自治体の防災マネジメント

鍵屋 一

自治体の防災マネジメント[48]東日本大震災9年・福祉を訪ねる(上)──陸前高田市障害者相談支援事業所

NEW地方自治

2021.01.13

自治体の防災マネジメント―地域の魅力増進と防災力向上の両立をめざして
[48]東日本大震災9年・福祉を訪ねる(上)──陸前高田市障害者相談支援事業所

鍵屋 一(かぎや・はじめ)
月刊『ガバナンス』2020年3

 3月11日で東日本大震災が発生して9年を迎える。被災地の福祉がどうなっているか、2019年12月末、復興庁の調査事業で福祉事情をヒアリングさせていただいた。

 元宮城県気仙沼市危機管理監の佐藤健一さんがヒアリング先を紹介し、同行もしてくれた。佐藤さんは私の最も尊敬する自治体職員だ。日常から使えて逃げやすい津波避難ビルを数多く設置したり、住民とワークショップを数百回も実施するなど、津波災害を最小限にとどめる努力を重ねてきた。発災後は危機管理課長として応急対策の最前線で獅子奮迅の活躍をされている。

 12月27日午後、岩手県陸前高田市にある社会福祉法人愛育会チャレンジドまちかど相談室〝リンク〟(障害者相談支援事業所)を訪問した。ヒアリング先は、相談支援専門員の近江雅喜さん、鈴木志保さんである。なお、二人の発言は、私のメモから書き起こしているため、必ずしも正確ではない。イメージとしてとらえていただきたい。また、〈〉内は私のコメントである。

災害直後の状況

 グループホーム7か所が(津波で)流された。1か所は建てたばかりだった。利用者さんは29名で日中活動をしていた。グループホームや施設を利用した障がい者で亡くなった方がいなかったのが幸いだった。

(震災)翌日は、私たちの法人本部の陸前高田市(岩手県)のひかみの園へ利用者さんを送っていった。法人本部が安全だったことが本当に大きかった。そういうときは利用者さんのトラブルがなかった。インフルエンザにもかからなかった。被災し自宅に帰れなかった職員も施設の空きスペースに泊まっていた。

 薄暗くなって雪がちらついていた。障がい者入所施設に周りの人を受け入れようと決めて150名に入ってもらった。その後、徐々に減って80名くらいになったが、夏まで受け入れていた。

 福祉避難所のことはよくわからず、法人も対価を求める気がなくて申請をしなかった。避難者には備蓄食料を提供したが、福祉施設なので物資がすぐに届いた。水と電気さえあれば、なんとかなると思った。

〈残念ながらグループホームの世話人が死去したが、利用者で亡くなられた方がいなかったのが何よりであった。地域に根付いた社会福祉法人らしく当たり前のように地域住民を受け入れ、何か月も避難所として運営された。ただ、福祉避難所の指定を受けられなかったのは残念だ。福祉避難所の協定を事前に締結していなくても、また、一般の人が一緒にいても福祉避難所の指定は受けられる。福祉避難所をはじめ災害救助法では現実の状況を踏まえ、弾力的拡張的に解釈できるところに良さがあるのだが。現在も、福祉避難所については、自治体も福祉施設も実際に運用したことがないためか、指定や広報に及び腰になっているのではないか。台風19号では、55市町村で福祉避難所を開設したが、過半数の31市町村は開設を広報していない(毎日新聞19年12月27日)。〉

安否確認

 1週間は相談支援員としてはあまり動けなかった。少し動けるようになってから、安否確認や街中の支援活動になった。お年寄りも含めてお風呂ニーズがあったので、自衛隊のお風呂はありがたかった。2週間くらいしてから、電話が通じて、鳴りやまない状況だった。東京都社会福祉士会などが連絡してくれた。

 県が被災地障害者支援センターを沿岸1市2町に設置し、避難所にいる障害者手帳所持者の名簿を作成。その名簿を頼りに安否確認と具体的な支援を展開した。愛育会職員以外、5人~6人、多い時で10人くらい、岩手県の腕章をつけて避難所をまわってもらった。

〈大災害後は、電話が通じないのでかえって仕事に集中できるという。電話が通じ始めると、今度は電話に追いまくられる。特に自治体は、災害対応の重要部署と電話対応の部署とを分けるべきだ。また、障がい者は自ら連絡するのが難しいので、支援者による安否確認が欠かせない。このとき、個人情報がネックになる。本人の同意がなければ個人情報を支援者に渡しにくいからだ。このような状況を受けて、13年の災害対策基本法改正により、災害時には本人の同意なくして支援者に個人情報を渡すことができると明記された。〉

