「新・地方自治のミライ」 第11回 子宮頸がんワクチンのミライと自治体

時事ニュース

2023.01.04

本記事は、月刊『ガバナンス』2014年2月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

国の責任回避行政

 2013年12月17日に、横浜市議会第4回定例会において、子宮頸がんワクチン(注1)の予防接種に関する意見書が、全会一致で可決された。これは、子宮頸がんワクチンの接種後に、持続的な痛み、不随意運動、脱力などの重篤な症状に関する問題が起きていることを受けている。意見書では、副反応との因果関係が明確になるまでの間、ワクチンの定期接種の積極的な勧奨を行わないように要望し、副反応に対する治療法の確立と治療体制の充実を早急に進めるとともに、必要な予算措置を講ずるよう求めている。

(注1)ここでは素人である筆者の立場からこのように表記したが、公式的には、「ヒトパピローマウィスル(HPV)ワクチン」といわれる。HPVは、腫瘍ウィルスの一種で、子宮頸がんの9割で検出されると言われる。

 広い意味での食品公害や薬害だけではなく、予防接種に伴う薬害、すなわち「予防接種禍」は、戦後日本において何度となく繰り返されてきている。その代表的なものは、麻疹(はしか)・ムンプス(おたふく風邪など)・風疹に関するMMRワクチンである。1989年9月の接種直後から強い副反応が報告され、「慎重に行う」という方針(89年10月)から、保護者同意の義務化(91年5月)を経て、全国的な中止(93年4月)に至った。さらに、定期接種対象である日本脳炎ワクチンでは、「積極的勧奨の差し控え」が2005年5月から採られるようになっている(注2)

(注2)詳しくは、手塚洋輔『戦後行政の構造とディレンマ』(藤原書店、2010年)、236頁以下、268頁以下参照。

 このように、国は「推進」も「禁止」もしないまま、「保護者同意」や「積極的勧奨の差し控え」によって、予防接種を進めるという、従って、予防接種禍も継続し得るという、責任回避的な行政手法が開発されてきた。このように繰り返される国の責任回避行政を踏まえて、自治体は何に学べばよいのだろうか。

定期接種と積極的勧奨差し控え

 上記のような責任回避行政により、国が責任を負って前面に立って予防接種を進めることがなくなるため、予防接種からの行政の後退現象が生じた。このような状態は、推進派から見れば、「ワクチン・ギャップ」と呼ばれる現象である。諸外国ではワクチン接種が可能であるにもかかわらず、国の責任回避行政のスタンスゆえに、世界水準のワクチン接種ができないという批判である。

 そのようななかで、子宮頸がんワクチンの定期接種が導入されたことは、ある意味で、推進派から見れば、ワクチン・ギャップの解消に向けた一歩だったと言えよう。13年4月から、子宮頸がんワクチンは、予防接種法第5条第1項に基づく定期接種となり、市区町村が予防接種の事務を実施することになった(注3)

(注3)2013年3月の予防接種法改正の経緯に関しては、荒井賢治「予防接種制度の抜本的な見直しに向けて」『立法と調査』2013年4月号(339号)、参照。国会審議でも、特に子宮頸がんワクチンに関しては議論があり、副反応の報告率では他のワクチンに比して高い旨の政府答弁がなされている。同17頁。同改正で追加されたのは、子宮頸がん(HPV)ワクチンのほかに、ヒブ(Hib、インフルエンザの一種)、小児用肺炎球菌のワクチンがある。同10頁。

 しかしながら、早くも、厚生科学審議会および薬事・食品衛生審議会の合同会議において、同ワクチン接種との因果関係を否定できない副反応があるということで、積極的な勧奨をすべきではないとされた。これを受けて厚生労働省は、健康政策局長名で、「積極的な勧奨とならないように留意すること」という勧告を、地方自治法第245条の4第1項に基づき13年6月14日付で発出した。上記の日本脳炎ワクチンと同様に、責任回避的な行政手法を用いている。その後も、厚生労働省の研究会は、副反応の因果関係の解明や、副反応への対処方法の研究などを行っているが、13年12月末現在、結論を先送りしている。

 こうした事態は、推進派からも反対派からも不満があろう。推進派から見れば、WHOや世界先進諸国の状況から見て、「科学」的に適切な予防接種ができないという、「ワクチン・ギャップ」の再現である。しかし、反対派から見れば、すでに副反応事象が多く起きているにもかかわらず、「因果関係が明確ではない」などとして対策を先送りした、これまでの各種の公害・薬害・予防接種禍の再現そのものだからである。

 賛否両派から批判されることが「中立」性の証しであり、利害関係の「調整」がとれたものである、と考える一部関係者にとって、一番の「落としどころ」なのである。そして、両派の風向きを見て、時機を見て推進側あるいは反対側に舵を切る。

