超えるところに生徒指導の価値がある。そこには二項対立または矛盾との葛藤も生じる。それを克服する努力も必然である。そこに有益に機能するエネルギーがカウンセリング(教育相談)の実際体験である。不一致にある自己に少しずつ一致する自己が重なっていく。そのプロセスと瞬間がここちよい。

(2)臨床的な学び
 日々の教育課程の実施にあっては、系統性(顕在的カリキュラム)と機能性(潜在的カリキュラム)の調和が欠かせない。生徒指導・教育相談は、後者の役を果たす。ヒトの身体に例えれば、全身を流れる血液であり、系統性の強い学習指導は彼を形づくる骨格であろうか。子供の学びの事実にみられる<できる&できない、うれしい&悲しい、やる気&無気力>などの情緒面に向き合う営みでもある。

 私たち人間は、本来、本提要のその定義の一文にある「社会の中で自分らしく生きることができる存在」であることを欲する。それは、「素直なヒトの道」を自ら探し求めていこうとする証である。

 例えば、その本文p89で言及している「バイオ・サイコ・ソシアル(Bio-Psycho-Social;BPS)モデル」にその示唆が得られよう。この理解には、精神医学的な知見とその臨床研究の学びを要する。

 詳細は略すが、子供の存在をどうみるか? の視点から納得感のある論である。ここには、単一的な教育論では片付かない事態がいまの子供たちの社会を包んでいることにあろう。子供のこころと生き方を脅かしている(BPSモデルの崩れ)。余談であるが、このモデルに自らを投影し、そのバランスのあり様を思索した一人が夏目漱石ではないか。彼はあの膨大な著作を描くことで、悩める自己の存在を問いつつ新たな社会的な位置を得たのではないだろうか。

生徒指導と教育相談の位置取り

この双方の関連と位置をどのように考えるのか。

(1)若干の歴史的経緯
 例えば、昭和56年の『生徒指導の手引(改訂版)』2では、生徒指導には二つの側面(積極的な面と消極的な面)があるとする。教育相談はそれらに関与しながら、特に個別の指導を大切にする。生徒集団の全体を対象とする指導では解決できない場合が少なくないとしている。そこには、子供の人格のより良き発達を願いながらも、当時の多発していた問題行動(特に校内暴力や非行行為)への即時的な対応に追われていた苦悩もうかがえる。

[注]
2 文部省(当時)『生徒指導の手引(改訂版)』昭和56年、p101の記述

 また、平成22年の『生徒指導提要』3では、生徒指導を四つのキーワード(人格の尊重・個性の伸長・社会的資質・行動力)でとらえる。生徒の自主的な判断や行動、自己を生かす能力の援助を重視する。この考えをもとに、教育相談は主に個に焦点を当て、面接や演習により内面の変容を図る。これらの実践化に向けて、発達心理や認知心理など知見に学ぶ重要性を指摘する。一方、生徒指導は主に集団に焦点を当て、行事や特別活動などの活動の成果や集団変容を目指す(特にいじめ問題や不登校対応など)。それぞれの相違点を示しながら、結果として双方とも個の変容に至ることを重視している。

[注]
3 文部科学省『生徒指導提要』平成22年、p92の記述

 その後、周知のように平成29年の学習指導要領改訂4では、総則の第4にこれまでの<生徒指導と教育相談>の考え方を活かす記述がみられる。

[注]
4 文部科学省『学習指導要領』平成29年、第1章総則・第4の記述

 「主に集団の場面で必要な指導や援助を行うガイダンスと、個々の児童の多様な実態を踏まえ、一人一人が抱える課題に個別に対応した指導を行うカウンセリングの双方により、児童の発達を支援する」(小学校の記述:中高の場合も同様)の一文である。加えて、学年の特長を生かす指導の工夫や自己実現を図ること、児童理解を深め学習指導と関連付けて生徒指導の充実を図ることなどに触れている。

