地域の助け合いが自分と家族の命を守る第一歩!~「地区防災計画」の作り方~
地域の助け合いが自分と家族の命を守る第一歩!~「地区防災計画」の作り方~ 第2回 多世代間で地区防災計画を策定することによって生まれるメリット
地方自治
2023.07.10
目次
東日本大震災・原子力災害 伝承館 常任研究員・株式会社 いのちとぶんか社 取締役
葛西 優香
1.いつどこで「緊急事態」が起こるかはわからない・・・その時に
災害への対策としての「自助・共助・公助」を自分の言葉で語ることができるかどうかを第1回の投稿で問いかけた。そして、私は、「共助」を緊急事態が発生した地域に存在する人同士の助け合いの行動と定義した。しかし、なかなか具体的な「共助」の経験は日常生活で訪れない。一方で、「緊急事態」はいつ何時身近なところで発生するかわからないため備えておく必要がある。
いつも通り、布団を敷いて寝ていた1995年1月17日の朝、突如として阪神・淡路大震災は発生した。大学に向かうため、いつも通りホームで電車を待っていた時、駅構内にアナウンスが流れた。待っていた電車は走行中に線路近くのマンションに激突し、同級生や先輩の人生を変えた。2005年2月25日に発生したJR福知山線脱線事故である。31階のビルのオフィスでデスクに向かって仕事をしている時に大きな揺れを感じ、周りの社員は悲鳴を挙げた。2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震の発生だ。この3つの経験は、全て日常の生活をしている中で突如として発生し、その場で私は、対応を迫られた。
大きな事故、災害でなくても緊急事態は発生する。例えば、駅のホームを駆け上がり、電車に乗ろうとし、転倒した。足を捻挫してしまったのか身動きが取れない。その時、誰かに抱えてもらい、立ち上がるしかない。助けが必要だ。二人の子どもを育てていて、夫は昼間会社勤めで家にいない。家にいた一人の子どもが突然熱を出した。上の子は習い事でピアノ教室に通っていて、お迎えの時間だ。発熱した子の体温はどんどん上がり、子どもは泣き止まない。同じ教室に通うお友だちのお母さんにうちの子も一緒に連れて帰ってきてほしいとお願いしたい…。助けが必要だ。日常生活における緊急事態の例を示したが、提示したような状況で助けが必要になった時、「助けて」と声を挙げることができるだろうか。
一方で、助けを求めている人の姿が見えた時、助けることができるだろうか。近所に住む高齢の女性は1週間に1、2度大きな買い物袋を提げて歩いている。頻繁に買い物に出るのではなく、まとめ買いをしているようだ。いつも通りの大きな買い物袋の持ち手が切れてしまった。女性は、大きな買い物袋を抱きかかえようとしている。その様子を見た時、「持ちましょうか」の一言をさっと言えるだろうか。「自分が声をかけたら不信に思われるかもしれない」「今は、時間に余裕がない」など頭の中には、助けられない条件が並んでしまっていないだろうか。
日常で生まれるはずの「共助」は、突如として現れるが助けがほしい、助けようとした時、すぐに行動に移すことができるだろうか。誰もがいつ何時「助けがほしい」「助ける」場面に出くわすかわからないのである。その時にさっと手を差し伸べられる状況に身を置くことが「共助」に向けた対策である。
2.助けてほしい内容は、関係者が話し合ってはじめてわかる
(1)助けてほしい内容を理解できている?
ここまで述べたとおり、「助け」「助けられる」という共助の関係性は、どの世代にも突如として現れる。緊急事態が発生しても、高齢の女性、子育て中のママ、社会人、大学生、子ども、誰もが助けられ、助けながら生きていかななければならない。災害が発生した時も同じである。助け合わなければならないと口で言うことは、簡単だが、どんなことで助けが必要となるのか、自分の世代以外の日々の生活状況で生まれる「助けてほしい内容」を理解できているだろうか。高齢の女性が買い物以外に一日の生活の中でどんなことをしているのか、子育て中のママは家事と子育てをどのように両立しているのか、また仕事もしているのか、大学生はどんな一日を過ごしているのだろうか。お互いに知らないことがたくさんある。
知らない状況では、どんな助けをすればいいのか、誰に助けを求めてもいいのかもわからない。互いを理解するためにも作用するのが地区防災計画なのである。作成の過程でそれぞれの世代や属性ごとにどんな不安があるか、何が具体的になっていて、何が足りないのかなど、災害時はもちろんのこと、日々の生活で感じていることも議題に上る。
(2)実際の取組で考えてみる
例えば、足立区に所在する団地において作成が進められている地区防災計画作成会議には、団地近くに新設された大学に通う学生、団地に居住している住民の見守りを行う地域包括支援センターの職員、近隣から通園者が集まる保育園の職員など多様な人が集う。「大学生と話せると思っていなかった」と語る70代の男性は、大学にはいつも大学生がいると思い込み、災害時にも頼れるのではないかと思っていたが、実は大学生は長期休みがある。大学にほとんど学生がいない時期も把握できていなかったのである。住民は、地域包括支援センターの職員は、災害時もサポートしてくれるだろうと思い込んでいたが、日常から支援を必要とする住民のリストを持っており、災害時にもそのリストに並んでいる人の支援に優先的にまわる。団地住民全員のサポートは到底できない。むしろ自身の安全が保たれている住民に、地域包括支援センターの職員側が助けてもらいたい状況だということも把握できた。このようにそれぞれの状況は、話を聞かないと理解できない。想像では理解できないのである。
3.自分たちで作るからこそニーズを押さえた地区防災計画に
一方で、誰かが作ってくれる防災計画では、この過程を経ずとも計画は完成する。その計画書を見てもそれぞれが置かれている状況や属性ごとに感じている不安は見えてこないのである。しかし、自分たちで災害時を想定して、具体的な行動計画を立てる地区防災計画には、その地域に住む全ての世代の状況を把握し、対策を書き込んでいく。高齢者だけ、学生だけ、事業者だけという限られた属性だけで計画を立てていても、地域全体の状況は把握できないからである。そこに存在する全ての世代のニーズを把握し、助けてほしいこと、助けられることを正直に伝え、共有すること、この作業が住民の意思がこもった地区防災計画となり、実際に使える、災害時に活きる計画になるのである。
よって、多世代が集い、話を続けるその行程を経ることが地区防災計画作成の必要な過程なのだ。次回は、「地区防災の実際の作り方と得られる効果」と題し、多世代が集まりながら実際にどのような作成過程を経るのか具体例を示しながら述べる。
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