「新・地方自治のミライ」 第57回 主権者教育のミライ

地方自治

2024.07.12

本記事は、月刊『ガバナンス』2017年12月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

はじめに

 総務省は、総選挙より前の2017年3月に『主権者教育の推進に関する有識者会議 とりまとめ』(以下、『とりまとめ』)を公表した。主権者教育は、11年に総務省に設置された「常時啓発事業のあり方等研究会」の提言においても採り上げられていた。さかのぼれば、09年の「教育再生懇談会主権者教育ワーキンググループ」において、「これからの我が国を担う若者に、主権者としての資質を養うよう取り組んでいく主権者教育の必要があるとの認識の下(注1)、議論が進められた」ので、特に新しいことではない。

注1  つまり、〈若者には主権者としての素養がない〉という認識を国は持っている。

 しかし、『とりまとめ』によれば、15年の公職選挙法改正により18歳選挙権となり、若者層に対する主権者教育の必要性が一気に高まった、とりわけ、16年6月の参議院通常選挙に向けて、18歳・19歳に対する主権者教育の必要性が急速に高まった、という。その後、17年10月の衆議院総選挙も18歳選挙権のもとで行われた。そこで、今回は、主権者教育について検討してみよう。

「国や社会」主義教育

 『とりまとめ』は、主権者教育を、「国や社会の問題を自分の問題として捉え、自ら考え、自ら判断し、行動していく主権者を育成していくこと(注2)」と捉えている。一見するともっとものようなこのような発想には、実はかなり問題がある。

注2  同様に、現実の国民は、〈自ら考え、自ら判断し、行動していく主権者ではない〉ということである。

 そこには、出発点としての個人の自由という発想が、完全に存在しない。しかし、本来は、個人の自由が原点である。もちろん、多数個人が各々自由を行使する結果として、他者の自由を侵害する可能性がある。それゆえに、多数個人間の自由を調整する法が必要になり、法を決定する政治が求められる。そこで、各個人が対等に民主政治に関わる実効的可能性(注3)が問われる段取りになるはずである。

注3  形式的な権利・可能性ではなく、実質的に政治に関われる環境条件を整備するものである。政治的リテラシーや政治教養などの個々人の能力だけに矮小化はできない。

 しかし、『とりまとめ』では、いきなり「国や社会の問題」が登場する。いわば「天下国家」という「国や社会」が、個々人より前に存在する。つまり、「国や社会」主義(注4)を暗黙の前提にしている。個人の自由なき主権者集団である。

注4  国家主義、集団主義、共同体主義、全体主義と呼んでもよい。

主権者教育という自国第一主義教育

 もちろん、選挙は行うから、『とりまとめ』で想定されるのは、独裁制・君主制などの体制ではない。異質な他者による支配体制では、人々は権力に支配されるだけだから、「国や社会の問題」は為政者という他人の問題でしかない。旧ソ連では、人民は共産党支配を揶揄する小話を盛んにしていた。権力からの自由は存在しないが、権力への動員からは自由であった。

 『とりまとめ』が考える体制は、所与の「国や社会の問題」を、あたかも「自分の問題」として捉えることである。「国や社会の問題」は自動設定されないので、実は為政者が考える「国や社会の問題」である。個々人が、自分も「天下国家」と同一化して、為政者の目線を内面化することが、主権者教育である。そこには、個人の自由は存在しない。

 選挙があろうと、民主的討議・熟議過程があろうと、レファレンダム(国民・住民投票)があろうと、個人の自由とは関係がない。もっと言えば、選挙も議論も国民・住民投票も本来は不要である。なぜならば、主権者教育が効果を上げれば、個々人は、結局、主権者として為政者目線と同一化して、全体(=「公共」(注5))のことしか考えないからである。結局は、自国民族主義(ナショナリズム)の称揚でしかない。それは、戦前日本・現代中国・北朝鮮などでも見られ、民主体制とは無関係である。また、民主体制と結びつけば、欧米で蔓延する自国(=多数民族)第一主義である。

注5  学習指導要領改訂により、高校公民科の共通必履修科目として、「現代社会」に替えて設置される科目の名称でもある。「公共」を発展的に学習する選択履修科目が「倫理」「政治・経済」である。

常時選挙啓発と主権者教育

 根本において問題を孕む主権者教育(いせいしゃめせんのないめんか)の実践を迫られるのが自治体現場である。もともと、上記の通り、選挙の「常時啓発事業」はされていた。端的には投票率向上事業である。これ自体は、特に有権者に対して、為政者目線を内面化させるものではない。常時選挙啓発は18歳選挙権とは、本来的に全く無関係である。投票率向上は、10代有権者には限られないからである。

 「初の10代有権者への対応として、高等学校等における教育が急務」(『とりまとめ』3頁)というが、18歳選挙権が主権者教育・高校教育と結合した理由は、説明されていない。確かに、高校生に有権者が大量発生するのは、初の現象である(注6)。しかし、そもそも、18歳は必ずしも高校生ではない。また、19歳は高校生でない方が多数である。18歳高校生が有権者になったことは、高校で主権者教育が必要になったことの論拠には、全くならない。