 そして、この度の提要の改訂。これまでの双方の対立点にもふれながら、教育相談には<発達支持・課題予防・困難課題対応の機能>がある、また<悩みや問題を抱えた児童生徒を支援する働きかけ>がある、と記している。この点が<主体的・能動的な自己決定を支える働きかけ>である生徒指導の考え方と重なり合うとする。そこに、子供個々への双方の<包括的な支援が可能>になるとしている。

(2)子供をど真ん中に
 このように、今回の改訂では社会に開かれた教育課程の意図(学習指導要領)をふまえ、「教育課程の内外を問わず、学校が提供する全ての教育活動の中で児童生徒の人格が尊重され……」と、ひろく社会全体に生徒指導の意義を問いかける。そのうえで、生徒指導の目的を「児童生徒一人一人の個性の発見とよさや可能性の伸長と社会的資質・能力の発達を支えると同時に、自己の幸福追求と社会に受け入れられる自己実現を支える」と記している。

 子供一人一人が自己のよさを生かすことと同様に、それが社会に認められることが自らの自己実現に資するとしている。いわんや、子追求が社会に受け入れられること、そしてそのプロセスにあることが子供自身の自己実現を可能にすることを、次代に生きる子供たちに問いかけている。

 人生100年時代を見据えた子供のキャリア形成に相応の期待感を寄せていよう(少子化時代の子供への暗黙の圧力か?)。社会に役立つ人的資本を考える局面で、その文章化に苦心したであろうと察する。生徒指導・教育相談は、ともに子供をど真ん中にする学び合いの営みである。それゆえ、大人の論理によるステレオタイプの見方や考え方は成り立たない。それをアウフヘーベンする方向を模索したい。

カウンセリング感覚の習得

 日々の教育活動の実践では、この課題の克服が生徒指導の在り方を左右する。とりわけ、子供や保護者など(クライエント)と向き合う初期段階のかかわり方である。安心感のある応対で臨みたい。

 このことが、クライエントのその場の居心地やその後の学習活動など、自己の在り方生き方を支えるエネルギーに資する。この営みに教育の論理や実際の教育相談のアプローチがどのように関与するのか、またそれを<機能的>とする枠組みをどのように構成するのかなど、「先生」の力量が問われよう。

 子供個々が求める生徒指導は、そこにある同化や調節の発想よりも、むしろ分化や超越への挑戦を受け入れる事実であろう。それゆえ、BPSのモデルなどを基盤にして、先生が自らの指導のあり様を自らに問うことである。子供たちはそのデータに学ぶ臨床的マップを描く先生の挑戦を求めている。単なるガイダンス的な指導の優先では、立ち行かない。

 例えば、子供一人一人の言動をよく見て、その記録をエビデンスに先生自身の手による学びのモデルを構築する。このマップの描き具合が、子供と向き合うカガミとなるであろう。そこに子供と一緒に先生自身を映し出してみる。すなわち、子供も先生も「自らの学び」(Identity:専門性の確立)と他と「かかわり合う」(Engagement:社会的契約)作用にシンクロしながら、互いに学び合っていく関係性を深め拡げていくことである(図1)。


図1 自己存在と社会参画の相関

 子供と先生は互いの学びと存在を認め合い、図1の第I象限に位置する自己でありたいとする。日常的にこの位置にある子供と先生の学校生活は豊かで実りも多い。ただ、子供たちはその置かれた空間の空気を吸いながらも、IIやIV、ときとしてIII象限に自分が位置することがあるかもしれない。不意にそうせざるを得ない事態に置かれることもあろう。

