徴収の智慧
徴収の智慧 第1話 神は細部に宿る
地方税・財政
2019.06.05
徴収の智慧
第1話 神は細部に宿る
格言と滞納整理
『神は細部に宿る』という言葉を耳にしたことのある人は少なくないのではないか。
しかし、この言葉の典拠や意味については諸説があって、様々なところでしばしば引用され、また紹介もされているのだが、実ははっきりしていないようなのである。かく言う私にもいずれの説が真実であるのかは分からない。とはいえ、最も腑に落ちると言うか、素直に受け入れることができる解釈は、「何事も細部にまで手を抜かずにしっかりと作り込まれた作品は美しいものであるし、そうして細部にまで亘って丁寧に作り込まれたものは全体の完成度も高く、調和のとれたものである。」というものである。
このことは、美術品・建築物・文学作品等のほか分野を問わず、人間が創り出すもの全てに通じるのではないかと思う。牽強付会と言われそうであるが、税の滞納整理にだって通じるものがあるのではないかとさえ思う。つまりこうである。滞納整理は、租税法律主義の下で、法令に基づいて段階的・漸進的に行われるものであり、通常、納税の告知→督促→催告→(必要に応じて納税指導)→財産調査→滞納処分又は納税緩和措置、という手順に沿って進められる。そして、この場合、「細部にまで手を抜かずにしっかりと作り込まれた作品は美しいものであるし」を「(手順の)細部にまで手を抜かずにしっかりと履践された滞納整理は合理的なものであるし」と、そして「細部にまで亘って丁寧に作り込まれたものは、全体の完成度も高く、調和のとれたものである。」という部分については、「(手順の)細部にまで亘って着実に履践された滞納整理は、全体の完成度も高く、 (手続として)瑕疵のないものである。」という具合に言い換えることができるのではないだろうか。
滞納整理は手続が大切
滞納整理は、税法の中では、租税実体法に対する租税手続法と言われる分野の法律に基づいて行われるものであるところから、この手続を的確かつ着実に実行することが大切なのであり、その意味で『神は細部に宿る』という言葉がもっている、一つひとつの細部にまで亘る手順こそが大切であるという精神と相通ずるものがあるように思うのである。まさに「手続の適正さ」や「決められた手順の確実な履践(処理)」というものは、滞納整理を進める上で最も肝心で大切なことであるから、一つひとつの手続を疎かにしてはならないという意味において、『神は細部に宿る』という格言は、このことを的確に言い表しているのではないだろうか。
自らの滞納整理を振り返る
ところで、このような視点に立って、読者諸氏の自治体で行っている滞納整理を振り返ってみてはいかがであろうか。手順の一つひとつを着実に履践しているだろうか。手順が行きつ戻りつしていて、停滞しているようなことはないだろうか。例えば、よく見受けられるのは、苦労して滞納者の財産を発見して差押えをしたにも拘わらず、換価をせずに、納税誓約をさせて、分納にしてしまうという扱いである。このような処理をしている担当者の考えは、恐らく「たとえ差押え後であっても、滞納者が任意に納税する意思を表明しているのに、強制的に取り立てるのは、行き過ぎた権限の行使であって妥当ではない。」というものではないかと推察される。
しかし、これは矛盾しているし、多大なリスクを抱えるものである。すなわち、財産調査は、「滞納処分のために必要がある場合」(国税徴収法141、142)に行うものであるから、当該滞納者について、自主納付が見込めないと判断したからこそ着手したはずである。それなのに、差押え後に自主的な納付を見守るという取扱いを認めるのは明らかに矛盾しているし、手順が逆行していると言わざるを得ない。更には、履行監視という債権管理事務を増やした上、履行の不確実性というリスクを冒してまで分納の取扱いを認めたのは、効率性や確実性を損なうものと言わざるを得ない。改めて『神は細部に宿る』という視点から滞納整理の進め方を点検してみる必要があるのではないだろうか。