「新・地方自治のミライ」 第40回 一億総滑落社会と3本の失のミライ
時事ニュース
2023.10.04
本記事は、月刊『ガバナンス』2016年7月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
はじめに
2016年6月2日に『ニッポン一億総活躍プラン』(以下、『プラン』)が、閣議決定された。小泉政権以来、予算編成が本格化する前の6月ごろに「経済財政運営と改革の基本方針」(いわゆる「骨太の方針」)を策定する慣行がある。その意味で、「骨太の方針」と併せて一億総活躍社会に向けた計画を策定することは、充分に理解できよう。
また、第二次安倍政権は、安保・軍事政策は選挙のない時期に行い、国民の目先を変えるように選挙が近いときには経済政策を打ち出す慣行も形成している。14年9月に「地方創生」が打ち出されて、14年12月の総選挙と15年4月の統一地方選挙への対策として活用された。今回の『プラン』も、16年7月の参議院選挙直前である。ただ、同じく選挙目当てに、直前の6月1日に消費増税を延期決定したため、『プラン』には安定財源は存在せず、整合性は大きく阻害された。しかし、増税回避の「新しい判断」は、選挙目当てとしてありがちである。
今回は、いずれ自治体現場に影響を与える『プラン』について、検討してみよう。
新・三本の失
『プラン』は、アベノミクス第二ステージに沿って、「第一の矢」として「希望を生み出す強い経済」=「戦後最大の名目GDP600兆円」、「第二の矢」として「夢をつむぐ子育て支援」=「希望出生率1.8」、「第三の矢」として「安心につながる社会保障」=「介護離職ゼロ」を掲げている。❶アベノミクスの成果を活用し、②「第二・第三の矢」によって、子育てや介護をしながら仕事を続けることで、③労働参加を拡大し、潜在成長率を底上げし、④賃上げを通じた消費や民間投資を拡大し、⑤経済を強くするという「第一の矢」に至る、という。これが「日本型モデル」と呼ぶべきメカニズムだそうである。
しかし、これは、10年の参議院選挙の直前に消費増税を国民に提示して惨敗した菅(かん)政権の「強い財政・強い社会保障・強い経済」(注1)のモデルとほぼ同型である。そして、野田政権期の民自公三党合意による「社会保障と税の一体改革」の論理ともほぼ同型である。❶のところに①消費増税を入れるのが、「強い財政・強い社会保障・強い経済」=「社会保障と税の一体改革」である。なぜならば、先立つ財源がなければ、子育て支援も高齢者介護も充実できないからである。
注1 なお、民主党政権の文言は、論理的な順番を誤って「強い経済、強い財政、強い社会保障」(『新成長戦略〜「元気な日本」復活のシナリオ〜』2010年6月18日閣議決定)と表記したため、「アベノミクス第二ステージ」や『プラン』に換骨奪胎されてしまった。実際、上記『新成長戦略』の中身は、経済成長を第一順位に据える月並みな論理でしかなかった。
無から有を生む錬金術を期待したのがアベノミクス第一ステージで、大胆な金融緩和により財源が生み出されれば、②→⑤の好循環ができたであろう。しかし、残念ながら「バズーカの空砲」や「空ぶかし」に終わったため、第二ステージに移らざるを得なくなった。それは消費増税とセットでなければ画餅であった。民主党政権瓦解という代償(僥倖?)で得られた3%増収分の果実で②→⑤の一部を実現してきた第二次安倍政権であるが、自らは残り2%増税を実現することができず、好循環は崩壊した。「新・三本の矢」は「新・三本の失」となってしまった。
好循環の論理は悪循環の論理
①が欠けた②→⑤の論理は、ある意味で悪循環の方向に作動する。つまり、❶財源がない以上、②「第二・第三の失」として子育て支援も介護充実もできず、③労働参加は停滞し、潜在成長率は低迷を続け、④円安やインフレ目標という金融政策も相俟って実質賃金が低下して個人消費が落ち込み、⑤経済が弱体化するという「第一の失」に至るわけである。『プラン』の論理が説得的であればあるほど、残念ながら、悪循環のリスクが高まる。こうして、日本は「一億総滑落社会」を滑り落ちていくのである。
もっとも、こうした「一億総滑落社会」は第二次安倍政権が加速化したものではあるにせよ、1990年代の橋本政権から基本的に一貫して進められてきた方向の延長線上である。「反貧困」の社会運動家である湯浅誠氏が『反貧困─「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書)を公刊したのが2008年である。その時期から、小福田(しょうふくだ)政権・麻生政権・菅政権・野田政権という短命政権が続いていたときに、方向の見直しが超党派で進められていた(小鳩山(しょうはとやま)政権のときには方向の見直しは進められなかった)。しかし、短命政権では「総滑落社会」=「すべり台社会」を転進できなかったのである。
