解決!ライブラちゃんのこれって常識?学校のあれこれ
解決!ライブラちゃんのこれって常識?学校のあれこれ 学校の教育目標って、なぜ知・徳・体で決まりなの?[後編] ―どうなる、これからの教育目標
トピック教育課題
2019.08.28
解決!ライブラちゃんの
これって常識?学校のあれこれ
学校の教育目標って、なぜ知・徳・体で決まりなの?[後編]
―どうなる、これからの教育目標
なぜ、どこの学校も教育目標が「知・徳・体」なんだろうか―。ライブラちゃんの疑問に木村先生は、深~い話を教えてくれました。「知・徳・体」はイギリスの学者が150年以上前に提唱した輸入物だったこと。日本独特の文化を背景に、学校という小さな社会の中で「知・徳・体」は上手に組み込まれていったこと。でも、昔とは社会も変わっていきます。これからの教育目標はこのままでいいのでしょうか。「やっぱり、なんか変えていった方がいいような気がする……」。さらなるライブラちゃんの疑問に木村先生から明快なお話をいただきます。
「仲良くする」より「喧嘩をしない」へ!?
前回は、海外から移入された「知・徳・体」が日本の学校に独自なかたちで受け入れられ、時代によってそのいずれかが強調されてきた経緯をお話ししました。
今回は、これからの時代を見据えた教育目標の在り方について考えてみましょう。
大きくいうと、こんにちは「知」「徳」「体」の前提である日本社会の共同体的な体質が変化しつつあります。これまで、家庭に生まれた子どもが学校で教育を受け、卒業後は就職し企業などを支え、また家庭を作るというような循環する社会で学校教育は重要な役割を果たしてきました。
4月に新卒の学生を一括採用する企業が多いのは、そのことを象徴的に現していますが、それは世界から見ると極めて特殊なのです。
しかし、このところ会社に入っても安心して生活していける基盤が崩れてきています。社会がグローバル化していくとともに、一括採用の見直しもいわれています。これらも含めて学校は新しい課題に対応しなければならなくなっていますが、そのキーワードとなるのが「公共」という考え方です。
これまでは、共同体の中で生きる人間を育ててきたわけですが、これからは公共の空間を生きる人間を育てる必要があるということです。分かりやすくいうと、これまでは学校では子どもどうしが「仲良くする」ことが大切とされ、たとえば修学旅行で「あの子と同じ班になりたくない」というのは許されなかったわけですね。
嫌な人とでも一緒にやっていくこと、つまり「共同」という考え方が大事だったんです。しかし、グローバル社会を迎えると、いくら努力してもお互い理解し合えないかも知れないことだっておきてきます。知らない人や共感し合えない人とでも折り合いをつけていかなければならなくなる。極端にいえば、「仲良くする」よりも「喧嘩をしない」ことが求められ、意見が違っても相手を認めていけることが大事になってくるのです。これが「公共」という考え方です。仲良くすることを前提とする「共同」ではなく、知らない相手と合意形成ができる、そのための知恵を身に付けていくことが大事になってくるのです。
人類史的転換点(!)を迎えた現代社会
学習指導要領は時代の要請に応じて修正されてきたわけですが、どのような人間をつくっていくのかという時代ごとの問題意識から目標や内容がつくられたという視点をもつことはとても大切です。グローバル化に限らず、人工知能(AI)に代表される情報処理技術の飛躍的向上、少子高齢化などが起きてきている現代は、まさに人類史的な転換点をおもわせる時代といえます。グローバルな社会での人間の関わり方に加えて、知識中心ではなくどう知識を活用するかや、さらに働くことを中心とする社会から生活を重視した社会が課題となっています。教育の目標はこうした社会の大きな変動に対応したものでなければなりません。
「公共」の視点から教育目標の見直しを
話を「公共」社会の形成に戻して、これからの教育目標をどう捉えるかについて考えてみましょう。
学習指導要領は、これからの社会の中で生きていく子供たちをどのように育てるのかという基本理念を示していますが、各学校やそれらを取り巻く社会は様々です。地域社会のあり様も様々、共同体の壊れ具合も様々ですね。教育目標も、そうした学校を取り巻く実情に照らし合わせていくことになります。ですから、すべての学校の教育目標の現れ方が違ってくるのは当然です。一方で、共同体を支えてきた、さらにこれからも支える学校・地域が公共の視点を必要としていないかというとそれも違います。地域のあり様は様々ですが、社会の抱える課題は同じだからです。公共の視点を踏まえた上で、それぞれの学校・地域の実情に合うように教育目標を設定したり見直したりすることが必要なのではないでしょうか。
Profile
木村 元 先生
きむら・はじめ 1958年石川県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。教育学・教育史専攻。著書に『教育学をつかむ』『教育から見るラウブラ日本の社会と歴史』『学校の戦後史』など多数。