自治体の対応方策

 不確実な事象は行政では避けがたい。そのようななかで、どのように政策決定をするのかは、大変に難しい問題である。予防接種をすることによるメリット・デメリットと、しないことによるメリット・デメリットの比較衡量は、「科学」的「専門」的知見を必要とし、また、多数の実例を収集する必要があるため、自治体では独自の判断をしにくい面もある。その意味で、「アイヒマン」(注4)のごとく思考を停止し、国の定めた政策を現場で粛々と実施するのが、集権的な自治体の基本的なスタンスとなりがちである。

(注4)ハンナ=アーレント『イェルサムのアイヒマン』(みすず書房、1969年)。

 「国が『定期接種せよ』というから、自治体としてしました。予防接種で副反応が起きたら国の所為です」というわけである。あるいは、「国が『積極的な勧奨はするな』というから、自治体としては積極的には勧めません。予防接種をしなかった所為で子宮頸がんになっても、国の所為です」というわけである。

 もっとも、国は、責任回避のために、実施を自治体に委ね、「積極的勧奨の差し控え」などという曖昧な勧告をし、「科学」的な因果関係の解明は専門家の研究会に投げている。責任回避に長けた国に、責任を取らせることは難しいだろう。こうして、被害者は盥回しになるのである。

 そこで、自治体としては、最前線の行政として問題を把握し、国に適切な政策決定をするように圧力をかけることが一つの責任の果たし方になろう。冒頭部分で触れた横浜市議会の対応は、そうした自治体の一つのやり方である。とはいえ、国に最終判断を丸投げしているという意味では、一種の責任転嫁ともいえる。

 自治体として、予防接種をするかしないかを判断するのは、大変に厄介なものである。予防接種をすると判断する場合には、副反応が起きることがわかっていたのに、予防接種をした所為で被害を受けた、という非難を受けることになる。予防接種をしないと判断する場合には、予防接種という手法があるのに、不作為ゆえに子宮頸がんになった、という非難を受けることになる。

 しかし、自治体およびその公選職政治家とは、住民が個々人では負いきれない負担を負うのが任務である。個々人が判断すれば済むのであれば、市場に任せればよく、行政や公共団体は不要である。個々人では負いきれない決断をするのも、一つの自治実践である。

 国の専門家による判断とは、純然たる「科学」的判断にはなり得ない。なぜなら、専門家が研究を進めているのは、(国内外に広がる)「産官学」などの特殊な共同体のなかであって、純然たる白紙の上ではないからである。その意味で、自治体の素人判断も危ういが、国や専門家の玄人判断もまた、相当に危うい。ならば、「産官学」共同体から自由な自治体が判断するのも、一つのあり方である。

おわりに

 一般的に言えば、副反応のデメリットより予防接種のメリットが大きければ、予防接種をすることになるし、そうでない場合には、しないことになる。しかし、この比較衡量は、個人レベルでも、社会レベルでも、極めて難しい。

 国が営々と培ってきた、本人または保護者同意とは、こうした難しい判断を、国も自治体も医師・専門家も回避し、最も素人であり、かつ、被害を受ける当事者である本人または保護者に転嫁するものでもある。住民個々人としては、そのような判断責任を負わされても、判断しようもない。そのようななかで、判断を負える組織があるとすれば、自治体を擱(お)いて他にはないだろう。

 もちろん、自治体関係者からすれば、国や専門家の曖昧な態度が、現場を困惑させているという不満はあろう。しかし、国や専門家が「明確」な指針を出せばいいというものではない。危ない予防接種を「安全だ」と「明確」に言い続けられても住民は困るのである。国からの方針が「曖昧」であり続けるのは当然と受け止め、そのなかでの対処を決断していくしかないのである。

 

 

Profile
東京大学大学院法学政治学研究科/法学部・公共政策大学院教授
金井 利之 かない・としゆき
 1967年群馬県生まれ。東京大学法学部卒業。東京都立大学助教授、東京大学助教授などを経て、2006年から同教授。94年から2年間オランダ国立ライデン大学社会科学部客員研究員。主な著書に『自治制度』(東京大学出版会、07年)、『分権改革の動態』(東京大学出版会、08年、共編著)、『実践自治体行政学』(第一法規、10年)、『原発と自治体』(岩波書店、12年)、『政策変容と制度設計』(ミネルヴァ、12年、共編著)、『地方創生の正体──なぜ地域政策は失敗するのか』(ちくま新書、15年、共著)、『原発被災地の復興シナリオ・プランニング』(公人の友社、16年、編著)、『行政学講義』(ちくま新書、18年)、『縮減社会の合意形成』(第一法規、18年、編著)、『自治体議会の取扱説明書』(第一法規、19年)、『行政学概説』(放送大学教育振興会、20年)、『ホーンブック地方自治〔新版〕』(北樹出版、20年、共著)、『コロナ対策禍の国と自治体』(ちくま新書、21年)、『原発事故被災自治体の再生と苦悩』(第一法規、21年、共編著)など。

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