地域の助け合いが自分と家族の命を守る第一歩!~「地区防災計画」の作り方~

葛西 優香

地域の助け合いが自分と家族の命を守る第一歩!~「地区防災計画」の作り方~ 第1回 地区防災計画って何?

地方自治

2023.07.03

東日本大震災・原子力災害 伝承館 常任研究員・株式会社 いのちとぶんか社 取締役
葛西 優香

 

はじめに

 1995年1月17日早朝、私は大阪府豊中市の実家で母と姉と3人(父は海外へ単身赴任中)で布団を並べて寝ていた。14階建てのマンションの10階で生活していた我が家は、揺れが収まった後、足の踏み場もなく、割れた食器の破片が広がり、倒れた箪笥でドアが開かない部屋もあった。お恥ずかしながら、当時、家具転倒防止対策など全く実施していなかったのだ。
 部屋の中にいることに危険を感じたため、外への脱出を試みたが、玄関へとつながるドアが開かない。廊下にあった物置から荷物が溢れ、廊下側にドアを開けることができない状態であった。そして次の瞬間の母の行動は忘れられない。足元のガラスに気をつけながら、台所から包丁を取り出し、ガラス張り(地震の揺れでは割れなかった)のドアにガンガンと突き付け、穴を空け、穴の隙間から手を入れ、廊下に散在した荷物を押しのけ、ドアを開けた。「足元気をつけて行くよ!」という母の声は頼もしかった。母の手からは血が流れていた。
 マンションの1階まで無我夢中で階段を降り、私自身の記憶が鮮明になったのは、ご近所の方の声が聞こえた瞬間である。「大丈夫~?」、その声でほっとした。日常からエレベーターで会えば挨拶をしていたご近所の方々の姿を見ただけで当時小学2年生の私は安心した。次の瞬間、「これ貸してあげるから!」と靴下を手渡ししてくれ5階に住むお姉さん。私たち3人は気づいていなかったが、裸足だったのである。
 発災直後の母の咄嗟の行動(自助)、安心感を届けてくれたご近所さんの力(共助)、この原体験が日頃からの備えを地域で醸成することの重要性を伝え、研究を続けている理由である。災害が発生しても自分たちでいのちを守り抜く地域をどうやって創り続ければいいのか。本連載をご覧いただいてる皆さまとも一緒に考えていきたい。

 

1.「自助・共助・公助」を自分の言葉で語れますか?

 「自助・共助・公助」という言葉が防災において必要だ、という知識は徐々に地域住民にとっても浸透していることではないだろうか。では、この言葉を聞いて、具体的に何を表しているのか自分の言葉で語ることができるだろうか。

(1)まずは、「自助」「公助」を考える

 「自助」は、自分の命は自分で守るために災害時に備えて、備蓄品を用意し、就寝中に震災が発生した際に家具が転倒し、下敷きにならないように自宅における家具配置を検討し、倒れないように固定器具を用いて対策をすること、と語るであろう。「公助」は公の助け。自宅家屋の損壊など被害が出た場合、証明書を発行することによって資金的な支援を得られるなど、居住している自治体から受ける助けを示す。
 さて、ここで、「公助」という言葉を考えた時、水や支援物資を配ってくれる、非常食などの備蓄品を自治体が配給してくれる助けのこと、と思った人もいるのではないか。確かに支援物資の支給を自治体職員が担う場面もあるだろう。しかし、災害時は行政の職員も同時に被災する。自身が住んでいる地域にも支援を施してくれると思っていないだろうか。「自身が住んでいる地域にも」ではなく、「自身が住んでいる地域には」支援が届くと思い込んでいないだろうか。
 2022年、筆者らは東京都民への調査を実施し、「地域の防災対策は誰が主体で行われていると思いますか」という問いに対し、複数回答を求め、4,478名の回答者のうち、「自治体職員」と答えた都民が47.3%、「住民」と回答した都民は、17.9%に留まった。この回答の背景には、災害が発生した際、報道で流れる避難所の様子には、住民が学校などの体育館で生活し、色付きのベストを着た支援者が声を出しながら物資や炊き出しを配給し、家屋の下敷きになった人を消防隊員が救出活動を行っている様子が映し出され、その様子が「災害時の町の様子」と頭の中に記憶されているからではないだろうか。しかし、阪神・淡路大震災や東北地方太平洋沖地震では、市町村が災害によって壊滅的な被害を受け、被災者を支援することができなくなった。この状況は、「公助の限界」と言われ、災害時に自治体職員や消防隊員など公の助けに頼ることができないことは明らかであろう。





