自治体の防災マネジメント
自治体の防災マネジメント[51]国家緊急権と憲法──新型コロナウイルス対策などで政府権限の拡大は必要か
地方自治
2021.02.10
自治体の防災マネジメント―地域の魅力増進と防災力向上の両立をめざして
[51]国家緊急権と憲法──新型コロナウイルス対策などで政府権限の拡大は必要か
鍵屋 一(かぎや・はじめ)
(月刊『ガバナンス』2020年6月号)
緊急事態における政府権限
新型コロナウイルス感染症の流行に伴い、4月7日に政府が緊急事態宣言を発出し、5月4日に再度延長して5月31日までとした。
新型コロナウイルス対策をめぐっては、欧米諸国は強力なロックダウン(都市封鎖)をするとともに、休業や失業者に十分な補償を行うことで早期封じ込めを図っている。一方、わが国の新型インフルエンザ等対策特別措置法では、政府が緊急事態宣言を発出するが、休業協力金などの具体的な対策は知事に委ねられる分権型の法律となっている。これは、災害対策基本法、災害救助法と同様である。このため、都道府県の実情に応じた対策がそれぞれに工夫し始められている。一方で、政府は一定の臨時交付金でその財源を支えている。
これを比較して、欧米と比べて、緊急時の政府の権限が弱いことが課題との声が聞かれる。
この課題を、憲法と関連付ければ、国家緊急権(憲法秩序を一時的に停止をして、政府が厳しい事態に対処する超憲法的対応をすること)を認め、憲法で明示するかどうかの議論とつながる。
EU各国憲法事情の視察
私は以前、法政大学大学院の教員や学生仲間と一緒に、トヨタ財団の支援を受けてEU統合後のヨーロッパ各国の憲法や政治体制を研究していた。2003年に、現地の憲法事情を視察し、その成果を含めて2007年に五十嵐敬喜他『国民がつくる憲法』(自由国民社)を共に著した。
その目的の一つは、当時、大きな議論となっていた武力攻撃事態法、国民保護法が、ヨーロッパではどのように運用されているか、日本との違いはどこにあるかを実地にヒアリングすることであった。
よく知られているように、第2次世界大戦前、ナチスドイツは、当時、理想的な民主主義憲法と称賛されたワイマール憲法のもとで、合法的に権力を掌握し、国家緊急権のもと憲法を停止して戦争を推し進めた。しかも、多くの国民が当初はナチスドイツを熱狂的に支援したのである。
なぜ、議会制民主主義のもとで成立した政府が、独裁政治をするのか。
その背景には「今は平常時ではなく緊急時であり、権力を集中して乗り越えなければ国家が存続できない」という国家緊急権の法理があった。しかし、これは、政府は国家、国民を守るために最善の行為を行うという、いわば性善説を暗黙の前提としている。だが、冷徹に「政府は悪をなし得る」と仮定すれば、国家緊急権はかえって国を危険に陥れる。
EU諸国が再び戦争の惨禍を引き起こさないようにするために、どのように国家緊急権と向き合ってきたのか。
その結果を一言でいえば、ヨーロッパ各国の憲法は日本国憲法と比べて、国家緊急権を憲法に規定すると同時に、その暴発を防ぐために、よく効くブレーキが組み込まれていることだった。
ブレーキがしっかりしているからこそ、政府に強権を与えるアクセルを踏みこめる。
憲法上の五つのブレーキ
大きなブレーキは5点ほどある。
1点目は、地方自治である。ヨーロッパはほとんどの自治体が議院内閣制をとっていて、議会の多数党から首長が選出される。人口5万人ほどのスウェーデンのカルマル市(中世のカルマル同盟で有名)を訪問した時、対応してくれたのは副市長だったが、なんと野党の代表だった。今回は、議会の選挙に負けたので副市長になったが、勝てば彼が市長になるそうだ。与野党が伯仲していて、近年は交互に市長を務めているという。議員は自治体の幹部職員として実務にも詳しくなり、福祉制度などで国と財源問題をめぐってやり合う関係にある。首長と議会が一体化するために、地方の意思は相当に強力だ。
