自治体の防災マネジメント
自治体の防災マネジメント[81]酒田市津波避難訓(1)~避難行動要支援者の避難訓練~
地方自治
2023.08.09
※写真はイメージであり、実際の土地とは関係ありません。
本記事は、月刊『ガバナンス』2022年12月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
山形県酒田市は2022年10月29日、内閣府の津波避難訓練モデル事業として避難行動要支援者(以下、要支援者という)を含む地域住民の津波避難ビルへの避難、及び発災時の災害対策本部訓練を実施した。筆者は内閣府アドバイザーとして訓練に立ち会わせていただく機会を得たので、その内容を2回に分けて紹介したい。なお、これは内閣府や酒田市の見解でなく、私の個人的所見である。
酒田大火と迅速な復興
津波防災の日は、1854年の安政元年11月5日(太陽暦では、1854年12月24日)に発生した安政南海地震で、紀州藩広村を津波が襲った時、濱口梧陵が稲むらに火をつけて、村人を安全な場所に誘導したという実話にちなんでいる(この実話をもとにして作られた物語が「稲むらの火」である)。
酒田市は10月29日に津波避難訓練を実施したが、これは1976年の酒田大火が発生した日にちなんでいる。大火の日に津波避難訓練?などと斜に構えてはいけない。地域の大きな災害の日に、防災訓練を行うことで、その地域ならではの災害と、その教訓を思い起こす貴重な機会となる。
酒田大火は、市の中心部を含め約2千棟が焼失する大きな被害となったが、迅速な復興で名を残している。2日後の11月1日には「防災都市づくりの計画概要」を完成させ、半年で住民合意を形成し、2年半後には復興式典が行われた。復興はスピードが極めて重要であり、長引けば長引くほど住民の帰還率は下がり、結局は地域衰退の要因となる。
また、このとき、初めて自衛隊による被災地区の残骸撤去が行われ、のちの阪神・淡路大震災以降の自衛隊による倒壊家屋撤去の先例となった。
津波避難ビルの指定と訓練
前日に、市職員に民間のビルを津波避難所に指定するご苦労をお聞きした。津波避難ビルを指定するのは良いのだが、すべてのビルが24時間有人管理をしているわけではない。民間ビルはセキュリティ対策が厳しいので、公民館や集会所など公的施設と違って、多くの人に鍵を渡したり、戸を開けるための暗証番号を教えるわけにはいかない。
そこで、自治会長など代表者だけに限定するが、代表者の到着が遅れると、訓練参加者が早めに参集してもビルの前で待っていなくてはならなくなる。実は、今回の訓練では、代表者の参集が遅れ、津波ハザードマップ上の津波到達時間が過ぎてしまった。本番なら津波に飲まれてしまっている。
これは実に良い失敗だ。この教訓を糧に、次の対策を検討し、改善ができる。そもそも訓練の目的は、シナリオ通りに予定調和で見かけ上の成功ができるよりも、良い失敗をして、改善を重ねることにある。
要支援者の避難
当日は少雨であったが、この津波避難訓練に、なんと95歳の夫と86歳の妻の夫婦が参加した。本来ならお二人だけで徒歩避難するのが望ましいが、今回は支援者が前日に車いすを借りておいて、支援者が車イスを押しながら避難した。また、隣家の女性も高齢だったが、シルバーカーを押しながら自力で避難した。要支援者も支援者も、最初から理想的な避難行動を狙わずに、無理なくできることからやることで、徐々にモチベーションが高まり、できることが増えていく。
また、訓練当日、仕事などで車で通勤する人もいたが、ほぼ例外なく、要支援者の避難訓練の様子を見ていた。要支援者が懸命に逃げる姿は、きっと津波避難の大切さを多くの人に伝えたであろう。
さて、この地区の避難ビルに到達すると、ビルの入口に2段の階段があった。1人の支援者では、車イスごと持ち上げることはできなかった。訓練では、2人がかりでやっと持ち上げたが、バリアフリーは災害時にも極めて重要だ。津波避難は一刻を争うことがあり、民間ビルとはいえ車イス用のスロープを備えていただきたい。
住民が架けた橋
また、ある自治会は短時間で津波避難ができるように、側溝に自分たちで仮橋を架けていた。
今回の訓練では14人がこの橋を通って避難したそうである。津波避難路であるから、本来は行政がちゃんとした橋を作るのが望ましい。しかし、予算や優先順位があり、すぐにできないということはままある。その時に、単に行政を非難するのではなく、では自分たちにできることがあるのではないかと一所懸命に考えて実行したのである。まさに、自治力の高い酒田の自治会だと感銘を受けた。
このような、人々や地域のつながりこそ、酒田の本当の宝だと改めて教えていただいた。
要配慮者のホテル及び旅館への自主避難・早期避難支援制度
酒田市は、2020年10月1日より、高齢者等の早期避難を促進し、避難所への避難することへの不安を解消するため、要配慮者の自主避難、早期避難について、ホテル・旅館の宿泊費と移動に要する経費の3分の2(上限1万円)補助を行っている。おおまかな利用の流れは次のようになっている。
災害発生が予想されるときは、市がホテル・旅館に受入れの可否や空き部屋数、宿泊料を訪ね、その結果をホームページやフェイスブックで伝える。
該当する要配慮者(65歳以上の高齢者、障がい児者、妊婦、乳幼児)、及び介助者・保護者1名は、市専用窓口に電話で利用申し込みをする。空室のある宿泊先のホテルまたは旅館を案内し、受け入れを確定する。利用者は一旦、ホテル、旅館等で全額を支払うが、市職員が本人確認したうえで、その場で補助金交付申請の手続きを行う。
ポイントは、往路交通費(タクシー代)も補助対象としていることだ。私はタクシー代補助については初めて聞いた。丸山至酒田市長に伺ったところ、「市中心部から遠い土砂災害警戒区域の高齢者にとって、中心部のホテル、旅館までの足が厳しい。高齢者の免許返納をお願いしておきながら、一方で災害時の避難に支援がないのは申し訳ない。財政は厳しいが、要配慮者が安心して避難できる制度を作りたかった」とのことであった。
Profile
跡見学園女子大学教授
鍵屋 一(かぎや・はじめ)
1956年秋田県男鹿市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、東京・板橋区役所入区。法政大学大学院政治学専攻修士課程修了、京都大学博士(情報学)。防災課長、板橋福祉事務所長、福祉部長、危機管理担当部長、議会事務局長などを歴任し、2015年4月から現職。災害時要援護者の避難支援に関する検討会委員、(一社)福祉防災コミュニティ協会代表理事、(一社)防災教育普及協会理事なども務める。著書に『図解よくわかる自治体の地域防災・危機管理のしくみ』(学陽書房、19年6月改訂)など。