「新・地方自治のミライ」 第59回 全国知事会の改憲草案のミライ(中)

地方自治

2024.08.08

本記事は、月刊『ガバナンス』2018年2月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

はじめに

 前回から、全国知事会(以下、「知事会」)の『憲法における地方自治のあり方検討WT報告書』(以下、『報告書』)を検討している。結論的に言えば、『報告書』は、理念は立派であるが、具体的な改正条項案となると、構想力が足りずに、生煮えの提案のようである。今回も引き続き、『報告書』を論じてみたい。

自主財政権条項

 自治体の財政権を明示する条項を新設するのは、大きな特徴である。課税自主権(草案95条①)・租税条例主義(草案84条②)、国による財政保障義務(草案95条②)、独立の決算検査(草案95条④)は、現状の追認とはいえ、意味はあろう。特に、地域間格差拡大の風潮のなかで、財政保障義務または財政調整保障は、重要な提案であろう。

 もっとも、租税条例主義といっても、条例は法律の範囲内であることは手付かずであるから(憲法=草案94条)、法令によっていくらでも制約しうる。そもそも、国民経済や課税対象は国と自治体で同一であり得る以上、税制・税収の分有に関する整序がされない限り、課税自主権・租税条例主義は画餅でしかない。こうした税制・財政調整をどのように行うのかは、結局は国の租税法定主義に基づくことになる。そこで、その際には、地方自治配慮を盛り込もうという(草案84条②)。

 敢えて言えば、税制・財政移転を含めて財政調整するのが、財政保障義務条項である。しかし、この条項によって、ドイツのように州・自治体が財政調整の改善を求めて、違憲訴訟をできるようになるかと言えば、その可能性は低いだろう。その意味では、「標準的な水準……に必要」という訓示規定またはプログラム規定に留まるであろう。

 また、決算検査機関(現行自治制度では執行機関たる監査委員)を憲法上の必置機関するものであり、興味深いものである。もっとも、「独立」の意味によっては、議選監査委員を置くことが、違憲とされることにもなろう。

国からの財政支出

 非常に重要な新提案は、国が自治体に財政支出をする場合に支出基準を法定する規定である(草案95条③)。現状では、補助要綱や計画認定などにより、各種補助金・交付金が裁量的に配分されてきた。法的に国が自治体を義務付け・枠付けをしなくとも、自治体は補助金・交付金を求めて国に申請するに決まっているのだから、補助要綱や計画認定で、実質的に国は自治体に恭順を求めることができる。

 しかも、財政支出は「関与」に当たらないとされ、係争処理はできなかった。むしろ、逆に補助金適正化法などを通じて、各省の補助金監査や、会計検査を受けてきた。こうした財政関係の適正化は重要な課題ではある。その点を指摘する草案は一定の意義はある。とはいえ、「法律」が所詮は政令・省令・告示・各種基準まで拡大されるこの国において、歯止めになるとは思えない。

地方自治特別立法

 現行の地方自治特別立法(憲法95条)は実質的にミイラ化していることは、有名な話である。これを「特定の地方公共団体及びその区域にのみ適用される特別法」(草案96条③)によって、復活させられるかは疑問である。わざわざ改憲草案を作るくらいならば、むしろ、国が脱憲=奪権的に地方自治特別立法の要件である住民投票を回避してきた実践に対して、歯止めが検討されるべきだったと思われる。

 もっと言えば、知事会草案を見る限り、憲法に地方自治特別立法条項を規定する魂は何であるのか、必ずしも明らかではない。単に、現行憲法で規定され、ほとんど死文化しており、しかし、だからといって廃止するほどでもない、というミイラ的状況で思考停止したようである。

 この条項が、自治体憲章(チャーター)制定権構想の残滓または萌芽であるならば、その方向での検討が必要である。ならば、自治体側からの憲章提案権として、すなわち、自治体にのみ発議権があるように、精緻化していかなければならない。

 また、この条項は、国会という多数決原理に基づく「多数派の専制」に対する「少数派」(=ここでは特定の自治体の住民)の権利保護という魂を持つならば、それに対して検討が必要である。国政の多数派は、常に特定の自治体を「標的」にして「狙い撃ち」をすることができる。最大の自治体である東京都民でさえ、国民の約1割でしかない。沖縄県民は国民のわずか1%でしかない。ましてや、市区町村民は微々たる比率でしかないのである。東京都民から地方法人税・消費税収を巻き上げ、沖縄県民に米軍基地を押し付ける21世紀の国政を見れば、国民の名の下での「多数派の専制」が地方自治に大きな障害になっていることは、明らかなのである。

