「新・地方自治のミライ」 第50回 忖度システムのなかの自治のミライ
時事ニュース
2024.01.25
本記事は、月刊『ガバナンス』2017年5月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
はじめに
いわゆる「森友学園問題」がマスコミや国会などで問題になった。同問題は多面的な論点を持つが、基本的には、Ⓐ小学校建設に際して国有地が不当に便宜供与されたという疑惑、Ⓑ森友学園の小学校設置について不当に認可相当という結論が出されていたという疑惑、🄫それらが存在するとして、そのような不当な行政運営に政治家・行政職員が関与しているという疑惑、である。
そこで、本稿では、同問題について、自治体運営の観点から、検討してみたい。
国有地の不当処理問題
同問題の前提としては、Ⓐの有無が確認されなければならない。財務省としては、責任転嫁によって非を認めるわけにいかない。そこで、「文書が残っていない」という弁明によって、不当な取扱とは言い切れないと強弁せざるを得ない。
そのため、組織的な行政文書の作成・保存のあり方が、問題として派生している。情報公開法では、組織的な行政文書があれば原則公開であるから、文書を作成しない、または、早急に廃棄する、という副作用を生む。それゆえに、公文書管理体制が問われるというわけである。
しかし、「公文書問題」として捉えることは、論点外しである。情報公開制度は、行政に説明責務(実証責任)を課したものである。もともとは文書を持っていて、適正性を立証し得たにもかかわらず、財務省が挙証できない以上、不当な取扱という推定を棄却できない。つまり、財務省が、国有地を不当に森友学園に便宜供与した、と推定される。
国有地の不当処理は国の問題であって、自治体にとって、無関係なはずである。しかし、通常は有り得ないような取計いで、財務省が敢えて森友学園に便宜を図っている、という推定を前提に、自治体は運営せざるを得ない。例えば、産経新聞2017年3月16日付記事(注1)によれば、松井一郎・大阪府知事は「財務省は学園に親切な対応をした。安倍晋三首相の昭恵夫人が(開校予定だった)小学校の名誉校長に就いており、職員が首相をおもんぱかった」との認識を示したという。
注1 http://www.sankei.com/west/news/170316/wst1703160038-n1.html
忖度し合う関係
財務省が常識では有り得ない「神風」行動を示しているときに、自治体は、国からの明示的な関与・指示なくして、その背後の「何か」を忖度しなければならない。忖度ができない当事者は、「何か」を忖度する関係者から無能とされ、人事・財務・法務その他で将来的に冷遇・報復を受けるからである。
忖度システムは、①関係者から具体的な関与・指示はない、②当事者側が自発的に「何か」を忖度して配慮する、③行政運営が歪められたという非難を受けないために、当事者が関係者に対して忖度したことを対外的には認めない、④それゆえ関係者も当事者も責任を問われない、のが基本型である。「阿吽の呼吸」とも言われる。
なお、発展型としては、⑤関係者から具体的な関与・指示があったとしても、当事者は「何か」を忖度して、関与・指示がなかったと強弁する、⑥関係者から具体的な関与・指示があり、かつ、そのことを隠蔽するよう具体的な関与・指示があったとしても、当事者は「何か」を忖度して、関与・指示がなかったと強弁する。なお、このような発展型の場合には、関係者からの具体的な関与・指示が立証されれば、忖度システムとしては崩壊する。
財務省が「親切」であるならば、そこには「何か」がある。それは、財務省自身の「何か」かもしれないし、財務省がさらに大きな「何か」に忖度した結果かもしれない。ともかく、大阪府としては、「何か」を忖度して、小学校設置認可手続を進めなければならない。
もちろん、上記③の通り、大阪府知事・大阪府庁私学課・私学審議会としては、忖度を認めるわけにはいかない。忖度は、忖度したことを認めた瞬間に、忖度ではなくなる。そこで、上記記事でも松井知事は「府の対応は適切だった」と主張している。ともあれ、これらの当事者は、相互に「何か」を忖度して、設置認可手続を進める。知事から私学課や審議会に具体的な関与・指示があれば、それは基本型ではない。
