「新・地方自治のミライ」 第27回 生活支援サービスのミライ

時事ニュース

2023.05.19

本記事は、月刊『ガバナンス』2015年6月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

はじめに

 現在、国は地域包括ケアシステムの構築を目指している。団塊の世代が75歳以上となる2025年を目途に、重度な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができるよう、医療・介護・予防・住まい・生活支援が一体的に提供されるシステムを作る、という壮大な構想である。

 高齢化の進展状況には地域差も大きく、また、国には地域ごとのノウハウも人脈もないため、結局は、地域包括ケアシステムを構築できるとすれば、市区町村という基礎的自治体しかない。市区町村を支援する都道府県を含めて、自治体が主体的に地域特性に応じてシステムを構築できるかが問われている。

 医療・介護は、様々な問題を抱えつつも、制度としては全国的に貼り巡らされている。現在焦点となっているのは、その周囲に張り出される領域であるが、介護予防の構築から着手されてきた。そこで、今次の制度改正は、予防から生活支援へとさらに張り出そうというものである。今回は、特に生活支援に絞って、自治のミライを考察してみたい。

介護予防とその限界

 今後、高齢者人口が増加していけば、現在の介護保険制度では立ち行かないと考えられている。高齢者がそのまま重度の要介護状態になることを放置し、それに対して、生産年齢人口の専門的人材によるサービス提供を行う体制のままであれば、膨大な財源と人員を要する。

 しかし、生産年齢人口が減少するのであるから、経済力すなわち財源調達力は頭打ちであるので、サービスの膨張を放置することは介護保険制度の破綻を意味する。

 そこで、第一に打ち出されてきたのが介護予防である。介護保険制度の維持のために介護予防に期待が集まるのは、極めて自然である。しかし、現状では介護保険制度の予防給付が膨張しているから、やはり、制度に無理がある。財政当局流に単に予防給付を圧縮すれば、制度は持続しても、地域社会と高齢者の生活は持続性が失われる。

生活支援サービスと「地域動員計画」

 第二に考案されたのが、介護予防・日常生活支援総合事業(以下、総合事業)である。現在の予防給付の対象者は、身体介護ではなく、調理・買い物・洗濯・掃除などの生活支援(日常語で言えば「家事」)を必要とすることが多い。しかも、高齢者単身・夫婦のみ世帯が増えれば、生活支援ニーズはますます増大する。それをホームヘルパーという介護人材で対応しようとすれば、介護保険制度は人員不足で破綻する。そもそも、後期高齢者の増大により、中重度の在宅要介護者は増えるのであるから、ホームヘルパーはこのような身体介護に重点的に振り向ける必要がある。したがって、生活支援をする人的資源を地域で掘り起こそうという発想になる。

 ここで注目されたのが、コーディネーターと協議体を通じた、地域の支え合い体制づくり、という「成功事例」から抽出された物語である(『事例を通じて、わが町の地域包括ケアを考えよう「地域包括ケアシステム」事例集成〜できること探しの素材集〜』)。地域社会に、色々な人・組織をつなぎ、需給をマッチングさせ、あるいは問題をつないで、コーディネートする人材や場があると、巧く行くということである。

 この物語は、部落会・自治会・町内会、公民館活動、協同組合活動、地域コミュニティ、地域自治組織や地域協議会などとして、繰り返し提唱される物語であり、日本人の心性に訴求する。しかし、繰り返し唱道されるという事実が示すように、全国的に幅広く、効果的に持続することは少ない。もちろん、「成功事例」は存在する。しかし、特異な人材に支えられるがゆえに、散発的であり、いずれは消滅する。

 そして、大部分の地域社会や自治体では、既存の地域団体に無理やり声掛けして、何とか協議会を設置し、すでに活動している人をコーディネーターとして再利用して、国からの要請には応える。今回の総合事業も法定である以上、自治体はカタチだけは対応するだろう。しかし、こうした「地域動員計画」が机上の空論に終わらないかは、依然として不明である。

生活支援サービスと「高齢者動員計画」

 そもそも2025年を目途に考えている以上、地域社会の人的資源を生産年齢人口だけで捉えれば、総合事業も立ち行かない。そこで、現在「未開発(ひまをもてあましている)」の人的資源と考えられているのが高齢者人口層である。超高齢社会では、高齢者が支えられる側に回れば深刻であるが、支える側に回れば生活支援サービスにとっての資源である。

