「新・地方自治のミライ」 第3回 憲法第96条第1項問題と地方自治保障

時事ニュース

2022.10.26

本記事は、月刊『ガバナンス』2013年6月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

政治の《軽さ》

 安倍首相が、憲法第96条第1項の改正を、来る国政選挙での争点として掲げることとして、憲法論議が俄に浮上した。同条項は、憲法改正手続について規定したものである。それに拠れば、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で国会が発議し、国民投票の過半数を得ることが、憲法改正には必要だとされている。このため、通常の法律の制定改廃には、両議院の過半数による可決、または、参議院が否決した場合に衆議院の3分の2で再可決、でよいのに比べて、憲法は改正しにくい。このような特徴を硬性憲法という。

 安倍首相がどのような改正を目指しているのか、具体像ははっきりしないが、その方向は明確である。簡単に言えば、より憲法を改正しやすくするというものである。この「改正しやすさ」が、通常の法律と同じレベルにまで大幅に緩和されるのか、あるいは、通常の法律制定手続に国民投票を付加した程度にまで緩和されるのか、定かではない。

 前者の場合には、憲法は実質的に法律に格下げされたのと一緒であるから、「憲法改正」というよりは「憲法廃棄」を意味する。後者の場合には、議会多数派=政権が国民投票に訴える在り方なので、「憲法改正」というよりは、「人民投票民主主義」といった方がよいだろう。

 憲法改正手続という争点は、一見すると具体的な改正内容が示されていないので、あまり関心を集めていないようである。しかし、上述のように、憲法改正がしやすくなるという意味では、憲法で規定されている保障内容が、実質的には空洞化するという意味であり、全条項の価値を一律に《軽く》するものである。基本的人権や統治機構の権力分立制という立憲的価値も《軽く》する。政治の《軽さ》も極まれりというところである。

憲法による地方自治の制度的保障

 憲法改正手続の改正では、地方自治への具体的な影響が見えにくいので、「維新の会」のような一部の政党を除き、自治体関係者の関心も薄いようである。しかし、上述のように、憲法改正手続の緩和は、憲法に掲げてある地方自治の制度的保障も《軽く》するものである。

 現行憲法と明治憲法の非常に大きな差異の一つは、地方自治に関する規定の有無である。ところが、こうした現行憲法の地方自治条項が、関係者が気付かないうちに、一律インフレで《軽く》なってしまうことは、実に魔法的なものである。1993年の国会決議以降、分権改革という方向が進められてきたが、それが一気に逆転してしまうのである。

 もちろん、現行憲法は、地方自治制度の骨格は法律に授権しており、直接に具体的に規定している箇所は少ない。しかし、その場合にも、「地方自治の本旨」の尊重という、憲法上の制約を受ける。「地方自治の本旨」とは何かを具体的にする作業が重要であるが、それが、分権改革である(地方分権推進委員会最終報告)。

 また、現行憲法は、直接に具体的に規定している内容もある。第1は、自治体の首長と議会議員を直接公選することである。これは、いわゆる「二元代表制」の根本規定であり、法律で勝手に変えることはできない。少なくとも、戦後日本の地方自治は、首長を直接公選することで、責任ある政権のもとでのリーダーシップを制度的に確保してきた。そして、国政為政者が、ある強力な自治体首長の存在を苦々しく思い、当該首長を排斥しようとしても、法律改正ではそれが出来ないということを、憲法上保障してきた。このことは自治体を大きく力づけてきたのである。

 また、第2に、特定の一つの自治体に対してだけ適用される法律は、当該自治体の住民の過半数の同意が必要であることである。これは具体的に言うと、次のようなことである。国政為政者が、ある強力な自治体の存在を苦々しく思ったときにも、この自治体を狙い撃ちする法律を勝手には制定できないということである。狙い撃ちの最たるものは、当該自治体の廃止である。狙い撃ち法律を禁止することは、自治体を大きく力づけてきたのである。

憲法改正手続の緩和で地方自治保障は強化できるか

 憲法改正手続の緩和は、こうした現行憲法の地方自治の保障条項を不安定にするものである。簡単に言えば、廃止しやすくなる。国政為政者から見れば、国に楯突くような強力で存在感のある自治体やその首長は目障りであり、こうした自治体や首長を排斥したい誘惑を持つだろう。憲法や立憲主義は、こうした国政為政者の権力欲に駆られた誘惑を抑えるのが役目なのであり、それが地方自治の制度的保障条項である。だからこそ、国政為政者は、こうした保障条項を改正(=緩和・廃止)しやすくすることを願う傾向がある。

