新・地方自治のミライ
「新・地方自治のミライ」 第88回 共通番号と預貯金口座のミライ
NEW地方自治
2025.06.16
本記事は、月刊『ガバナンス』2020年7月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
はじめに

高市早苗総務相は2020年6月9日に、共通番号(マイナンバー)と個人の一つの預貯金口座(以下、「口座」)のヒモ付けの義務化を表明した。福祉目的や景気対策など多様な給付を行うため、全ての国民に「一生ものの口座」を1口座のみ登録する制度に発展すれば、迅速なプッシュ型の給付や行政コストの削減が可能となるとした。また、希望者を対象に任意で、被相続人や災害の際に口座を確認するため、金融機関名の確認に共通番号を利用できるようにする方針も明らかにした(注1)。
注1 産経新聞デジタル版2020年6月9日11時01分配信。
COVID-19対策の1人10万円(特別定額給付金)の給付手続が遅延しているため、こうした考えが浮上したようにも見える。例えば、自公維の与癒(よゆ)党三党は、希望者を対象に振込先の口座番号などを事前に登録して国が名簿を作成し、管理する法案を提出している(注2)。今回はこの問題を考えてみよう。
注2 NHK NEWSWEB 2020年6月8日 16時38分配信。
災禍と改革
為政者がもともと行いたかったが、平常時には様々な異論や反論があって実現できない案件を、人々の厄災に乗じて実現することは、しばしばみられる。新自由主義的な経済改革を惨事に乗じて行うのは、ショック=ドクトリンと呼ばれる。
もっとも、為政者がもともと行いたくないことは、災禍があったからといって実現するとは限らない。また、為政者がもともと行いたくないことも、災禍の所為で実現してしまうこともある。為政者が行いたいことが、災禍があったからといって実現できるとも限らない(注3)。
注3 例えば、長期休校措置を奇貨として、一部知事などを中心に「9月入学論」が急浮上したが、導入に伴う費用と混乱に思いが至り、導入しないことになった。
特別定額給付金とベーシックインカム

資産・所得状況に関係なく、個々人に一定金額を給付する構想を、ベーシックインカム(基礎所得保障、以下「BI」)という。為政者は、もともとBIを実現する発想はない。
COVID-19対策の外出・営業自粛要請のなかで、多くの人々が稼得を失った。そこで、当初は、所得が以前に比べて減少した世帯に限定した1世帯30万円給付が構想された。しかし、すべての人々が自粛を迫られるなかで、一部世帯にのみの選別的給付には批判が集まった。そこで普遍的給付として特別定額給付金が決定された。しかし、BI導入に向けた橋頭堡などではない。
積年の願望と禍事場泥棒
実は、高市総務相は2020年1月17日に、共通番号と金融機関の口座を連結する制度の義務化について、財務省と金融庁に検討を要請していた。もともと、2018年1月に開始された現行制度でも、本人の同意を条件に、口座と共通番号を連結できる。個人資産を正確に把握し、脱税や生活保護の不正受給などを防ぐのが狙いである。つまり、共通番号を連結するメリットは人々にはない。それゆえ、口座と個人番号の連結は進んでいない。メリットがないがゆえに進まない連結を強制すれば、人々は反発する。そのため総務省は、相続や災害発生時の預貯金引出の負担軽減など、利便性向上を謳っていた(注4)。
注4 読売新聞電子版2020年1月18日07時19分配信。
そのような状況のもとに、特別定額給付金が導入された。しかも、申請書がなかなか届かない、電子時代なのに郵便では遅い、諸外国ではすぐに口座に現金が振り込まれた、などの不満が生じた。
マイナンバーカードを普及させたい思惑もあり、禍事場泥棒(注5)的に共通番号を利用した電子申請手続も設計した(注6)。しかし、電子申請では迅速にはならない。住民(世帯主)情報と、新たに伝達された口座情報を、突合して確認しなければならないのは変わらない。むしろ、誤入力・入力漏れなどが相次ぎ、電子申請は市区町村役場の現場を却って混乱させ、業務の遅延を招いた。そのため、多くの自治体では、電子申請を忌避することになった。
注5 慣用的には「火事場」であるが、新型コロナウイルス禍なので「禍事場」としておく。
注6 総務省HP。
そこで、共通番号(住民基本台帳情報)と口座を連結することが、急浮上した。これも禍事場泥棒の典型である。
住民票と預貯金口座情報