 そもそも、高齢者にとって、社会参加をして社会的役割を持つこと自体、必須ニーズである。それは生きがいにつながり、さらには介護予防にもつながる。そして、そのような社会参加が、同時に生活支援の担い手としての社会参加と社会的役割となれば、一石二鳥・三鳥である。こうして、高齢者を地域で動員することが目指されている。なぜなら、地域社会には、動員しようにも、すでに若者・中年は、ほとんど残されていないからである。

 しかし、地域の諸活動における「担い手不足」は、以前から深刻な事態として蔓延している。もちろん、今後は団塊の世代の高齢化により、高齢男性層という人間集団は増えるので、その意味では「担い手」不足の解消の見込みはないとは言えない。しかし、同様に「支えられる」側の高齢層も比例的に増えるので、現況の「担い手不足」が解消される見込みはあまりない。

 さらに、団塊世代の高齢男性による社会活動は、学生運動で暴れ、一転して、企業社会で功成り名を遂げた、つまり、日本の高度成長の成功体験が忘れられない、しかも、男女共同参画社会以前の性差意識を持って、展開される危惧すらある。実際、すでに、色々な局面での「地域協議会」的組織体では、高齢男性が「地域の嫁」(=地域活動の実働を期待される中年世代女性)を求めて、「体はロクに動かさずに、口先だけ騒がしい」存在になりつつある。地域包括ケアにおける生活支援サービスなるものにおいて、地域社会で拡大再生産された形で、家庭内で繰り返されてきた嫁舅問題、介護疲れ、その仕返しとしての老人虐待が、起きるだけかもしれない。

おわりに

 2025年を見据えた「地域/高齢者動員計画」は、恐らく机上プランとなって終わるであろう。その理由は、自治体にやる気がないからでも、地域社会の人々の精神が社会性・公共性に富んでいないからでも、恐らくない。今までも日本の為政者は、地域社会での動員を図り、ことごとく挫折していたように、日本社会の法則性に反するからである。成長社会において人的資源が全体として純増する社会において、そして、それなりに地縁血縁が機能していた社会において、でさえである。

 さらに、今後の人口減少社会はそれ以上の困難にぶち当たる。2025年の地域社会の高齢者やNPOをはじめとする人を経済的に支える基盤が、そもそも見えない。年金は先細り(さらには、官製相場の株式投資に失敗すれば大破綻)し、また、先細った年金から高騰する介護保険料を天引きされる。若中年世代は非正規・低賃金雇用しかないので、日々の仕事で精一杯である。兄弟姉妹や家族の数は減るから、兄弟姉妹介護や遠距離介護の可能性も減る。結局、経済的資源基盤のないところで、「竹槍」の総動員を画策しても、精神論にしかならない。

 国家総動員法と同じ1938年にできた厚生省には、折角、1947年設置の労働省と、2001年に合併して厚生労働省となったのであるから、「竹槍」精神論を超える政策開発を期待したい。それまでは、自治体はミイラのようにカタチばかりのお付き合いとなろう。

 

 

Profile
東京大学大学院法学政治学研究科/法学部・公共政策大学院教授
金井 利之 かない・としゆき
 1967年群馬県生まれ。東京大学法学部卒業。東京都立大学助教授、東京大学助教授などを経て、2006年から同教授。94年から2年間オランダ国立ライデン大学社会科学部客員研究員。主な著書に『自治制度』(東京大学出版会、07年)、『分権改革の動態』(東京大学出版会、08年、共編著)、『実践自治体行政学』(第一法規、10年)、『原発と自治体』(岩波書店、12年)、『政策変容と制度設計』(ミネルヴァ、12年、共編著)、『地方創生の正体──なぜ地域政策は失敗するのか』(ちくま新書、15年、共著)、『原発被災地の復興シナリオ・プランニング』(公人の友社、16年、編著)、『行政学講義』(ちくま新書、18年)、『縮減社会の合意形成』(第一法規、18年、編著)、『自治体議会の取扱説明書』(第一法規、19年)、『行政学概説』(放送大学教育振興会、20年)、『ホーンブック地方自治〔新版〕』(北樹出版、20年、共著)、『コロナ対策禍の国と自治体』(ちくま新書、21年)、『原発事故被災自治体の再生と苦悩』(第一法規、21年、共編著)など。

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