いま、先生のメンタルは大丈夫か? 有村久春(東京聖栄大学教授)

トピック教育課題

2019.05.16

『リーダーズ・ライブラリ』Vol.10 2019年

ケース

 小学5年担任のS先生(教職歴6年、異動1年目)。5月中旬頃から子供たちが落ち着かない。互いに悪口を言い合う、集団行動でのダラダラした動き、神経質になる子がいて騒がしくなるなど、授業がうまくできない。音楽専科からも「子供が荒れている」との指摘を受ける。S先生自身にイライラ感がある。こんなはずではないとの思いもする。

 打開策としてS先生の言動に、「早くして」「静かにしなさい」「何してるの!」「それでも5年生なの?」などが多くなる。子供たちは反発するどころか、無表情さをみせ、S先生を避ける態度に。授業中に教科書を出さない、質問にも積極的に発言しない、級友の言動を嘲笑するなどの状況もみられる。

 そして、5月末の保護者参観の意見に「静かな授業ですが子供に活気がない。学力が身に付くか心配。校長先生の話では子供たちと対話し深く学ぶことで、確かな学力が育つとのこと。その実現に程遠いのでは?」との記載が。また、保護者間のうわさに〈S先生、授業がヘタ、子供が寄り付かない、指導力がない〉などがあることを小耳にはさむ。

 前任校では若手のホープとして期待され、研究授業等でも実績を挙げての転勤。S先生なりの自信もあり、校長からも高学年をよりよくリードしてほしいとの意向も受けていた。6月になり、教頭はPTA役員に〈S先生のクラスが落ち着かない、授業が1組よりかなり遅れている、保護者に不満が出ている〉などの情報を聞く。そういえば、提出物を失念する、最終下校者になる日が多い、同僚とあまり話をしていない、S学級の子数名が保健室によく行く、などの状況を見聞する。

 このような事態と併せて、S先生は2週続けて月曜日に体調不良を理由に休暇をとったことを校長とも話したところである。

校長がS教諭と面談

 6月中旬、教頭からの話を聞いた校長は、S先生の〈こころ疲れ〉を懸念した。異動調書等の読み取りからは意外とも思えたが、さもありなんとも直観した。ほぼ毎日の教室巡視の状況から、S先生にしては一方的な授業では? 子供の声が聞こえない、掲示物がやや雑然としているなどを感じていた。

 その翌日、夏休みの林間学校の件を話すことをきっかけに、S先生と面談した。これまでS先生と向き合って話し合ったことがなかったことを振り返りながら……。

  • 長:初めての異動ですが、本校はどうですか。
  • S:ええ、少しずつ慣れてきました。
  • 長:う〜ん、慣れなくて大変なことや忙しい思いもあるでしょう。本校なりの習慣もあるから。
  • S:なんか要領が悪くて、帰りが遅くなることもありますが……。なんとか少しずつ……。
  • 長:そうそう、最終下校者になる日も多いですね。そんな日が続くと、疲れませんか……。
  • S:(少し沈黙)この月曜日に2週続けて休暇をとってしまって、すみません。
  • 長:う〜ん、そうでしたね。体調でもよくなかったのかな?
  • S:ええ、ただ子供たちのことが気になって……。また教材研究でも手間取っていて……。
  • 長:子供たちのことも気になりますね。前の学校の子たちとはちがう面も多くあるでしょう。
  • S:子供たちのこともですが、保護者から学力が心配との意見があって……。
  • 長:う〜ん、保護者からの意見のことね。教頭から参観記録のこと、聞いています。やはり担任としては、あれはきついですね。
  • S:(しばらく沈黙)なんか、あのときから授業に集中して取り組めなくて……。
  • 長:そうですね。教師として子供との授業に集中できないのは辛いことですよ。
  • S:自分ではしっかりやろうとするのですが……。子供たちがうるさくなって……、つい子供たちを叱ってしまいます。悪いパターンです。
  • 長:う〜ん、叱っちゃう……。そうなると、悪循環になるというか、授業が進まないですね。
  • S:そうなんです。よく行き詰まります。(沈黙)あの……、校長先生もお忙しいでしょうが、いつか授業を見ていただけますか?
  • 長:なるほど。来週の水曜日の3時間目でしたら都合がいいですよ。どうでしょう?
  • S:はい、あまり自信ないですが……、略案を用意して……。その時間は算数です。
  • 長:私もうれしいです。気軽に伺いますよ。
  • S:ありがとうございます。
  • -以下略-

