自治体の防災マネジメント
自治体の防災マネジメント[57]津波防災の日──斜里町知床ウトロ地区防災計画
地方自治
2021.10.13
※写真はイメージであり、実際の土地とは関係ありません。
本記事は、月刊『ガバナンス』2020年12月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
2011年3月11日の東日本大震災。東北地方の太平洋沿岸を襲った津波によって多くの人命が失われた。これを受けて、同年6月、津波から国民の生命を守ることを目的に「津波対策の推進に関する法律」が制定された。その中で毎年11月5日が「津波防災の日」と決められている。さらに2015年12月、国連総会において、毎年11月5日は 「世界津波の日」 と制定された。
この日が「世界津波の日」とされたのは、安政元(1854)年11月5日、安政南海地震による津波が今の和歌山県広川町を襲った際、濱口梧陵が稲むらに火をつけ、津波から逃げ遅れた村人を高台へ導いて、多くの命を救った逸話 「稲むらの火」の故事にちなんだものだ。
内閣府「津波防災の日」イベント
今年の内閣府「津波防災の日スペシャルイベント」はオンライン開催となった。ネット上に津波防災特設サイトが設けられ、プレイベントのコーナーでは5人の研究者による15分程度のレクチャーと津波防災に取り組んだ地区の動画がある。現場で活動している実践的なもので、とても面白い(注1)。
注1 https://tsunamibousai.jp/pre_event/
当日の参加者も、会場の制約がない分、とても多くなったと聞いている。ただ、話す立場としては、聞いてくれる人のいない場所でビデオ撮影をしたり、パソコン画面を通してディスカッションするなど、いつもと随分、勝手が違う。コロナ禍がなければ、きっと進まなかったことが現実に進み、こういう時代になったんだと実感する。
斜里町知床ウトロ地区の地区防災計画
津波防災の地区防災計画に取り組んでいる知床ウトロ地区(北海道斜里町)を紹介したい。
2018年5月のゴールデンウイークに知人とともにウトロ自治会長の桑島繁行氏とお会いしたとき、「ウトロ地区は人口1200人ですが、年間120万人の観光客が来てくれます。ただ、災害が心配です。斜里町役場から40㎞離れていて、道路が海岸沿いに1本しかないので、災害時には孤立します。またもし、ウトロ地区で津波が来ると山の上に逃げる道が3本しかないので、渋滞になってしまう。特に冬季は道路に雪が積もったり、凍ったりして厳しい。なんとか下から上への一方通行にして、2車線を確保できないでしょうか」と熱く話された。
調べてみると、一方通行化は東日本大震災でも課題とされたが、結局は課題があるとしてそのままとなっていた。しかし、地区防災計画を定めて、津波警報が出た場合に限って警察や消防団の協力を得て警戒線を張り、ウトロ地区のローカル・ルールとしても良いのではないかと提案した。
そして2018年度の内閣府の地区防災計画モデル事業に採択され、本格的な検討に入った。年度内に4回のワークショップを行い、その後も継続することで地区防災計画を作り上げた。
ガードレールの雪かきボランティアと避難訓練
ウトロ地区は、冬季の流氷が有名である。海一面が流氷に覆われる姿は圧巻だ。
ただ、ガードレールに雪が着くと車から流氷が見えなくなる。そこで地域の人たちが、数年前からガードレールの雪かきを始めた。次第に、地域の建設業の方やボランティアが全国から200人以上も集まる大きなイベントとなっていった。その後、ウトロ地区の漁村センターに集まって、推定年齢70歳代の豚汁シスターズによる豚汁やご飯がふるまわれる。
地区防災計画の素案作りのため、このイベントの後に避難訓練を実施することになった。
ウトロ地区では約20分で津波が来る可能性がある。実際に時間を測定したところ、逃げ道がわからないなどで、ほとんどの人は逃げ遅れてしまった。また、一方通行はうまくいったが、避難所の駐車場の前の道路が車で渋滞するなど想定外のことも起こった。「訓練で良かった」という声が上がった。
翌年は、防災無線での音声が聞き取りにくいことからサイレンだけにして、長時間鳴らしてみた。津波避難路がわかるように案内板も設置した。その結果、見事にほとんどの人が20分以内に避難できた。
トンネルの上の津波一時避難場所と津波避難灯台
ウトロ地区には津波一時避難場所が何か所かあるが、どの場所でも避難が間に合わない地域がある。その地域の国道のトンネル上部が平坦であることから、そこを地域の一時避難場所にできないかと管理者の国土交通省北海道開発局網走開発建設部に要請したところ、了承をいただいた。良く認めてくれたものだ。そして、地域の建設会社が無償で避難路の整備、杭打ち、ロープ線を張ってくれた。
さて、夜間の大地震では、停電で真っ暗になるので津波一時避難場所がどこかわからなくなるおそれがある。そこで、夜間に柔らかく光る「津波避難灯台」を設置した。これは、昼には太陽光で蓄電し、夜に発光するもの。雪明かりでも蓄電できる北国仕様の優れものだ。また、ある面に雪が着いて蓄電できなくなると、AIが感知して他の面から電気を送ってその雪を溶かすので、メンテナンスをする必要がない。実際に、知床の冬を乗り越え、2020年夏にも元気に光っている。
その他にも、ウトロ地区は今年のコロナ禍でも地区防災計画の勉強会を継続し、パーテーションを自分たちで組み立てる避難訓練も実施した。今後、避難所の課題を、地域の大型ホテルの協力で解決できないだろうかと協議、検討が動き出している。
ウトロ地区防災計画を見ると、災害被害を減らす防災を超えて、地区コミュニティや地域外サポーターのつながりで魅力ある地域づくりを進めていると実感している。災害に「も」強いまち、ウトロと末永く関わっていきたい。
Profile
跡見学園女子大学教授
鍵屋 一(かぎや・はじめ)
1956年秋田県男鹿市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、東京・板橋区役所入区。法政大学大学院政治学専攻修士課程修了、京都大学博士(情報学)。防災課長、板橋福祉事務所長、福祉部長、危機管理担当部長、議会事務局長などを歴任し、2015年4月から現職。避難所役割検討委員会(座長)、(一社)福祉防災コミュニティ協会代表理事、(一社)防災教育普及協会理事 なども務める。 著書に『図解よくわかる自治体の地域防災・危機管理のしくみ』 (学陽書房、19年6月改訂)など。