自治体の防災マネジメント
自治体の防災マネジメント[66]リスクとマネジメント
地方自治
2022.09.07
※写真はイメージであり、実際の土地とは関係ありません。
本記事は、月刊『ガバナンス』2021年9月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
東京オリンピック2020は、新型コロナウイルスの影響下で1年間の延期など、多くの苦難、スキャンダルに振り回されながらも実施された。その中で、黙々と準備したアスリートやスタッフの努力に心から拍手を送りたい。オリンピックに出場するトップアスリートともなれば、失敗するリスクをいかに減らすかというマネジメントが大きな要素となるに違いない。今回のオリンピックで特に印象に残った事柄を取り上げ、リスクとマネジメントを考えたい。
卓球のマナー
私事ながら、ずっと卓球に関わってきた。高校時代はインターハイに出場したこともあり、就職して板橋区役所で卓球を楽しんだ。選手だけでなく大会や組織運営にも携わり、区の卓球連盟の理事長を12年間務めた。
その間、日本のトップ選手は、世界の大会でいつも中国選手に敗れてきた。東京オリンピック混合ダブルスで水谷隼選手、伊藤美誠選手が中国との決勝に勝って金メダルを得たときは、本当に感激した。まさか、生きているうちに中国に勝てる日が来るとは、という思いだ。しかし、選手たちは打倒中国を目指して、死にもの狂いの努力を重ねてきていたのだ。その努力もよく知らず、きっと勝つのは難しいと思い込んでいた自分が恥ずかしい。
さて、卓球の試合では相手がサーブミスをしたときは喜びの声を上げたり、ガッツポーズをとることはない。さらに、こちらがネットインやエッジでラッキーポイントを取ったときは、すまなかったというジェスチャーをする。もちろん、本音ではポイントを取れればうれしいに決まっているが、相手への敬意を示すマナーである。
子どもたちの大会で挨拶をするときには、「試合相手は倒すべき憎い敵ではない。自分の技術がどこまで通用するか、厳しい場面でいかに自分の心をコントロールできるか、を真剣な場で教えてくれる大切な相手だ。だから、試合の前にはお願いしますという礼をし、終わってからはありがとうございました、と握手する。卓球の試合を通じて、お互いに人として成長してもらいたい」と言ってきた。
これは、災害観にも通じていて、地震や台風、洪水などは憎むべき敵ではなく、私たちがそのリスクを把握して準備できているかどうか、を問うていると考えている。すなわち、本当の敵は自然の外力ではなく、自然を甘く見たいという私たちや社会の弱さだ。海も山も川も、太陽も雨も、自然は常日頃、私たちに大きな恵みを与えてくれる。それが、時々、度を超えて災いをもたらすことがあるのは、わかりきっているのだ。
パークとスポーツの楽しさ
オリンピックでとても感激したのは、スケートボードのパークである。お椀型のボウルや高い斜面(ウォール)を配した競技場で、選手が難易度の高いエアトリックやスライド技を仕掛ける。そして、技が成功したときは、一緒に戦っている選手同士が拍手し、時にはハグをして敬意を示す。失敗したときにはそのチャレンジを称えて慰めたり、やはりハグをしたりする。まさにプレイパークで遊んでいる子どもたちのような純真さだ。テレビで見ていると、選手たちは悲壮感とは無縁で、勝っても負けてもスケートボードを心から楽しんでいる様子が伝わってくる。
金メダルの四十住さくら選手、銀メダルの開心那選手はコーチがいなくて、大会でいろいろな人から教わったり、YouTubeを見て真似をしながら技を習得するという。スポーツの新しい時代を予感させる。私は、勝つためには優れたコーチの指導の下、辛い、苦しいトレーニングを積み重ねて技術を習得する他はない、と考えていたのだが、練習のプロセスさえも楽しんだり、試合の刹那刹那を心から楽しみながら上達するのがいいのかもしれない。
「今、ここ」を練習でも試合でも真剣に楽しむ方法は、スポーツだけでなく、勉強や研究、社会活動、危機管理にも通じると感じた。
航空機の安全を確保する