 もちろん、論理的には、憲法改正がしやすくなるということは、現行憲法の規定以上に、より強力な地方自治保障条項を憲法に入れ込むことを可能にする。しかし、改正手続が緩和された憲法に、いくら地方自治保障条項を書き加えても意味は乏しい。なぜならば、いくら書き込んでも、簡単な手続で盛り込んだ《軽い》ものでしかないからである。改正が容易でない《重い》手続で書き込めてこそ、地方自治保障は強化されたと言えるのである。例えば、道州制論者からすれば、憲法に道州制を書き込みやすくなると期待するかもしれない。しかし、そのような《軽い》道州制は、安い価値しか持たない。

 また、憲法改正はあくまで多数派の国民意思に従って行うのであり、分権推進をここ二十年来にわたって支持してきた国民意思を信頼するのであれば、憲法改正手続が緩和されても地方自治保障は揺らがないと思うかもしれない。しかし、この発想は短慮である。少なくとも、1940年代後半から1990年代前半まで、国民意思は基本的には集権指向であったことを忘却してはならない。国民意思は干満で波動するものでもある。そもそも、地方自治はある地域住民の意思という国民全体から見れば少数派を保障するものであり、国民の多数派の意思に依拠するだけでは不充分である。

 真に国民意思を信頼できるのであれば、両院の3分の2程度の特別多数は言うまでもなく、少数派も含めたコンセンサスを形成できる自信がないはずはない。むしろ、憲法改正手続の緩和は、真の幅広い合意のある国民意思を信頼しているのではなく、一時的な単純多数決による結論を火事場泥棒的に採用しようというにすぎないのである。

地方自治保障を《重く》する改正

 このように見てくると、憲法改正手続の緩和は、現行憲法による地方自治の制度的保障を《軽く》する方向に作用するだろう。仮に、地方自治保障条項を強化したいのであるならば、憲法改正手続を緩和することなく、内実に詰め込むべき保障条項を具体的に提案していかなければならない。

 地方自治の観点からは、憲法第96条第1項を改正するのであれば、むしろ、その手続を《重く》する方向で改正すべきであろう。すなわち、現行改正手続には、自治体の意思を反映する余地はないので、自治体の意思を反映する改正手続に《重く》することが考えられる。例えば、憲法改正には、《過半数の地方公共団体の同意を要する》とか、《過半数の人口を擁する地方公共団体の同意を要する》とか、《国と地方の協議の場における合意を要する》とか、である。こうした位置づけは、極めて連邦制に近いイメージを与えるが、もちろん、そのようなものではなく、地方自治の保障を《重く》するだけである。

 自治体関係者が、憲法第96条第1項の改正構想が意味するところを正確に察知していないとすれば、それは遺憾なことである。もしそうであるならば、「分権時代」「自主性・自立性」「地域主権」などと持ち上げられてきながら、内実の自治体は、すでに生気を失ったミイラ状態であることを露呈するものであろう。

 

 

Profile
東京大学大学院法学政治学研究科/法学部・公共政策大学院教授
金井 利之 かない・としゆき
 1967年群馬県生まれ。東京大学法学部卒業。東京都立大学助教授、東京大学助教授などを経て、2006年から同教授。94年から2年間オランダ国立ライデン大学社会科学部客員研究員。主な著書に『自治制度』(東京大学出版会、07年)、『分権改革の動態』(東京大学出版会、08年、共編著)、『実践自治体行政学』(第一法規、10年)、『原発と自治体』(岩波書店、12年)、『政策変容と制度設計』(ミネルヴァ、12年、共編著)、『地方創生の正体──なぜ地域政策は失敗するのか』(ちくま新書、15年、共著)、『原発被災地の復興シナリオ・プランニング』(公人の友社、16年、編著)、『行政学講義』(ちくま新書、18年)、『縮減社会の合意形成』(第一法規、18年、編著)、『自治体議会の取扱説明書』(第一法規、19年)、『行政学概説』(放送大学教育振興会、20年)、『ホーンブック地方自治〔新版〕』(北樹出版、20年、共著)、『コロナ対策禍の国と自治体』(ちくま新書、21年)、『原発事故被災自治体の再生と苦悩』(第一法規、21年、共編著)など。

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