解決!ライブラちゃんのこれって常識?学校のあれこれ

ライブラリ編集部

解決!ライブラちゃんのこれって常識?学校のあれこれ 学校の教育目標って、なぜ知・徳・体で決まりなの?[前編]

トピック教育課題

2019.08.05

解決!ライブラちゃんの
これって常識?学校のあれこれ

学校の教育目標って、なぜ知・徳・体で決まりなの?[前編]

『学校教育・実践ライブラリ』Vol.1 2019年5月

4月に小学校に入学したライブラちゃん。見るもの聞くもの初めてのものばかりで、興味津々。早速学校に張り出されている「学ぶ子、やさしい子、たくましい子」と書いてある「教育目標」に着目しました。先生に聞くと「たいていの学校の教育目標は『知・徳・体』で作られる」そう。そこで、疑問です。「学校の教育目標はなぜ、知・徳・体なの?」。そこでライブラちゃんと編集部は、その疑問を解消すべく、教育学・教育史を研究されている一橋大学の木村元先生に教えてもらうことにしました。

「知・徳・体」は輸入もの!?

 「知・徳・体」はイギリスの哲学者・社会学者・倫理学者のハーバート・スペンサーが、『教育論』(1861年)などで、知育・徳育・体育の3育を教育の基本原理として示したものです。150年以上前に海外で主張されていた考えなんです。それを福沢諭吉が『学問のすゝめ』(1872年)の中で紹介し、日本の近代学校の始まりとともに、それが普及し広まったものです。

 ただ、「知・徳・体」は、日本の学校でそのままの形で受け入れられてきたかというと必ずしもそうではありません。

 近代の学校制度がスタートしたのは、日本が欧米列強のプレッシャーの中で鎖国から開国に至り、少しでも早く近代化を進めるために欧米の進んだ知識・技能を取り入れていくことが急務だった時代です。そこで、小学校を下等・上等の二つに分け、それぞれを8級のグレイド制(等級制)として、試験によって上の級に上がるシステムにしました。今のような履修主義でなく、欧米のような習得主義の立場で設計したわけです。だから、同じ等級でも年齢もバラバラだし、落第も多かったのです。これが日本の近代学校のスタートだったんです。このように、日本の近代学校は、欧米を模範に知育を重視して進められていきました。

 実際、夏目漱石はどんどん飛び級をして東大に入っています。東大を最終目標として世界に追いつき追い越す教育システムとなっていたのですね。

 1890年に「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)が出されましたが、この頃から、近代国家は知育によって産業を興していくことだけでなく、価値や人格といったものを備えた「国民」をつくっていくことが国家の課題となっていきます。そこで、徳育がクローズアップされ、修身を中心にしたカリキュラムが作られたのです。

 さらには、日清戦争・日露戦争をきっかけに、戦争と絡み合いながら、体操や教練という形で体育がカリキュラムの中核になっていきます。

 つまり、「知・徳・体」はそれぞれにカリキュラムの中には配されていましたが、時代の要請や社会の変化によって、その時々で、それぞれがクローズアップされながら、今に至ってきたといえるのです。

「知・徳・体」は学級編制と深い関係がある!

 「知・徳・体」が、第2次大戦後も見直されることなく受け入れられてきたのは、それぞれが、大切なものとして認識されてきたからでしょう。

 ただ、ここで考えておきたいことは、欧米と日本とでは学校の役割に違いがあるということです。

 例えば、ヨーロッパの学校では道徳は教えません。最小限のルールなどは教えますが、価値や人格に関わる高度な徳育は教会で行うのですね。しかし、日本では「知・徳・体」の全てを学校がやります。それは学級編制に大きく関わっているのです。

 教育勅語の翌年に「学級編制等ニ関スル規則」(1891年)が出されます。そこでは、教師と子どもの関係を組織化することが示されます。つまり、「級(グレイド)」から「組(クラス)」への転換です。組は、教師と子どもが同じ時間を共有する場であり、学級の子ども年齢は、ほぼ均一になります。学級(学校)は教師と子どもが生活する場となっていくわけです。

 欧米も日本も教室があって机に向かって勉強するというスタイルは同じですが、学級という原理が違う。それが日本独特の文化を生み出しているのです。

 また、近代学校は18世紀末にイギリスでスタートしますが、それは産業革命を受けて労働者を作り出していく必要性から、知育を中心にしたシステムが導入されました。一方、日本は農村社会で、次世代の共同体を構成する人間を育てることが求められました。共同体で生きる人間を育てるわけですから、学級という小さな共同体ユニットの中で、知育だけでなく、徳育・体育を育むことも必要とされてきたのです。

 欧米の習得主義に倣って始まった日本の近代学校は、こうして、日本型の学校システムにアレンジされながら今に至ってきたといえるでしょう。

 「知・徳・体」も、そうした日本独特の文化の中で受け入れられ、現在にまで至ってきたのです。

 このあたりは、私の著書『学校の戦後史』(岩波新書)に詳しいのでぜひ読んでください。

 次回は、ここまでを踏まえて、これからの学校教育目標はどうあるべきかについて、お話ししましょう。

Profile
木村 元 先生

1958年石川県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。教育学・教育史専攻。著書に『教育学をつかむ』『教育から見る日本の社会と歴史』『学校の戦後史』など多数。

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特集 学校の教育目標を考えてみよう

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