「新・地方自治のミライ」 第61回 「慰安婦」問題のミライ
地方自治
2024.10.09
本記事は、月刊『ガバナンス』2018年4月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
はじめに
米国サンフランシスコ市に建立された旧日本軍従軍「慰安婦」を象徴する像を巡り、吉村洋文・大阪市長は2017年12月12日に、姉妹都市を解消する方針を固めた(注1)。大阪市会では、市長与党「維新の会」が提携解消の、自民党・公明党など野党会派は継続の、それぞれの決議案を提案したが、それぞれ否決された。しかし、姉妹都市提携の解消に市会の同意は必要ない。さらに、同市長は今後も抗議を続ける考えを示した。また、サンフランシスコ市による「慰安婦」像と碑文の受け入れ、「慰安婦の日」制定への反対決議案は、維新・自民・公明などの賛成多数で可決された(注2)。
注1 2018年2月6日更新の大阪市役所公式ホームページには、サンフランシスコ市の姉妹都市関係は削除されていないが、「*現在は交流停止中」と注記されていた。2024年5月23日更新の同サイトでは、サンフランシスコ市は掲載されていない。
https://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/page/0000184422.html
注2 2017年12月12日付毎日新聞電子版。
https://mainichi.jp/articles/20171213/k00/00m/040/114000c
2018年10月2日に大阪市は姉妹都市解消の書簡をサンフランシスコに送付した。しかし、サンフランシスコ市は、「1人の市長が、両市の人々、特に60年以上存在していた人々の間に存在してきた関係を一方的に終わらせることはできない」などとする市長の声明を発表したという。HUFFPOST NEWS 大阪市 NEWS 慰安婦像 サンフランシスコ、2018年10月05日 12時38分配信。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/comfortwomen-statue_jp_5c5d8294e4b0974f75b35553
外交問題は、国が専管すると言われるが、姉妹都市、交流事業、五輪・万博招致など、現実には自治体も外交をしている。「慰安婦」問題も外交課題の一つとして、しばしば日韓間などで大きく問題になってきたので、自治体にも影響がある。そこで、今回はこの問題を論じよう。
「慰安婦」問題日韓合意(注3)
注3 http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/kr/page4_001664.html
第2次安倍政権は、韓国・朴槿恵(パククネ)政権との間で、15年12月28日に「慰安婦」問題について「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」とした合意に至った。日本側・岸田外相は、①日本政府の責任を痛感し、安倍首相はお詫びと反省を表明、②韓国政府が元慰安婦支援財団を設立し、日本政府が資金を一括拠出、③最終的かつ不可逆的に解決、と表明した。韓国側・外交部長官は、④最終的かつ不可逆的に解決、⑤韓国政府は、在韓国日本大使館前の少女像に対し、可能な対応方向について関連団体との協議を行う等を通じて適切に解決されるよう努力、⑥今後、国連等国際社会において、本問題について互いに非難・批判は控える、ことを表明した。
日本側としては、〈これ以上は蒸し返して非難されたくない、「慰安婦」を象徴する像を公的機関としては撤去して欲しい〉、ということだろう。しかし、少なくとも、日韓合意で日本側が期待したことは実現していない。在韓国日本大使館前の少女像が撤去されたわけではないし、上記の通り「慰安婦」像は他のところにも設置されている。また、韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領への政権交代によって、「慰安婦」問題が非難的に言及される場面が増えている。日本側は、「最終的かつ不可逆的に解決」のはずだったのに、約束違反だと感じていよう。このポピュリズム的感情が、先の大阪市長のような行動を支えていよう。
国の無能を自治体は逆補完できるか
以上の日本側の目標を前提にすれば、第2次安倍政権の対韓外交は全くの失敗であった。素人目から見ても、「お金を出すから、もうこれ以上は非難しないでくれ」という要求が、通用するはずはない。こうした「見舞金」方式が通用するのは、例えば、国や公害企業が札束で被害者を黙らせるときなど、圧倒的に力が強いときだけである(注4)。しかし、日韓の力関係はそうではない。さらに言えば、「見舞金」方式は公正ではないから、力関係が変わればいつでも蒸し返される。要するに、国内で圧倒的な力関係を背景に、人々を黙らせる統治手法しか知らない日本政府には、外交関係での解決能力は限られている。
注4 例えば、国営諫早湾干拓事業問題で、裁判所は、開門を求める被害漁民に対して、国が基金へ支払うことで、開門をしないままとする「和解」を勧告した。
そもそも、〈「慰安婦」像を撤去して欲しい、蒸し返さないで欲しい〉、と言う日本側の我欲を前面に出し、弱点をわざわざ露出している。これは、〈少女像を設置せよ、今後も蒸し返せ〉、という対外的シグナルになった。リアリズム国際政治では、相手の望むことだけではなく、嫌がることをすることもある。日韓合意は日本側の弱点をさらけ出す愚かな外交交渉であった。そもそも、日韓合意でも、韓国側は在韓国日本大使館前「慰安婦」像を撤去すると約束していないし、それ以外の「慰安婦」像は合意の埒外である。
国ができないことを自治体が行うのが、「逆補完性の原理」である。国に「慰安婦」問題を解決する能力がないときに、自治体が解決できるならば、自治体外交には意味がある。しかし、上記の大阪市の姉妹都市解消で「慰安婦」問題が解消できる見込みは全くない(注5)。ただ「慰安婦」像が厭だという感情が伝わるだけである。しかし、このことは第2次安倍政権自体も弱点として表明してきた。大阪市長の行動は、外交上の弱点を増幅して、外(韓米)国側に貢献しただけである。
