「社会に開かれた教育課程」は未来に何を残せるか [第4回] 「深い学び」における「経験」の意義(上)

トピック教育課題

2021.01.03

「社会に開かれた教育課程」は未来に何を残せるか
[第4回]「深い学び」における「経験」の意義(上)

日本大学教授
佐藤晴雄

『新教育ライブラリ Premier』Vol.4 2020年11月

「学び」のピラミッド

 現在、「思考力、判断力、表現力等の育成」が重視されていますが、これらの「資質・能力」はどのようなプロセスで育まれるのでしょうか。今回は、そのプロセスについて、庄司和晃氏の「認識の三段階連関理論」で取り上げられている「学びのピラミッド」(名称は筆者による)を用いて解き明かしたいと思います。「認識の三段階連関理論」そのことについては次号で取り上げる予定です。

 なお、図1は庄司氏の生前にご本人の了解を得て、その理論図解に筆者が手を加えたものです。つまり、対象-認識-表現に「のぼる」過程を「つくる学び」とし、表現-認識-対象に「おりる」過程を「わかる学び」とそれぞれ名付けて書き変えました。

認識の条件

 さて、我々はヒト・コト(活動や文化等)・モノなどを五感で認識します。その際、「興味・関心、必要性、インパクト」という3条件が認識の鍵を握ります。

①「興味・関心」
 まず、「興味・関心」についてです。筆者は前任校勤務時代に親しい同僚から、「新しい車両はどうですか」と問われたことがありました。問いの意図が不明なので、「何のことですか」と問い返すと、「新しいステンレスカーになったでしょ」と言うのです。鉄道ファンの同僚にとって車両は「興味・関心」の対象だったのですが、私はそのファンではなかったので車両の変化に気付かなかった訳です。このように、「興味・関心」のある対象は認識しやすくなりますが、そうでないと認識しにくいのです。

②「必要性」
 「興味・関心」がなくても、「必要性」を感じれば認識するようになります。カロリー制限を意識している人は過去に摂取した食物を具体的に認識していますが、そうでない人は一昨日程度の食事内容さえも認識しにくくなります。また、講義に興味・関心を示さない学生に「ここは試験に出ます」と言うと、講義内容を認識するようになります。「興味・関心」と「必要性」は独立した条件的要素なのです。

③「インパクト」
 「インパクト」は「興味・関心」や「必要性」を感じなくても認識を誘発しやすくなります。相撲に興味がなくても、街中で力士を見かけたら、その名前と顔を知らない力士でもその存在を認識するでしょう。珍しい食物を食べたら、カロリー制限をせずとも記憶に残りやすいのです。

 以上のように、「興味・関心」「必要性」「インパクト」のいずれの条件的要素も欠けば、ある対象に触れても認識しにくいのです。教師が授業に集中していない児童生徒に対して「あなたはなぜ先生の話を聞いていないのですか」と言うのは愚問です。先生の話は興味・関心もなく、必要性も感じられず、単調でインパクトもないからです。

 また、認識できても、その範囲は対象の一部分に縮小されてしまいます。面白い本を読んでも認識して記憶に残るのはごく一部に過ぎません。人の話を10聴いて10認識するのも難しくなります。

「認識」から「表現」へ

 さらに、認識をすべて表現できる訳ではありません。認識が凝縮され、また具体的に表現しにくいからです。たとえば、今日1日の出来事を5分で話せと言われたら、5分に凝縮することになります。また、珍しい物を食べたとき、どんな味かを問われても「美味しい/美味しくない」としか答えられないことがあります。こうして対象-認識-表現の過程は下から上に向かって小さくなるピラミッド型に表せるのです(図1)。

求められる二つの「学び」

 以上のように、ピラミッドの下から上にのぼる「つくる学び」には、図工・美術での作品づくり、調べ学習、作文などが当てはまります。

 これに対して、上から下におりる「わかる学び」には、芸術作品の鑑賞、文学作品の理解、数学の公式理解などが該当します。学習はこのように「のぼりおり」(庄司1999)していくことによって深く身に付きます。文学作品や絵画等の表現物を読んだり見たりして、その作者の意図(認識)を探り、さらにその背後にある状況(対象)にまでおりていって「わかる」のです。

 ある例を取り上げてみましょう。小学生が公園で描いた絵には太陽が二つありました。なぜでしょうか。その小学生はその日の気温がとても高かったことから(対象)、昨日の二倍くらい暑いと認識して(認識)、太陽を二つ描いたのです(表現)。小学生の描く過程は「つくる学び」で、この絵を鑑賞して、太陽が二つあるくらい暑いのだなとわかってあげ、その子が汗をかきながら絵を描いている姿を想像してあげることが「わかる学び」(鑑賞)になります。

 ところで、認知科学では認知を「認識すること、理解すること、思考することなど、高度な知的活動を包括的に表すことば」だと定義されます(道又ほか2011)。つまり、認識は認知の一面に位置付き、理解や思考と並ぶ概念だと言えます。ただ、認識は知的な活動に限らず、日常生活でも行われます。そこで、学びの場では日常の「認識」を「思考力・判断力・表現力」と関連付けることによって高度な知的活動に高めることができるのです。「知って(認識して)いる」だけでは「深い学び」にはつながらないからです。

[参考文献]
・庄司和晃著『認識の三段階連関理論』季節社、1999年
・道又爾ほか著『認知心理学-新版』有斐閣アルマ、2011年

 

Profile
佐藤晴雄(さとう・はるお)
 日本大学文理学部教育学科教授。東京都大田区教育委員会、帝京大学助教授などを経て2006年から現職。中央教育審議会専門委員(初等中等教育分科会)、文部科学省コミュニティ・スクール企画委員、日本学習社会学会会長などを歴任。博士(人間科学)大阪大学。日本教育経営学会理事など。主な著書に、『コミュニティ・スクールの成果と展望』(ミネルヴァ書房)、『教育のリスクマネジメント』(時事通信社)、『新・教育法規解体新書』(東洋館出版社)ほか多数。

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