徴収の智慧
徴収の智慧 第34話 機が熟す
地方自治
2019.09.03
徴収の智慧
第34話 機が熟す
永遠の課題
滞納整理に携わる徴収職員であれば誰もが願う「税収の確保」「収納率の向上」「滞納額の縮減」は、徴収職員にとっては、いわば“目標”であると同時に、容易に実現することができない“永遠の課題”でもあるだろう。そして、徴収職員は、その達成に向けて日々様々な工夫と努力を積み重ねているのである。そうした工夫や努力には様々なものがある。例えば、色紙や色のついた封筒を使って催告を試みてみたり、一定の条件のもとに滞納者の氏名を公表するという条例を制定してみたり、あるいは事務処理の方法を、最初から最後まで一人の担当者が受け持つ、いわゆる「一貫方式」としてみたり、そうではなく処理の段階別に担当を分けるいわゆる「分業方式」を採用してみたりと、実に多種多彩なのである。これらは、あたかも頂上への登頂を目指す登山にも似ている。すなわち、目指すべき頂上はひとつであるが、そこへ至る登山ルートは決してひとつではなく、幾通りもあるのと同じなのである。
小手先の工夫や努力ではだめ
こうしたさまざまな工夫や努力はもちろん大切であるし、尽きることなく「倦まず弛まず」続けることに価値や尊さがあるだろう。だが、しかしである。工夫や努力の例は、ここに例示したほんの一例のほかにも多々あるのだろうが、その多くは「小手先」のものが少なくなく、本質的・抜本的なものではないように思われる。つまり、滞納整理の本質である「滞納処分と納税緩和措置」以外の、いわばその周辺の事柄ばかりで、喩えてみれば、道草ばかりしていて、最終目的地である頂上になかなか到達しないのである。滞納整理の本質であり、核心でもある「滞納処分と納税緩和措置」の周辺事務ばかりに精を出して、うろうろとしている状態のものがほとんどなのではないか。いわば隔靴搔痒の状態なのである。何とももどかしい限りである。
克服すべきは旧態依然の意識
その原因を考えてみるに、ひとつは、徴収職員自身の意識が旧態依然なのではないだろうか。例えば、滞納者に向かって「払ってください」などと、お願いの滞納整理を繰り返しているなど、本来一回でいいものを、差押えの事前警告書(催告書)を、これでもかと言わんばかりに何回も送付して平然としているとか、財産調査はするものの、それをてこに「このまま未納が続くと差し押さえますよ」などと催告を繰り返してばかりいて、事案がちっとも解決に向けて前に進まないということはないだろうか。こういったことが標準的な滞納整理だと思い込んでいる徴収職員が、いまだに職場で幅を利かせているとしたら、それこそそうした旧態依然の意識を改めない限り「税収の確保」「収納率の向上」「滞納額の縮減」は望むべくもないのである。
とはいえ、幾度となく同じようなことが繰り返され、紆余曲折を経て今日に至っているのが歴史の現実でもある。それ程までに人は保守的で、意識改革に対して恐れや不安を抱いているのだろうか。滞納整理の例で言えば、督促状を発してから10日経っても完納とならない事案について、差押えをすべく財産調査に着手することにどのような「不安」や「恐れ」「懸念」があると言うのだろうか。もしも、そんなに早く差押えなどしたら、滞納者の猛反発を喰らってしまうのではないかとか、議会で追及されやしないかなどといったことが桎梏となって踏み出せないのだとしたら、それは自己保身(嫌な思いをしたくない、できれば回避したいという自己愛ないしは逃避)なのではないか。仮に御身大切で、傷つきたくない、面倒なことは避けたいなどということであるとすれば、徴収職員としての矜持はどこへ行ってしまったのか。
もっとも、意識を変えるというのは、実際にはなかなか困難なことであるとは思う。しかし、だからこそその困難を乗り越えたその先に、「税収の確保」「収納率の向上」「滞納額の縮減」という徴収職員の誰もが願い、そして目指すべき頂上があるのであり、そのためには、日々倦まず弛まず新たなことにチャレンジし、工夫と努力を重ねることが必要なのである。そうしてやっと頂上を極めた時こそが「機が熟した」状態と言えるのではないだろうか。何もしない「無為」のままで自然に機が熟することはないのである。