一億もの国民が矢のように滑落してくるとき、地域のセイフティーネットを担う自治体は、それを受け止めることが可能であるとは思えない。
財源なき子育て・介護環境整備
非正規労働者への差別的雇用条件、長時間労働などの働き方への改革が、企業現場で進まない限り、多くの国民は滑落してくる。自治体は、保育や介護の環境を整備するしかない。しかし、保育・介護の低賃金などの劣悪な労働現場を改善しない限り、問題は解消できない。
これは実は、「鶏と卵」の関係である。一般産業界で働き方改革ができれば、「一億総滑落社会」自体が避けられ、自治体が担う保育や介護の負荷も大きくならず、また、一般産業界の労働市場が改善されれば、保育・介護の雇用条件や待遇も改善できる。ところが、一般産業界の働き方改革が進まなければ、労働現場は劣悪なままで、保育や介護の負荷は高まる一方、同時に、そうした需要に対応すべき保育・介護の労働現場も劣悪なままで、保育・介護の人材は確保できない。
一般産業界の働き方改革ができなければ、結局、保育所や介護施設の量的充足は、劣悪な雇用条件を前提にした「ブラック企業」的な保育・介護事業者を増やすだけである。要は、企業経営者として労働現場を悪化させてきた「民間経営手法」を掲げた人物が首長になって、保育・介護の充実を名目的に対処しても、所詮は事態を悪化させるだけである。かといって、❶財源が確保できなければ、②の子育て支援・介護充実は、自治体としては壁にぶち当たる。
国が『プラン』でいくら保育士・介護職員の賃金引上げを提唱しても、大半の保育士・介護職員は民間事業者に雇用されている以上、そして、人件費を抑制しなければ民間事業者の利益は見込めない以上、保育士・介護職員の賃金にまで「落ち零れる(トリクルダウン)」ことは期待薄である。公立施設・直営事業が中心であれば、自治体が自ら雇用主として賃金引上げを実現できたかもしれないが、行政改革とリストラを迫られている現状では、公立・直営は困難である。
お寒い「地方創生」
「地方創生」「まち・ひと・しごと創生」は、15年前半までの選挙対策で賞味期限切れしており、既に早世(早逝)した。『プラン』においては、補論のような扱いである。もちろん、「一億総滑落」の露払いをした「地方早逝」には、『プラン』ではそれなりのリスペクトは払われている。「地方創生は、一億総活躍社会を実現する上で最も緊急度の高い取組」だそうである。
しかし、「地方創生」の中身は空虚である。「地域において育まれた伝統・文化、人と人とのつながり、日本人の心の豊かさといった財産を活かしながら進めていく」という竹槍精神論に堕した。
現実には、(1)地域から伝統・文化が失われてきた、(2)人と人とのつながりは失われ、(3)心の豊かさも失われた、という別の形態の「三本の失」に直面している。『プラン』と同日に閣議決定された『まち・ひと・しごと創生基本方針2016』もあるが、ほとんど世間の耳目を集めていない。
結局、自治体が「一億総滑落社会」のなかでできることは限られている。保育士・介護職員の処遇を改善するしかない。しかし、その効果は微々たるものである。ましてや、貸与型奨学金や学習支援などをしても、「一億総滑落」を阻止することはできない。A君を下支えしているすきに、B君が矢のように滑落するだけである。自治体現場は、賽の河原のように厳しい。
Profile
東京大学大学院法学政治学研究科/法学部・公共政策大学院教授
金井 利之 かない・としゆき
1967年群馬県生まれ。東京大学法学部卒業。東京都立大学助教授、東京大学助教授などを経て、2006年から同教授。94年から2年間オランダ国立ライデン大学社会科学部客員研究員。主な著書に『自治制度』(東京大学出版会、07年)、『分権改革の動態』(東京大学出版会、08年、共編著)、『実践自治体行政学』(第一法規、10年)、『原発と自治体』(岩波書店、12年)、『政策変容と制度設計』(ミネルヴァ、12年、共編著)、『地方創生の正体──なぜ地域政策は失敗するのか』(ちくま新書、15年、共著)、『原発被災地の復興シナリオ・プランニング』(公人の友社、16年、編著)、『行政学講義』(ちくま新書、18年)、『縮減社会の合意形成』(第一法規、18年、編著)、『自治体議会の取扱説明書』(第一法規、19年)、『行政学概説』(放送大学教育振興会、20年)、『ホーンブック地方自治〔新版〕』(北樹出版、20年、共著)、『コロナ対策禍の国と自治体』(ちくま新書、21年)、『原発事故被災自治体の再生と苦悩』(第一法規、21年、共編著)など。