徴収の智慧
徴収の智慧 第67話 美辞麗句の背後にあるもの
地方税・財政
2020.03.13
徴収の智慧
第67話 美辞麗句の背後にあるもの
元横浜市財政局主税部債権回収担当部長
鷲巣研二
納税者に寄り添うとは
人は美しい言葉や甘いささやきには弱いものである。例えば「正直者が馬鹿を見ないような公正な社会を実現する」とか「住民の目線に立った住民本位の行政を目指す」などという言葉を聞いて、「それはおかしい」と言う人は恐らくいないだろう。なぜなら、これらの言葉には人々の共感を呼ぶような響きと内容が見て取れるからである。
しかし、言わずもがなのことであるが、肝心なことは言葉の響きや上辺のもっともらしさではなく、もとよりその中身が大切なのであり、言行一致こそがその核心でなければならない。要は言葉では何とでも言えるからである。
滞納整理の実務でしばしば耳にする「納税者に寄り添う」という言い方にしてもそうである。「法律、法律と杓子定規なことを言ってばかりいないで、少しは納税者に寄り添った温かみのある税務行政ができないのか」とか「滞納者の実情をよく見ないで、法律を画一的に執行する血の通わない税務行政はやめて、もっと納税者に寄り添うべきではないか」などといったところがその典型であろうか。例えば、2017年2月12日の「サンデー毎日」(週刊誌)では「納税者を処分、処分で突き放すのではなく、地方自治体本来の機能を発揮して、生活改善を含め納税者に寄り添った徴収行政をやってほしい」という或る税理士の声が紹介されている。「納税者に寄り添う」という表現については、この週刊誌に限らず、新聞・雑誌・インターネット・テレビ等の媒体を通じてしばしば使われているのだが、その趣旨については、使っている人の立場によってさまざまであり、これらを十把一絡げにして論ずるのは乱暴であろう。
払えるか、払えないかの判断を誰が下すのか
しかし、それらの多くは「納税者に寄り添う」とは具体的にどういうことを言うのかについてはほとんどの場合、触れていないのである。例えばこうだ。「滞納者の実情を汲み取って人間らしい生活が維持できるように配慮すべきだ」というのがあるが、これは一般論を言っているに過ぎず、抽象的過ぎてどう配慮しろと言っているのかまったく不明である。この言葉を受けとめて徴税吏員の側で判断しろとでも言うのだろうか。また、「自分は自営業だから、公務員と違って毎月一定の給料がもらえるわけではないので、払いたくても払えない」というのもある。しかし、これも具体的な収入金額を言っているわけではなく、単に給料のような定期収入があるわけではないということを述べているに過ぎず、実際に納税できるだけの資金を用意することができないという弁明にはなっていないのである。ましてや「払いたくても払えない」などというのは何ら正当事由にならない。だいいち「払えるか、払えないか」については、徴税吏員が必要な財産調査を行って納付能力を判定した後に判断すべきことであって、「払えるか、払えないか」を滞納者に言わせたら、「払えない」という結論になることは火を見るよりも明らかであろう。なぜなら、納税相談のために窓口に来る滞納者が「払えます」と言うはずがないからである(払えるのであれば、そもそも相談する必要性もないのでこれは自明のことである)。
法律に裏打ちされたバランス感覚を身につける
改めて言うまでもないことだが、滞納整理の拠り所は法律であってそれに尽きることを徴税吏員は肝に銘ずべきである。「納税者に寄り添う」といった言葉自体は別に間違っているわけではないし、徴税吏員が滞納整理に臨む姿勢としてはそのように心がける必要があると思う。しかし徴税吏員は、こうした美辞麗句の裏にある意図を見抜く「法律に裏打ちされたバランス感覚」を身につける必要がある。だから実務上このような言葉に接することがあれば、『「納税者に寄り添う」とは具体的にどうすべきだとおっしゃるのですか』と具体的な内容を尋ねるといいだろう。例えば、差押えを解除してほしいのか、それとも延滞金を減免してほしいのか、とにかく具体的に何を求めているのかを聴くのである。差押えの解除であれば、国税徴収法第79条の要件を満たしているのかどうかを判断すればいいし、延滞金の減免であれば、それぞれの地方団体の税条例で定めた減免の要件を満たしているかどうかを判断すればいいことになる。そうすれば、滞納者としても法律や条例を曲げろとは言いにくくなるのである。