 この後、林間学校の話をして、面談は終わった。校長はS先生に誠実さを感じた。

 そして、算数の授業を観察する。多くの子供が集中して思考しているとは言い難い授業であったが、S先生の提示する台形の面積の求め方を発表する子供の姿などを眼にすることができた。校長の授業観察の事実は教頭からPTA役員にも伝えられた。また、7月の保護者会で、S先生が「校長先生に子供たちの勉強を見てもらいました」と報告した。

 その後、徐々に子供たちもS先生とのよりよい関係性をつくりつつある。

カウンセリング感覚のある応対

 上述のケースでも理解できるように、教員のメンタル面の回復には個々の実態に応じた援助が必要ではないだろうか。スクールリーダー(校長)として身に付けたい〈温かさのある経営センス〉といえよう。
 管理職の経験則からすると、「もっとしっかりした学級経営をしたらどうか」「教師の一方的な教え方では子供はついてこないよ」「保護者に文句を言われないように」などの見解や指導助言の在り方もあろう。

 しかし、専門性が高く個業型の業務性の強い教職にあっては、教員個々の内的なエネルギーの自己強化がなによりも求められる。先のケースでいえば、S先生自身が〈自信と責任性〉を自らの納得感として獲得することが問題解決の方向であると考える。

 カウンセリング理論の理解でいえば、自らがいかに自己一致した状態にあるかが重要である(図1)。この在り様が私たち人間の言動を左右することがある。「ありたい自分(理想自己)」と、「いまの自分(現実自己)」ができるだけ重なっている状態のことである。重なりが少なくていまの自分が小さくなっているとき(自己不一致)は、自分の思うような言動が取りにくい。不安や悩みがあり、おどおどした事態が起きやすくなる(1)


図1 カウンセリングの理解

 S先生は〈こころ疲れ〉がしていて、自己不一致の状態にあったのであろう。この内的なエネルギーが2回の月曜日休暇の要因ではなかったのか? ここに校長のカウンセリング感覚のある応対がうまく連関した面談が作用している。S先生の言葉に寄り添いながら、その言葉や状況を繰り返し、そこにある内的な感情に共感(感情移入)を示している。ここでのS先生と校長の関係性が、「いつか授業を見ていただけますか?」とするS先生の言葉を引き出していると思われる。

 とりわけ教員が学級運営や保護者とのかかわり、教職員同士の関係などで悩み始めた初期段階でこのような応対が重要である。深刻化してからでは遅い。カウンセリングを体系づけたカール・ロジャースが論文「パースナリティ変化の必要にして十分な条件」(2)の中での述べている「セラピストは、クライエントの内的照合枠(internal frame of reference)に感情移入的な理解(empathic understanding)を経験しており、そしてこの経験をクライエントに伝達するように努めていること」の一文の意図を教員個々のメンタルケアの基本にしたい。

こころを病む先生

 この問題を考えるとき、文部科学省が毎年発表する人事行政状況調査の結果に注目する(3)。今回は昨年末12月25日に発表されている。病気休職者は7,796人である。そのうち精神疾患による休職者は5,077人であり、その率は65.1%である(表1)

表1 校種別の病気休職者等の数

 また、精神疾患者の数値について同調査の経年変化をみると、平成25年度から29年度までの5年間の推移は、5,079人→5,045人→5,009人→4,891人→5,077人と約5,000人の数値である。とくに大きな変化は見られず、高止まり状態が続いているといえよう。この状況は児童生徒数500人規模の学校数に換算すると約10校分に相当する。教員の専門性の維持や教職の雇用など、また財政的な面においても深刻な事態といわざるを得ない。

 何が要因だろうか。単に教員個々の心身の健康管理の問題として片付けられない。ここ数年、社会環境や経済状況が多様に変化し、あまたの仕事においてデマンドサイドからの要求水準が高くなっている。教員世界もしかりである。教職の多忙化に伴う働き方改革も声高にいわれる。しかし実質的な解決策(例:教員定数増加、教育課程削減、教員の裁量時間拡大など)は見えてこない。その一方で、教育公務員として国民の税金による報酬に見合う職務遂行の強化が求められる。教員は教育内容の質と量に対するアカウンタビリティを果たさなければならない。