以上の構図は、財務省が便宜を図っている行動を固定して、大阪府側の忖度を描いたものである。しかし、財務省の方が、大阪府側を忖度することも充分に有り得る。㋐私立学校の認可を規制緩和する政策を、橋下・松井大阪府政が進めていた。㋑橋下・松井両氏を中心とする「大阪維新の会」勢力は安倍首相と政治的に近いと考えられている。㋒森友学園も幼稚園児に「安倍首相がんばれ」と呼称させ、昭恵夫人が「瑞穂の國記念小學院」(注2)の名誉校長に就任するなど、安倍首相夫妻と近いと見られる。これら㋐㋑㋒の外形事実から、財務官僚が、〈森友学園=大阪府理事者=首相夫妻〉に「何か」の存在を見いだすことは、充分に有り得る。つまり、大阪府が財務省を一方的に忖度したのではなく、財務省も大阪府を忖度しているのであり、忖度し合う関係である。忖度は多元連立方程式である。
注2 「瑞穂」という名称であっても、「福島みずほ」や「みずほ銀行」を忖度しているとは考えられていないようである。
忖度システムにおける無責任と不利益
忖度システムのもとでは、仮に国有地の不当取扱や小学校の不当認可があったとしても、具体的に誰かが指示・関与したわけではないので、責任問題は発生しない。森友学園側が要望・関与をするのは、贈賄・恐喝など違法なことでない限り、自然である(注3)。しかし、忖度システムでは、財務省と大阪府庁とは、相互に明示的な指示・関与・要望を受けないで「こと」を進める。忖度システムは、関係者・当事者全員の無言の共謀に、組織的な一体責任を帰着させない限り、責任追及をすることは困難である。
注3 森友側が昭恵夫人に100万円を「贈賄」するならともかく、現時点での主張は、昭恵夫人側から森友側に「寄付」があった、という逆の流れである。ただ、森友側から首相夫妻側への働きかけを、かつて竹下首相を苦しめた「褒め殺し」という圧力と位置づけることは可能である。
その意味では、忖度システムのもとにある自治体は、忖度をしても責任を追及されない。他方で、忖度しなければ、「何か」によって、より正確には、「何か」を忖度する他の関係者によって、様々な冷遇・意地悪などを受難する危険性を孕む。そのような冷遇・意地悪自体も、誰かの指示・関与によって行われるのではないから、冷遇・意地悪の不当性を訴えることは出来ず、ただ甘受するしかない。これゆえに、自治体は忖度を続けざるを得ない。
忖度システムのもとでは、こうした「何か」ではない一般国民は、忖度=配慮されないから不利益を被る。一部の人に有利に運用される不公平な行政であるとともに、それを一般国民が是正し、責任を明らかにする術がないからである。
忖度システムの逆流
忖度システムのもとでは、少しでも自らの利益を図ろうとすれば、忖度に勤しむしかない。自治体も同様であり、大阪府に限らず、全国の自治体及びその政治家・行政職員も、忖度に励む。功を奏せば便宜を得られ、得られなくても責任を追及されることはないからである。
しかし、忖度システムは、忖度をしていると疑われた段階で、自己崩壊する。すると、「私は忖度して行政運営を歪めたことはない」と弁明または責任転嫁の循環が始まる。「森友学園問題」では、上記の通り、行政運営の不当性は推定されている。とするならば、「誰か」に虚偽・偽計などの違法・不正・不当を押しつけるしかない。昨日までは、互いに忖度し合う「朋友」が、明日には、そのなかから「誰か」を受難者(生け贄)に差し出す。
もちろん、忖度システムでは、生け贄を探すという「何か」の希望自体も、各々が忖度する。最もよいのは、受難者たるべき人が、自ら忖度して受難(自虐)することである。
自治体は、いつ受難者にされるか分からない、恐ろしい忖度システムのもとで、住民の利益を図っていかなければならない。しかも、外見的には、密接な「朋友」関係のある集団においてこそ、受難が起こりがちなのである。そういう「朋友」内には、友情も道徳も存在しない。
Profile
東京大学大学院法学政治学研究科/法学部・公共政策大学院教授
金井 利之 かない・としゆき
1967年群馬県生まれ。東京大学法学部卒業。東京都立大学助教授、東京大学助教授などを経て、2006年から同教授。94年から2年間オランダ国立ライデン大学社会科学部客員研究員。主な著書に『自治制度』(東京大学出版会、07年)、『分権改革の動態』(東京大学出版会、08年、共編著)、『実践自治体行政学』(第一法規、10年)、『原発と自治体』(岩波書店、12年)、『政策変容と制度設計』(ミネルヴァ、12年、共編著)、『地方創生の正体──なぜ地域政策は失敗するのか』(ちくま新書、15年、共著)、『原発被災地の復興シナリオ・プランニング』(公人の友社、16年、編著)、『行政学講義』(ちくま新書、18年)、『縮減社会の合意形成』(第一法規、18年、編著)、『自治体議会の取扱説明書』(第一法規、19年)、『行政学概説』(放送大学教育振興会、20年)、『ホーンブック地方自治〔新版〕』(北樹出版、20年、共著)、『コロナ対策禍の国と自治体』(ちくま新書、21年)、『原発事故被災自治体の再生と苦悩』(第一法規、21年、共編著)など。