特別定額給付金の課題は給付手続である。市区町村窓口で本人確認をして現金を手渡す方法もあるが、三密回避のなかでは、窓口手続は避けたい。そこで、基本的には申請書を住所に送付し、世帯主が世帯主名義の口座情報を記入して返送する手続が組み立てられた。
市区町村は、住民基本台帳は持っているが、住民票には口座が記載されていないので、口座情報を入手する必要があった。なお、所得税の確定申告(還付手続)や、年金・手当などで、国や自治体が住民の口座情報を持っている場合はある。しかし、全住民(少なくとも全世帯主)の口座情報を持っていない。それゆえ、今回の郵送手続は現実的にはやむを得ない。
行政情報インフラとして、住民票に一つの口座が記入されていれば、便利ではある。しかし、個人が持つ全ての口座と住民基本台帳(共通番号)を連結する必要は、現金給付事務においては、全くない。積年の願望は全口座の連結ではあるが、それでは禍事場泥棒の「盗品」があまりに多すぎる。そこで、「盗品」を一つにして、それゆえ、現金給付業務に資するという意味で、目的手段として正当化される範囲で、立案作業を検討した。
単発手続の難しさ
世間では、マイナンバーカードの普及や電子手続化によって、業務が迅速化されるという「神話」があるが、必ずしもそうはならない。
電子手続は反復化され、特に馴れない情報入力も要件審査も必要ないときには、迅速化されるかもしれない。しかし、単発作業では、端末に直面して、読取ソフトがダウンロードできない、暗証番号(署名用電子証明)を失念・失効したり、数回エラーでロックがかかり、結局、人々は電話や窓口で担当者に聞くしかない(注7)。手続申請の敷居を下げると、同一人物が何回も申請できたりして、審査業務が増え、今度は審査の必要情報が足りない。反復作業ならばシステム不具合も改修できるが、単発手続は電子化でもカードでも面倒なままなのである(注8)。
注7 西日本新聞デジタル版2020年5月21日6時04分配信。
注8 朝日新聞デジタル版2020年5月13日19時48分配信。
悉皆性の難しさ
住民基本台帳自体、日本にいるすべての人を把握できない。悉皆性を欠く住民票に口座が連結されても、問題の解決にならないことが多い。
さらに、住民が口座を持っているとも限らない。確かに、多くの日常生活で、口座は必要になろうが、持たないことも自由である。携帯電話やメールアドレスも、持っている人は多いが、持っていない人もいる。また、持っていても登録するのは面倒で、全員が行うとは限らない。要するに、名簿を作成して、色々な欄を設ければ、便利になるように見えて、空欄が増えるだけである。そして、全住民に給付するような悉皆的・普遍的な事業においては、空欄は致命的な欠陥である。
おわりに
納税者番号(グリーンカード)構想から始まった共通番号のアイデアは、全個人・事業者の経済状況を把握することが目的であり、当然ながら、全ての口座と番号をヒモ付けたい思惑を持つ。共通番号は、住民基本台帳を基礎に建て増しされたので、住民票にすべての口座を記載したがる。逆に、経済的自由を確保したい個人は、口座と番号のヒモ付けは忌避してきた。もっと言えば、本当に脱税や贈収賄する人たちは、記名の口座などは利用しない。
個々人の口座情報を行政が保有していれば、現金給付には便利ではある。しかし、使われなければメリットがない。にもかかわらず、定期的に口座情報が最新・正確かを、維持更新しなければならない。口座と共通番号(住民票)との連結は、すべての住民に対して定期的に現金給付をするときのみ意味がある。しかし、為政者にはBIを導入する意図はない。結局、コストだけ大きくメリットもない面倒な事務が、災禍に便乗して増えるだけである。
Profile
東京大学大学院法学政治学研究科/法学部・公共政策大学院教授
金井 利之 かない・としゆき
1967年群馬県生まれ。東京大学法学部卒業。東京都立大学助教授、東京大学助教授などを経て、2006年から同教授。94年から2年間オランダ国立ライデン大学社会科学部客員研究員。主な著書に『自治制度』(東京大学出版会、07年)、『分権改革の動態』(東京大学出版会、08年、共編著)、『実践自治体行政学』(第一法規、10年)、『原発と自治体』(岩波書店、12年)、『政策変容と制度設計』(ミネルヴァ、12年、共編著)、『地方創生の正体──なぜ地域政策は失敗するのか』(ちくま新書、15年、共著)、『原発被災地の復興シナリオ・プランニング』(公人の友社、16年、編著)、『行政学講義』(ちくま新書、18年)、『縮減社会の合意形成』(第一法規、18年、編著)、『自治体議会の取扱説明書』(第一法規、19年)、『行政学概説』(放送大学教育振興会、20年)、『ホーンブック地方自治〔新版〕』(北樹出版、20年、共著)、『コロナ対策禍の国と自治体』(ちくま新書、21年)、『原発事故被災自治体の再生と苦悩』(第一法規、21年、共編著)、『行政学講説』(放送大学教育振興会、24年)、『自治体と総合性』(公人の友社、24年、編著)。