注6 論理的には、夜間高校・留年など、20歳以上の高校生はこれまでも有り得た。

 多くの日本国民は、20歳になって初めて有権者になった。しかし、特に成人式で主権者教育をするわけでもない。現状の有権者は、主権者教育を受けずに、「自ら考え、自ら判断し、行動していく主権者」となったのであろうか。仮にそうならば、18歳・19歳の若者でも同じである。また、そうでないならば、20歳以上に主権者教育を先にすべきである。しかし、実際に20歳以上に対して行われてきたのは、選挙啓発である。18歳・19歳にとっても選挙啓発で必要かつ充分である。主権者教育を看板にしつつも、常時選挙啓発と政治的教養教育に留めようというのが、現場の妥当な知恵であろう。

18歳高校生の政治動員教育

 結局、主権者教育(いせいしゃめせんのないめんか)が18歳高校生をターゲットとするのは、高校において、大量かつ教育(=特殊権力)関係を使って、18歳高校生を「主権者として育成」できるという暗黙の発想が背景にあるからだろう。為政者から見れば二つの可能性がある。第1に、為政者に異論を唱える教師が高校生に、為政者に対して異論を含む教育をされては困る。第2は、為政者の意向を忖度する教師が高校生に、為政者に対して追従する教育をすることを期待する。

 前者に関しては、むしろ謙抑的になされてきた。「学校における政治に関する教育は、教育基本法により政治的中立性を要請していることから、従来、政治的題材を扱うこと自体が避けられてきた傾向にある」(『とりまとめ』5頁)。おそらく、現実の政治的現象や選挙を題材にすれば、政治的中立性を侵さない慎重な配慮が必要である。生彩を欠いた効果の乏しい教育になる。それを避ければ、架空の題材をもとにした「おままごと」になる。

 後者に関しては、「○○法制、国会通過、よかったです」「○○総理、ガンバレ」などと園児・児童・生徒に唱和させても、国政為政者は「政治的中立性に反する」という非難はしないであろう。従って、自治体の選挙管理委員会や教育委員会・学校現場では、後者の危険性をいかに解消するかが、求められている。

おわりに

 主権者教育(いせいしゃめせんのないめんか)の狙いは、18歳高校生に限られない。むしろ、それを風穴にして、17歳以下のミライの有権者にも、学校を活用した主権者教育の途を啓くことである。さらに、「子ども段階では、他の世代に比べ、親からの影響を受ける度合いが大き」く、「子どもの意識付けと合わせて、親世代の意識向上も重要である」(『とりまとめ』10頁)とされた。18歳高校生を橋頭堡に、17歳以下の子どもや、子どもを持つ親にまで主権者教育を及ぼす。学校と家庭とが、為政者に動員される。

 こう見てくると、自治体・学校現場で主権者教育(いせいしゃめせんのないめんか)が為されたミライは暗い。つまり、政権・文部科学省・総務省という為政者に対して、思考停止した下僕として追従する、または、為政者目線を内面化した思考によって忖度する大人の姿を、青少年に身をもって教育する。

 それらを回避するためには、主権者教育をミイラとして永遠の眠りに就かせるべきである。自由・多様・対等な個々人からなる民主主義体制にはそれが望ましい。自治体・学校現場は、主権者教育をミイラへと施術する専門能力が問われる。

 

 

Profile
東京大学大学院法学政治学研究科/法学部・公共政策大学院教授
金井 利之 かない・としゆき
 1967年群馬県生まれ。東京大学法学部卒業。東京都立大学助教授、東京大学助教授などを経て、2006年から同教授。94年から2年間オランダ国立ライデン大学社会科学部客員研究員。主な著書に『自治制度』(東京大学出版会、07年)、『分権改革の動態』(東京大学出版会、08年、共編著)、『実践自治体行政学』(第一法規、10年)、『原発と自治体』(岩波書店、12年)、『政策変容と制度設計』(ミネルヴァ、12年、共編著)、『地方創生の正体──なぜ地域政策は失敗するのか』(ちくま新書、15年、共著)、『原発被災地の復興シナリオ・プランニング』(公人の友社、16年、編著)、『行政学講義』(ちくま新書、18年)、『縮減社会の合意形成』(第一法規、18年、編著)、『自治体議会の取扱説明書』(第一法規、19年)、『行政学概説』(放送大学教育振興会、20年)、『ホーンブック地方自治〔新版〕』(北樹出版、20年、共著)、『コロナ対策禍の国と自治体』(ちくま新書、21年)、『原発事故被災自治体の再生と苦悩』(第一法規、21年、共編著)、『行政学講説』(放送大学教育振興会、24年)、『自治体と総合性』(公人の友社、24年、編著)。

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