日本の地方自治は大統領制をとっていて、首長と議員がそれぞれに選挙される。首長は地方分権改革以前は、長く機関委任事務や補助金などによって国の政策実施の一翼を担っており、必要な事業を国に「陳情」するという上下関係にあった。議会は機関委任事務については、原則として議論さえできなかった。このため、国に対する抑止力としての力は、ヨーロッパに比べて弱かったといえる。
2点目は二院制である。北欧など人口の少ない国を除けば多くが二院制を採用している。一院制に比べ時間はかかるけれども、重要政策を2回審議する、あるいは両院で多数党が違うなどにより、衝動的な行動が抑制されやすい。
一般的には国民の直接投票で選出される下院と、それぞれの歴史、文化を反映して特色ある上院とで構成される。フランスの上院は元老院(なんと古風な!)といい、任期は6年。議席は3年ごとに半数が改選されるので日本の参議院と似ている。ただし、下院とは別院であること、間接選挙を採用することなどの違いがある。
連邦制をとるドイツにおいては、上院である連邦参議院は、16州ある各州政府の意思を連邦政府の政策に反映させる議会である。議員は各州政府から派遣される。
三つ目は、国民投票・住民投票による直接民主主義制度の積極的な採用である。イギリスがEUから離脱するかどうかを国民投票で決めたことは記憶に新しい。スイスで住民投票の実施状況を調べたとき、地方議員選挙の際に、20を超える住民投票が投票用紙に記載されていた。
国民投票・住民投票があることで、民意を掘り起こすNPO、NGOなどの活動が活発となり、国民の政治への関心が高まるため、政府も無視できない。これが権力の多元化につながる面がある。
4点目は、理性的な判断を担う憲法裁判所である。ドイツは連邦憲法裁判所のほかに、各州に憲法裁判所があり、具体的な事件がなくても法律などの憲法判断をすることができる抽象的審査制度を採用している。最近では、5月5日、ドイツ連邦憲法裁判所は、新型コロナウイルス対策で欧州中央銀行(ECB)が各国の国債を買い入れる量的緩和政策を一部違憲との判断を示している。
こうなるとたとえば政府が人気取りのバラマキ政策をしようと検討した場合や、難民の基本的人権を制限しようとした時、憲法裁判所が認めないだろうという自制が働く。ドイツの健全財政や難民制度などは、このような憲法裁判所の理性的な判断で守られている。
日本の最高裁判所は、具体的な裁判があったときに始めて憲法判断を行う付随審査制を採用しているが、この場合は、訴訟を起こせる資格のある人が訴訟を起こさない限り、違憲な法律が存在し続けるリスクが残る。
5点目は、権威ある国王、大統領である。議会制民主主義を謳う多くの国に、国王や大統領がいて、議会や政府が機能不全に陥った時、国家の危機の場面で登場する。たとえば、イタリア大統領は混迷するイタリア政局の収拾に大きな役割を果たしている。
日本国憲法には、形式上は地方自治制度、二院制、天皇制のブレーキがある。
しかし、地方自治制度は中央集権体制に取り込まれ、二院制は両院で多数党が同じ場合は一院制とあまり変わらない。天皇は憲法で政治的権限を全く持っていない。
そうなると、政府に権限を集中することのリスクは高くなる。
憲法改正の議論では、このように権力を抑制する制度を整備することにより、迅速、効果的な政策を実施できる中央、地方政府を構想することが重要である。
Profile
跡見学園女子大学教授
鍵屋 一(かぎや・はじめ)
1956年秋田県男鹿市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、東京・板橋区役所入区。法政大学大学院政治学専攻修士課程修了、京都大学博士(情報学)。防災課長、板橋福祉事務所長、福祉部長、危機管理担当部長、議会事務局長などを歴任し、2015年4月から現職。避難所役割検討委員会(座長)、(一社)福祉防災コミュニティ協会代表理事、(一社)防災教育普及協会理事 なども務める。 著書に『図解よくわかる自治体の地域防災・危機管理のしくみ』 (学陽書房、19年6月改訂)など。