航空機はいったん離陸したら、着陸するか墜落するかのどちらかしかない。運航乗務員は非常に緊張感が強い業務だと感じていた。そのリスクをいかにマネジメントするかに関して、日本航空の機内誌「SKY WARD」2021年7月号に、「安全運航の合言葉は"TEM"」と題したエッセイが印象に残った。
このエッセイの趣旨をおおまかに記すと、安全とは「航空活動に関連するリスクが、受け入れ可能なレベルまで低減され制御されている状態」とされている。これを「Threat and Error Management」、通称「TEM」という。「Threat」とは、気象や機材状況、滑走路や誘導路など空港のレイアウト、地形、定時性を確保するためのタイムストレスといった「リスクを増大させる可能性のあるもの」を指し、その範囲は多岐にわたる。「Error」とは間違いなどの「適切でない行動」はもちろん、「何もしないこと(無行動)」も含まれる。これは、「人間の能力には限界があり、エラーをなくすことはできない」ことを前提にして、少しでもエラーを起こす可能性のあるスレットを抽出して、問題が発生しても早期発見・修正できるよう対策をマネジメントすることである。
TEMに基づいて行動することで、運航乗務員同士で情報共有の機会が増え、スレットに対する感度が醸成されてきたと言う。また、運航乗務員はさまざまな場面で「Briefing」という話し合いを行い「TEM based Briefing」としてTEMをさらに進化させ、エラーに対する防御機能を高めているという。すなわち、一人の人間の行動、指示に頼らずに、複数の人間が話し合いをしながらリスクを低減させるものだ。ここには、やみくもな精神主義や根性論が介在せず、極めて合理的にリスクをマネジメントしようとするシステムがある。
災害対策とマネジメント
災害対策基本法においては、市町村は防災対策の第一次的責務を負う。災害発生時の応急対策では、市町村災害対策本部を設置し、本部長は市町村長、本部員は市町村幹部職員である。その所掌事務は「当該市町村の地域に係る災害に関する情報を収集すること」「当該市町村の地域に係る災害予防及び災害応急対策を的確かつ迅速に実施するための方針を作成し、並びに当該方針に沿って災害予防及び災害応急対策を実施すること」である。そして、市町村長に避難の指示、警戒区域の設定、応急公用負担等の重要な権限を付与している。
しかし、その制度が合理的にリスクをマネジメントするシステムになっているだろうか。たとえば、重要な権限をもつ市町村長ほか幹部職員に、災害対応の十分な経験、ノウハウがあるだろうか。多くの場合、平常時の業務を行う組織の長に対して、非常時の対応をエラーなく進めることを期待するのは酷ではないだ
ろうか。
前述のエッセイによれば、安全を守るためには「TEM」が必要とされる。プロフェッショナルである運航乗務員同士が、多岐にわたるThreat(リスクを増大させる可能性のあるもの)を理解し、Error(適切でない行動、無行動)があることを前提にして、エラーを起こす可能性のあるスレットを抽出して、早期発見・修正できるよう対策をマネジメントしている。さらには、さまざまな場面で「Briefing」という話し合いを行い、エラーに対する防御機能を高めている。
災害対応は、住民の命、尊厳に関わる重要事項である。災害時のマナーとは何かを考え、本番に備えての「今、ここ」の訓練を重ね、合理的にリスクをマネジメントするシステムを作り上げることが、大災害時代の自治体のミッションではないだろうか。
Profile
跡見学園女子大学教授
鍵屋 一(かぎや・はじめ)
1956年秋田県男鹿市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、東京・板橋区役所入区。法政大学大学院政治学専攻修士課程修了、京都大学博士(情報学)。防災課長、板橋福祉事務所長、福祉部長、危機管理担当部長、議会事務局長などを歴任し、2015年4月から現職。災害時要援護者の避難支援に関する検討会委員、(一社)福祉防災コミュニティ協会代表理事、(一社)防災教育普及協会理事なども務める。著書に『図解よくわかる自治体の地域防災・危機管理のしくみ』(学陽書房、19年6月改訂)など。