 (2)「共助」の意義

 その時に必要になるのが地域住民同士で助け合う「共助」である。総務省消防庁によると、「共助」とは、地域やコミュニティといった周囲の人たちが協力して助け合うこと、と示されている。私は、「共助」を緊急事態が発生した地域に存在する人同士の助け合いの行動と定義している。「コミュニティ」「周囲の人たち」「協力」など言葉は理解しているが、その言葉を聞いた際に自分がどこに関わるのか、どんな行動を起こせばよいのかということが想像できるだろうか。「共助」は、その場に存在している自分も横に立っている人も、その隣の人もみなが困っている人、助けを必要としている人に対して、助ける行動をし、自身が助けてほしい時は助けを求めるというお互いに手を差し伸べる行動のことである。誰かが行動するのではなく、自分自身が行動するという認識を「共助」という言葉を聞いて想像できているであろうか。
 上記の定義の中で、「緊急事態が発生した地域に」と示した。この状況は、災害であれ、日常における転倒による怪我であれ、助けを必要とする人、助ける人が存在している状況を指す。その際に助け合いのコミュニケーションを自然と取ることができることが「共助」である。

 

2.日常生活に「共助」を落とし込んで考えてみる

 現代において、果たして自然と手を差し伸べる行動が日常で生まれているのであろうか。「共助」という言葉を自身が語る際に難しいのは、日常生活や災害に対する「共助」の行動や備えが具体的に浮かばないことではないだろうか。備蓄品を買う、家具を固定するという個人で行動すれば完結することではなく、人との接点が必須となるからである。では、今、ご自身がお住まいの地域における人との接点はあるだろうか。町会や自治会活動、子ども会への所属、PTA活動など参加している人は思い浮かぶ場面もあるであろう。一方で、職場と家の往復で近所の人の顔も浮かばない人もいるのではないか。前者の場面が浮かんだ人も安心してはならない。その周辺には、顔を見たこともない挨拶もしたことがない、後者のような人も居住している可能性がある。その挨拶もしたことがない人も一緒になって「共助」が生まれる地域を創造していくことは、果たして誰が推進するのだろうか。それは、自分自身である。
 誰かがやってくれる、いつの間にか共助が生まれているという考えは到底受け入れられない。災害時に自治体職員が全面的に助けてくれるとは思っていないけど、自然と頼ってしまっている状況と同じく、共助は地域の誰かが創ってくれるのではなく、自身が動かないと生まれないのである。もう一つの問題は、自分で創ろうと思ったところで、災害時の助け合いを生み出すために何から始めればよいのかがわからないことである。具体的な行動がわかっていたら、行動する人も増えるのではないか。

 

3.地区防災計画作成が、日常の助け合いを生み、災害時の「共助」に!

 そこで、「共助」における行動を具体的に想像しながら、作成する計画が「地区防災計画」なのである。災害時に支援が限界を迎える可能性のある自治体職員でもどこかの業者の人が作る計画でもない、住民自らが共に考え、共に試行錯誤しながら作り上げる計画である。誰が誰と一緒に作成をし始めてもよい。PTAの役員が主体となって、地域と連携して作り始める、高校生が最初に声をかけ地域住民を集めて、検討してもいい、ママ友同士で自分たちの不安を集めて、その解決策を地域の人に問い合わせてもいい。誰もが最初の一歩を踏み出すことができる計画が「地区防災計画」なのである。作成ルールの中で、たった一つ守らなければならないのは、計画作成に関わる人が自ら動くという当事者としての関わりである。作成過程に関わることで、地域の一員としての自覚が芽生え、具体的に見えなかった「共助」における行動が見え、日常からの生活にも助け合いの感覚が根差していく、この流れが災害時の共助を生み出し、一人でも多くの命を救うことにつながるのである。
 次回以降、地区防災計画作成は、具体的に誰がどのように関わりながら進められているのか事例を交えて述べていく。

 

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