 今回の生徒指導提要は、それらII・III・IVの象限など多様な事態への<配慮と待ち>の感覚を子供と先生に求めていると、前向きな期待をする。

 ここにある子供と先生の学びの営みが、いまに求められている生徒指導・教育相談であろう。この理解とたゆまぬ研鑽が「先生」の仕事ではないか。

 そこには、その先生が自ら獲得する先生としての確かな倫理が不可欠である。いわゆるノーブレスオブリージュ(noblesse oblige)<位高ければ、徳高かるべし>である。先生としての専門性たる高みであり、潜在的に先生の丹田にある純粋性ではないか。漱石が自ら得た「自己本位」そして「則天去私」の立ち位置にも通じるであろう。

改めて「教育相談」への期待

 本提要p87に、生徒指導と教育相談のある一面を示す記述がみられる。「……また、担任として集団に重点を置く規範的・指導的態度と個に重点を置く受容的・相談的態度とのバランスをとるのが難しいという声が聞かれる……」。二つの態度にどのように向き合うのか、その本質を問う一文である。

 この<難しさ>に日々直面し、その時と場を愉しむところに子供と先生の学び合い(教育)がある。ここに働き方改革なる作用が連関し、この学びの悦びを縮小しているのであれば、生徒指導とりわけ教育相談のよさと可能性は損なわれるであろう。そこにある空気感は、先生の純粋性を曇らせる。

 あえて「教育相談」を問えば、<子供たちが生きるフィールドに子供と先生が安心してかかわり合い、ありのままの自分が居る営み>と言えよう。

 この用語は、昭和44年の学習指導要領改訂(中学校)ではじめて使われる(筆者調べ)5。その後、「カウンセリング(教育相談を含む)」や「教育相談活動」などの言い方で、各校種の学習指導要領及び本提要などの公的な文書にも登場している。

[注]
5 「教育相談」について:昭和44年4月の中学校学習指導要領・第4章特別活動(B学級指導)に「……個々の生徒に対する指導の徹底を図るためには、……、教育相談(進路相談を含む。)などを、計画的に実施することが望ましい……」として登場。平成10年には総則に「ガイダンス」が、平成29年には小中高の総則に「カウンセリング」も登場。同年の各校種の特別活動には「カウンセリング(教育相談を含む。)」とで示される。

 その意味は、カウンセリングを体系づけたカール・ロジャース(1902-1987)が彼の著書6の裏表紙にサインしてある<The way to do is to be>に象徴されよう。為すことは在ることである、自ら思うように生きる、あるがままに生きるなどと訳せよう。教育:educationは、引き出す:educeに由来する。まさに今日にある教育の原理である。彼のサインは、教育相談(カウンセリング)の真意を語っていよう。<人は自らのこころに純粋であろうとし、自発的・能動的な生き方を希求する>と。

[注]
6 カール・ロジャース著『カウンセリング(改訂版)』(ロジャース全集第2巻)岩崎学術出版社、1966年、裏表紙

 とりわけ、子供は自らの能力を発揮したい、自らにある姿を見出してほしいとする存在である。先生の教育活動は、子供の本来のよさを尊重し、意欲的に学習する子供の生き方を援助する。そこにある子供と先生は、相互に学び合う存在である。

 そこでのLearning&teachingは、対(つい)だろうか。仏語のapprendre(学ぶ)は、「学ぶ」「教える」をあわせもつ。両者は絶対的な意味で対立し合わない。そして両者が同一の人間であることもあるという7。すなわち、子供と先生の<学び>がメタ化してこそ、教育活動本来の目的達成がみられる。

[注]
7 オリヴィエ・ルブール著『学ぶとは何か』勁草書房、1984年、p1

 

 

Profile
有村久春 ありむら・ひさはる
 東京都教員、指導主事・主任指導主事等、1998年から昭和女子大学(講師・助教授・教授)、岐阜大学・大学院教授、帝京科学大学教授を経て現職。カウンセリングや生徒指導、人権教育、特別活動等に関する研究を行う。著書:『改訂三版キーワードで学ぶ特別活動 生徒指導・教育相談』(金子書房)、執筆:『新教育ライブラリPremier』(ぎょうせい)、「連載:カウンセリング感覚で高める教師力」など。

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