仮設暮らし

 グループホームが被災したので隣町で一人暮らしをしていた障がい者の家を、11年度中にグループホームに移行したりした。6月~7月に仮設住宅ができ始めたので、グループホームの利用者だった人の入居の申し込みを行った。11年8月~14年1月まで、仮設グループホームで生活した。一人1部屋になったので良かった。仮設は、家賃はかからないけど実費負担がある。寒かったし、最後は雨漏りがしていた。

 災害直後は、意外なことにみんな大人の対応をしてくれた。たとえば、アルコール依存症の人が、グループホームの世話人さんが亡くなった後はお酒を飲まなくなった。

 グループホームの場所を探し、近くに固めたいと思っていたところ、幸いなことに、15年度中に近くの雇用促進住宅を借りられた。20名を1階から5階を縦に借りて入居してもらった。17年2月まで使っていた。

 利用者さんは、地域とつながって、掃除を手伝ったりして、楽しく過ごす人もいた。ただ、被災者でない人は仮設に入れないので、法人経営的には苦しい。

〈障がい者にとって避難所生活は非常に厳しい。仮設でもいいから早く移りたいというのは切実な願いだ。在宅の障がい者が被災すると、バリアフリー環境を整える福祉仮設住宅を建築できるが、施設が被災して応急仮設の福祉施設を整備することは考えられていない。そこで、在宅に戻れない人は既存の福祉施設にバラバラに受け入れてもらうが、手狭な環境になるうえ、障がい者同士、障がい者とスタッフのつながりが切れて二次被害を受けやすくなる。さらに、仮設住宅暮らしが1年以上に及んでしまうと、環境の悪さによって健康に異常をきたす人の割合が次第に増えていく。雇用促進住宅を借りられて、20人が入居されたときのうれしさはいかばかりであったろう。
 18年9月の北海道胆振東部地震後には、利用者が一緒に暮らせるようにと、厚真町の特別養護老人ホームと障がい者施設、安平町の特別養護老人ホームを一定の水準を保ちながら福祉仮設住宅を3か月で建設した。このような先進的な取り組みをする自治体職員を頼もしく思う。〉

Q災害時の対応とサービス等利用計画の関係は?
Aサービス等利用計画の中で、時間帯によって避難先、連絡先、支援者を決めている。

Q3週間後に福祉仮設住宅を建てているが効果は?
A地域とのつながりを作ったり、買い物に気軽に出かけられる場所として良かった。一方、視力障害の方は地理感覚がなくなって、出かけられなくなってしまった。福祉関係者で移動支援のボランティアは助かった。

Q震災を乗り越えられた理由は?
A本部が無事であること、バス、モノが残っていたこと。法人は大きいほうが体力があっていい。また、空いている雇用促進住宅があって助かった。さらに、サービス利用業者さんが日中活動の場を早く再開してくれ、送迎もしてくれた。潜在している方や、失業者を一時的に作業所にふることができた。

Q防災対策で大事なことは?
Aもちろん、ちゃんと計画、訓練をしていたほうがいいけど、忙しくてなかなか難しい。職員の仲が良いことが一番大事。避難先を決めておいたり、福祉避難所の事前指定を受けたりしておく。もし、日中活動をしていなかったら、グループホームの人は何人犠牲になったかわからない。どこにもつながっていない人が亡くなっている。避難行動要支援者の個別計画に地域とのつながりを入れるのがいい。

 

Profile
跡見学園女子大学教授
鍵屋 一(かぎや・はじめ)
1956年秋田県男鹿市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、東京・板橋区役所入区。法政大学大学院政治学専攻修士課程修了、京都大学博士(情報学)。防災課長、板橋福祉事務所長、福祉部長、危機管理担当部長、議会事務局長などを歴任し、2015年4月から現職。避難所役割検討委員会(座長)、(一社)福祉防災コミュニティ協会代表理事、(一社)防災教育普及協会理事 なども務める。 著書に『図解よくわかる自治体の地域防災・危機管理のしくみ』 (学陽書房、19年6月改訂)など。

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特集:大震災からの復興と防災

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跡見学園女子大学教授

(かぎや・はじめ) 1956年秋田県男鹿市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、東京・板橋区役所入区。法政大学大学院政治学専攻修士課程修了、京都大学博士(情報学)。防災課長、板橋福祉事務所長、福祉部長、危機管理担当部長、議会事務局長などを歴任し、2015年4月から現職。避難所役割検討委員会(座長)、(一社)福祉防災コミュニティ協会代表理事、(一社)防災教育普及協会理事 なども務める。 著書に『図解よくわかる自治体の地域防災・危機管理のしくみ』 (学陽書房、19年6月改訂)など。

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