注5 「大阪都構想」によって大阪市消滅を目指している市長は、いずれ姉妹都市関係も消滅するので、それを前倒ししたと考えているだけかもしれない。
反転方策
「慰安婦」問題での対処方策がないのであれば、自治体は国を逆補完できない。排外ポピュリズム的な感情を表明して、一時的に群衆から喝采されたとしても、相手側の行動が変わらない以上、何の解決にもならない。サンフランシスコ市が大阪市を引き留めるくらい大阪市に魅力があれば、サンフランシスコ市の行動を変えられる。しかし、残念ながら、停滞する大阪市には魅力はない。それどころか、万博・カジノ客誘致などで外国に「おもてなし」をしなければならない大阪市は、交渉上はもっと立場が弱いのである。
相手側の行動を変えられないならば、自分側の弱点を変えるしかない。端的に言って、〈「慰安婦」像を厭わない、「最終的かつ不可逆的な解決」ではなく「永遠に語り継ぐ課題」として厭わない〉、という方策しかない。もちろん、日本側に不利になるのでは意味がなく、日本側の反転攻勢につなげる必要がある。国が対処方策を持たないならば、自治体が反転攻勢の方策を先導するしかない。問題は自治体にその智恵があるかである。少なくとも、大阪市にあるか否かは不明である。
対処方策などあるのか
〈自分たちの過去の悪事〉について、非難されるのは不快である。対処方策として考え得る選択肢は多くない。
第1は、反省・謝罪・「賠償」などである。永遠に非難され続ける覚悟が必要である。謝罪などをしたら許してもらえるなどと期待するのは、リアリズム国際政治では愚かである。覚悟もなく中途半端に謝罪などをすると、「これだけ謝罪しているのになぜ許してもらえないのか、いつまで蒸し返すのか」などと逆恨みするようになる。それゆえ「本心からの反省ではない」などと逆効果となり、日本側に不利に作用する。
第2は、〈過去の悪事〉はなかったと否認することである(歴史修正主義)。しかし、事実として「慰安婦」問題がなかったと言うことは難しい。中途半端な論争になるので、事態をかえって悪化させて日本側に不利に作用する。そもそも、戦後秩序は戦勝国=連合国主導のパラダイムであって、薩長明治政府と同様に「勝てば官軍」である以上、歴史は勝者の都合で構築される。こうした事態が悔しいのであれば、日米戦争をすべきでなかった。
そこで第3に、〈自分たち〉ではないと位置づけるしかない。もちろん、対外的には責任は継承される。しかし、戦後日本側も韓国側と一体になって、旧日本軍・大日本帝国の「慰安婦」政策を非難することは可能である。戦時日本を指導した「我儘ナル軍國主義的助言者(thoseself-willed militaristic advisers)」(ポツダム宣言第4項)と、戦後日本の民主的政府や日本国民とは同じでないからである(注6)。
注6 戦後ドイツがナチスの責任追及をしたように、戦後日本も戦犯を積極的に責任追及しておけば、「慰安婦」も<自分たち>ではなく<奴等>の問題と位置づけることが、もっと容易であっただろう。
さらに、「慰安婦」問題に焦点化するのではなく、戦時性暴力や性奴隷の人権・人道問題として非難し、将来的な撲滅への立場を示すことはできる。かつて、奴隷貿易やアパルトヘイトを行った国が、人種差別撲滅に向けて行動することが可能なのと、同じである。
この他にもあるかもしれない。いずれにせよ、具体的かつ効果的な反転方策もないのに、外交問題に乗り出すことは、自治体としては賢明ではない。むしろ、自治体外交の特質は、国レベルの外交課題を棚上げにして分離し、別の多次元関係を結べることであった。その意味で、「慰安婦」問題に国の政権と同じ次元で手を出すのは、自治体として愚策なのである(注7)。
注7 なお、吉村市長は2016年8月のサンフランシスコ訪問についての出張報告会(同年10月11日)の記者会見において、「サンフランシスコ市の意思として慰安婦像設置をするというのは大反対の立場である。(中略)じゃあ、それを実現するためにどうしていくのかというときに、面とむかって話をして関係を築くというのが、それを防ぐことの一番近道なんじゃないかなというのが私の基本的考え方である。(中略)一定姉妹都市ということであれば、顔を合わせてやるというのが結果としてそれがそっちにつながっていくのではないかというふうな思いを持っている。」と述べていた。http://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/page/0000379079.html
Profile
東京大学大学院法学政治学研究科/法学部・公共政策大学院教授
金井 利之 かない・としゆき
1967年群馬県生まれ。東京大学法学部卒業。東京都立大学助教授、東京大学助教授などを経て、2006年から同教授。94年から2年間オランダ国立ライデン大学社会科学部客員研究員。主な著書に『自治制度』(東京大学出版会、07年)、『分権改革の動態』(東京大学出版会、08年、共編著)、『実践自治体行政学』(第一法規、10年)、『原発と自治体』(岩波書店、12年)、『政策変容と制度設計』(ミネルヴァ、12年、共編著)、『地方創生の正体──なぜ地域政策は失敗するのか』(ちくま新書、15年、共著)、『原発被災地の復興シナリオ・プランニング』(公人の友社、16年、編著)、『行政学講義』(ちくま新書、18年)、『縮減社会の合意形成』(第一法規、18年、編著)、『自治体議会の取扱説明書』(第一法規、19年)、『行政学概説』(放送大学教育振興会、20年)、『ホーンブック地方自治〔新版〕』(北樹出版、20年、共著)、『コロナ対策禍の国と自治体』(ちくま新書、21年)、『原発事故被災自治体の再生と苦悩』(第一法規、21年、共編著)、『行政学講説』(放送大学教育振興会、24年)、『自治体と総合性』(公人の友社、24年、編著)。