行政大事典
【最新行政大事典】用語集―ボウモルのコスト病とは
地方自治
2020.08.29
【最新行政大事典】用語集―ボウモルのコスト病
はじめに
『WEB LINK 最新行政大事典 全4巻セット』(ぎょうせい)は膨大な行政用語の中から、とくにマスコミ等で頻繁に使用されるものや、新たに登場したテーマ、法令などから選りすぐった約3,000の重要語句を収録。現場に精通した執筆陣がこれらの行政用語を簡潔にわかりやすく解説します。ここでは、「第1巻 第7章 財政・予算」から、「ボウモルのコスト病」を抜粋して、ご紹介したいと思います。
ボウモルのコスト病
このコスト病とは、アメリカの経済学者ウィリアム・J・ボウモルが、ベートーベンの弦楽四重奏を演奏するのに必要な音楽家の数は、今も昔も変わっていないと指摘したことに始まる。
演奏家だけで4人必要であり、さらに舞台上で演奏すれば音響、照明、舞台技術等最低限のスタッフも必要である。そしてセットされた音響、照明装置には他の舞台で使えるという汎用性はない。1960年代の数字だが、舞台芸術団体の経費に占める芸術家の給料の割合が、メジャーなオーケストラで64%。オペラが41%、ブロードウェイ演劇で30%と非常に高い割合を示している。
ボウモルによれば、自動車産業は労働生産性を高めてコストダウンを行い、販売価格を引き下げうる。しかし舞台芸術の場合は労働生産性を高めることが困難で、コストが高騰する傾向にあり、チケット価格が上昇する。舞台芸術供給価格が物価水準に対し早いテンポで上昇し、舞台芸術産業は経営の危機に陥ることになる。
現実にはチケット価格を上げることは難しく、演奏家が抑えられた賃金で生活しているのである。
なお、テレビでのオーケストラの演奏は生演奏の2倍以下の延べ労働時間しかかからないが、演奏会場にやって来る2,500人の聴衆の代わりに2,000万人の視聴者に演奏を届けることができる。生産性の上昇は40万%にもなると言われている。しかし、この技術の発展が生の舞台芸術に直接役立つことはなかった。
【ボウモルの公共財論】
ボウモルは1966年に著したウィリアム・G・ボウエンとの共著“Performing Arts The Economic Dilemma”(『舞台芸術:芸術と経済のジレンマ』監訳:池上惇、渡辺守章発行:芸団協出版部1994年)によって、文化経済学の創始者と言われる。
その著書において、ボウモルは、舞台芸術の持つ共同体全体への便益に着目し、芸術を公共財と位置付け、次のように公的支援の理論的根拠とした。
〇舞台芸術が国家に付与する威信
〇文化活動の広がりが周辺のビジネスに与えるメリット
〇芸術鑑賞能力は訓練や出会いに適した時期をはずしたら獲得できるものではない
〇教育的貢献(誰もプロの質をもった演奏を聴くことができなければ音楽教育にどんな意味があるか)
また、経費と所得との間に生じる不足を、これまで運営赤字と呼ばれてきたが、非営利団体に適用する場合は「所得不足」という言葉が近いとも言っている。
この本も出版されて50年ほど経過している。現在では、その公共財論では限界があり、
・民間主導の文化芸術や地域固有の文化創造の妨げになっている。
・地域の文化施設が肥大化した。等との指摘がなされるようになった。
それと前後して導入されたのが、指定管理者制度である。
【コスト病と指定管理者制度】
指定管理者制度の大義名分は公の施設全般に民間事業者が有するノウハウを活用して、住民サービスの質の向上を図るためとしているが、結果的には財政支出削減に寄与する方向へと流れた。
指定管理者制度を担当する地方自治体職員において、このコスト病はどう認識されているのか。
事業費の削減が大きな客観的指標となるこの制度においては、アーティストの数、舞台技術スタッフの数を減らせない、つまり労働生産性を高められない舞台芸術創造事業を提案する事業者に勝ち目はない。警備・清掃作業と最低限の舞台技術スタッフを外部委託すればホールを貸せる貸館事業者が勝利する。
子どものために、市民のために一緒に舞台を作ろうと提案する事業者と、貸館だけで経費をかけない事業者とが、同じ土俵で勝負しているのが今の日本である。中小の自治体では、審査の段階で、舞台芸術公演を評価できる外部専門家が入っていないところさえある。
この言葉は、公共サービスの生産性が上昇しないことの説明に言い訳のように使われてきたが、本来の意味からして、ボウモルのコスト病は文化経済学においては今でも最認識すべき大事な用語なのである。