国と地方の協議の場

 これに対して、国と地方の協議の場に憲法保障を与えたことは(草案96条①)、興味を惹くものである。もっとも、これも現状追認規定に過ぎない。現状の国と地方の協議の場は、事実上は、共同儀式化した「共儀の場」になっている。もちろん、憲法規定によって、協議の場の実効化を期待することは可能であるが、そのためにはきちんとその点を詰めなければならない。

 逐条解説によれば、自治体に関係がある重要な法案は国と地方の協議の場で事前調整が図られ、国会に提出されると言う。しかし、「地方自治に影響を及ぼす国の政策の企画及び立案並びに実施にあたって」と言うだけの憲法草案を見る限り、法案事前審査の舞台になるとは、とても期待できないだろう。

 結局、この問題は、国政への自治体参加制度の論点に帰着する。すなわち、州または自治体の代表者を国政の議院に送り込む、ヨーロッパ大陸型上院を構想するのかという問題である。三院制を採らないのであれば、第二院である参議院の改革と連動せざるを得ない。

 そもそも、知事会の憲法草案構想が、参議院選挙区の「合区問題」である以上、この点を論じざるを得ないはずである。しかし、この問題を論じることなく、単に現在存在する組織を、そのまま憲法に書き込むという話に終始してしまった。この問題は、次回(下)で扱おう。

自治体出訴権

 自治体に法令・関与に対する(法律上の争訟に限らない)出訴権を明示したことは(草案96条②)、現状追認を超える中身を持ちうる。

 もちろん、国・地方係争処理制度は、現行制度で、自治体が国に対する出訴を可能とする数少ない制度であるから、現状追認の側面もある。

 また、限られた出訴のルートである国地方係争処理制度は、開店休業であり、たまに利用されても、機能不全の可能性もある。その意味で、期待できるのかは不明である。

 そもそも、国と自治体という政治主体同士の紛争解決に、「司法的救済」が有効なのかは、大いに疑問もあろう。裁判は法令に則して行わざるを得ず、その法令は、国会・国が制定できるのだから、勝敗の帰趨は推して知るべしなのである。

さらに、つづく

 こうしてみてくると、『報告書』の理念が立派であっただけに、草案条項の提案には、残念な気持ちが生じざるを得ない箇所が多い。単に現実的な着地点を見据えて、あるいは、合意形成の可能性を配慮して、現に存在している事項を、死文化・機能不全化していることもそのままにして、紙に書くだけ、というきらいもないではない。

 もっとも、憲法論議の契機は、地方自治保障条項の拡充ではなく、まずは、参議院選挙区合区問題の解消という、目前の課題解決かもしれない。その意味で、近視眼的・皮相的に、あるいは、漸進的・堅実的にならざるを得ないのは、やむを得ないのかもしれない。それでは、次回には、この問題を扱ってみよう。

 

 

Profile
東京大学大学院法学政治学研究科/法学部・公共政策大学院教授
金井 利之 かない・としゆき
 1967年群馬県生まれ。東京大学法学部卒業。東京都立大学助教授、東京大学助教授などを経て、2006年から同教授。94年から2年間オランダ国立ライデン大学社会科学部客員研究員。主な著書に『自治制度』(東京大学出版会、07年)、『分権改革の動態』(東京大学出版会、08年、共編著)、『実践自治体行政学』(第一法規、10年)、『原発と自治体』(岩波書店、12年)、『政策変容と制度設計』(ミネルヴァ、12年、共編著)、『地方創生の正体──なぜ地域政策は失敗するのか』(ちくま新書、15年、共著)、『原発被災地の復興シナリオ・プランニング』(公人の友社、16年、編著)、『行政学講義』(ちくま新書、18年)、『縮減社会の合意形成』(第一法規、18年、編著)、『自治体議会の取扱説明書』(第一法規、19年)、『行政学概説』(放送大学教育振興会、20年)、『ホーンブック地方自治〔新版〕』(北樹出版、20年、共著)、『コロナ対策禍の国と自治体』(ちくま新書、21年)、『原発事故被災自治体の再生と苦悩』(第一法規、21年、共編著)、『行政学講説』(放送大学教育振興会、24年)、『自治体と総合性』(公人の友社、24年、編著)。

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