 教育は百年の計とされ、子供の人格形成を急ぐことや成果主義の教育の在り方を良しとしない思考がある。そこには教育の本質論として一つの王道がある。この論理をあくまで求めたい。教育が本来有している子供の能力を引き出す(educe)営みは、子供の本性を伸ばすことであり、先生とのゆっくりとしたかかわりにこそそれが可能になる。そこでは、子供が自らの学びを創造し、その事実を自己組織化する。先生もその子供の学びに学ぶ存在である。経済社会等で追求されるアウトカムとしての量や質の問題とは価値を異にする学びの価値がある。

 このような〈教育の価値構造〉が崩れつつあるのではないか。その危機のあらわれの一つが、表1にみられる数値の恒常化であろう。そして、情報化社会が進展する中で、子供たちや先生の知的財産や教育活動の質までがコモディティ化(commoditization:画一化、商品化)しつつある。そこではスピード感のある成果の請求があり、個々が意図しない緊張感までも巻き込むことがある。

スクールリーダーの心得

 結論的に言えば、先生自らが公私の営みにあって、こころの健康づくりに努めることである。その相談援助に努めたい。〈先生が明るく元気に勤務し、子供たちが生き生きと勉強する〉ごく当たり前の学校風景を大切にしたい。とくに義務教育段階では、子供も保護者も先生も安心して学び合うことが教育の目的であることを再確認することである。

 それには、子供自身はもとより先生自身が健康でなくてはならない。WHOの健康の定義は、「Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity」と記される(4)。すなわち、身体、精神、適応のバランスがとれていることが健康の条件である。とくに社会的な適応が先生個々に自己理解される必要がある。

 このような状態をつくり出し、よりよく維持していくことが管理職の役割である。私たちのこころは自他ともに〈よりよい状態(well-being)〉にあるとき意欲の源泉として機能する。そして自ら明るく楽しく生きていることを実感し、学校および子供へのエンゲージメント(Engagement)を獲得していく。まずは管理職がこの認識にありたい。このとき教職員も健康になる。そこに人間関係の基本である「コミュニケーション」「役割遂行」「状況理解」の3つが、学校全体や教員個々の教育活動に具現化する。専門職としての先生は、自らwell-beingを体感できないとストレスを抱え込むことがある。すると、教育指導の構想や仕事の手順等が混乱し、その〈片付かなさ〉が精神的な負担として蓄積するであろう。バーンアウト(燃え尽き)状態になることさえある。

 その結果として、心身の疲労を訴える、会話が減りうつ的状況を示す、不眠や動悸を理由に遅刻するなどが見られることがある。ときには、躁鬱病、神経症、人格障害、心身症、アルコール依存症などこころの病に至ることもある。校長自らが精神科医や学校医などと早期に相談し、その教職員への援助態勢づくり(心配りと組織的指示)を考えたい。

 とくに子供の実態を把握できない、無断欠勤する、単純な仕事ミスが連続する、自説に固執し過ぎる、意味不明な言動があるなどの事態に留意したい。直接的に受診を勧めることが困難な場合もあろう。本人の話を十分に聴き、「体調を回復することが第一ですから、病院で診断を受けてみてはどうでしょう。よろしければ、私も一緒に行きますが…」と、早期対応の必要性を語り掛けたい。

 

[注]
(1) 有村久春著『改訂三版 キーワードで学ぶ特別活動 生徒指導・教育相談』金子書房、2017年、p73
(2) カール・ロジャース著、伊藤博訳『サイコセラピーの過程』(ロジャース全集第4巻)岩崎学術出版、1966年、p117
(3) 文部科学省「平成29年度公立学校教職員の人事行政状況調査について」平成30年12 月25日
(4) 公益社団法人日本WHO 協会のHP

 

東京聖栄大学教授
有村久春
Profile
ありむら・ひさはる 東京都公立学校教員、東京都教育委員会勤務を経て、平成10年昭和女子大学教授。その後岐阜大学、帝京大学を経て26年より現職。専門は教育学、カウンセリング研究、生徒指導論。著書に『カウンセリング感覚のある学級経営ハンドブック』など。

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